2018年01月07日 09:02 弁護士ドットコム
「夏目漱石の本はありますか?」。ある埼玉県立高校の学校図書館に、生徒が訪ねてきた。その様子から、図書館や読書に慣れていないと感じた司書が、漱石の本を紹介しながら詳しく話を聞くと、入試の面接対策のために有名作品を借りにきたという。しかし、有名作品を突然、1冊だけ読んでも付け焼き刃の感想にしかならないと考えた司書は、生徒と会話しながら興味を持てそうなジャンルを提案。生徒は紹介された本棚から数冊を借りていった。
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このエピソードが昨夏、ネットで公開されると、多くの人たちから「良い仕事」「プロの司書」と賞賛の声が寄せられた。しかし、「実はこの話、学校図書館司書あるあるなんです」と話すのは、埼玉県立春日部女子高校の主任司書で、『読みたい心に火をつけろ!』(岩波ジュニア新書)の著者でもある木下通子さんだ。子どもに最も身近な図書館である学校図書館の現場では、日々、彼らの悩みに寄り添う学校司書たちがいるという。一体、どのような仕事なのか。木下さんに聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
学校図書館には、色々な子どもたちが訪れる。本を読んだり、学習したりするだけではない。悩みを抱えていたり、居場所を探していたりする子どももいる。学校図書館司書歴32年のベテラン、木下さんはそんな子どもたちを日々、見つめてきた。
「今回、話題になったレファレンス事例は学校図書館ではよくある話なんです。例えば、親が離婚したり、経済状況が悪化したりした場合、なかなか学校は家庭の問題に踏み込みづらい。でも、そういう子は寂しい思いをしているので、居場所を求めて学校図書館に来ることが多いんです」
彼らは、ストレスから体調を崩していることが多いという。
「成績も下がっていることが多いので、『勉強の効率アップに良い本はないですか?』と訊ねてきます。でも、そういう本は貸しません。まず、話を聞きます。女の子だったら、雑談話をしながら『生理ちゃんと来てる?』と聞いてみます。そこで、体調の悩みを打ち明けてくれれば、『体温が下がると免疫力が低下して、勉強が進まないよ』と言って、冷えとりの本などを勧めてみます。
家族が食事をバラバラにとっているようなら、『将来一人暮らししたいって言ってたよね、練習になるし、スーパーでお惣菜を買うよりおいしいかもしれないから、自分で作ってみたら?』とお料理の本を勧めてみたりします。お料理が続くかはわかりませんが、本を返しに来てくれた時には、『この本、どうだった?』とまた次につなげられるのです。
私たち学校司書ができることは限られています。家庭のことは聞けません。結局、何もできないことも、もちろんある。でも、『良い大学に行きたい』とか、『こういう職業につきたい』とか、将来に希望を持っている子がいたら、ちょっと家の状況が苦しくても、乗り切れるよう、生きる力をつけられるよう、支えます」
木下さんは学校司書としての長年の経験から、生徒に具体的な提案でサポートすることもあるという。
「以前、公務員試験対策の本を探しに来た子がいました。もう、試験日直前だったので、『公務員試験受けるの?』と確認したら、『担任の先生に、行きたい大学がないなら公務員の専門学校に行けと言われました』と。でもよく話を聞いたら、本当はディズニーランドで働きたい、オリエンタルランドに就職したいという希望を持っていました。
その子は家庭に問題を抱えていて、家族にとって一番良い思い出が、ディズニーランドに行ったことだったんですね。やはり、ディズニーアンバサダーホテルで働きたいと言って、旅行の専門学校に進学し、最終的に大手旅行代理店に就職した卒業生がいたので、同じ専門学校のパンフレットを取り寄せました。学費も運が良ければ、特待生で免除になるかもしれません。こうしたケースは、担任の先生とタッグを組んで対応します。
学校図書館を訪ねてきた子どもに、本当に抱えている問題を聞き出し、解決のための近道として最適な本を貸し出す。学校司書にとってに日常的な仕事なのだ。
「ですから、私たちにとって、漱石の本ではなく、別の本を貸し出すという仕事はそんなに難しくありません。学校は今、プライバシーの問題があって子どもの家庭事情に踏み込みづらくなっています。でも、学校司書は本を通じて、生徒が何を知りたいのか、本当はどうしたいのかを引き出すことができます。それは、どこの学校司書でもできる仕事で、特別なことではありません」
「特別なことではない」と木下さんは話すが、専門職である学校司書としての知識と経験が裏打ちがなければ難しいだろう。
しかし、学校司書という職種は以前からあったが、資格が必要な図書館司書や司書教諭と違い、長年にわたり「学校図書館担当事務職員」「学校図書館支援員」などと呼ばれ、資格も法制度上の位置付けも曖昧なままだった。学校司書として、初めて法制度上で明文化されたのはつい最近、2014年のことだ。学校図書館法が改正され、学校司書の配置が努力義務となった。
学校図書館の運営には、司書教諭と学校司書という2つの職種が関わる。司書教諭とは、常勤の教員で通常の教科を持ちながら、学校図書館の利用促進などを担う一方、学校司書は学校図書館の現場を切り盛りする。ところが、2016年に公表された文科省の調査結果によると、学校図書館法で必置とされている司書教諭は99.3%の配置率(12学級以上の国立、公立、私立の小中高校)だが、努力義務の学校司書の配置率は59.2%にとどまる。
学校図書館は小中高校に通う子どもたちにとって、最も身近な図書館であり、図書館界では以前より、学校司書の必要性が指摘されてきた。埼玉県でも戦後、全国で展開していた学校図書館運動の流れから、1958年に埼玉県高等学校図書館研究会が各校の学校司書配置を目的に発足。地道な運動を経て、1975年に埼玉県立図書館との一括採用で、司書採用試験がスタート、1979年には全日制高校の全校配置が実現する。
「これは全国的に見ても、画期的なことでした」と木下さん。自身は1985年に県立高校の学校司書として採用された。しかし、2000年から埼玉県は学校司書の採用試験を中断してしまう。木下さんたち現場の学校司書はすぐに再開されるだろうと考えていたが、結局12年もの間、学校司書の採用試験は行われなかった。
「新しい学校司書の採用がないということは、これまで培ってきた仕事の継承ができないということです」と木下さんは指摘する。「臨時採用で学校司書はいるじゃないかと思われるかもしれませんが、臨時職員は同じ学校に1年間しかいられないため、せっかく先生や生徒たちと関係ができて、さあ学校図書館を利用してもらうと思っても、時間切れになってしまうことが多いのです」
埼玉県に限らず、学校司書の非正規雇用率の高さは、全国的な問題だ。例えば、学校図書館の充実を目的に活動している「学校図書館を考える全国連絡会」の調査によると、2017年の都内の公立小中学校の学校司書は、ほぼ全員が非常勤職員や委託職員、または有償ボランティアだった。雇用契約期間は半年から1年、もしくは学期ごとととても短いのも特徴だ。
埼玉県でも正規職員の採用試験が行われない間、学校司書たちの間で危機感がつのっていった。木下さんたちは、県当局に採用再開をはたらきかけたが、状況は変わらなかった。そこで、この問題を広く県民に知ってもらい、学校図書館司書の必要性を訴えようと2011年2月に始めたのが、「埼玉県高校図書館フェスティバル」だ。
最初は埼玉県立高校の学校司書6人が手弁当でスタート。さいたま市内の市民会館で現役高校生、司書、教師らが参加するシンポジウムを開催したり、学校図書館に寄せられた生徒からのメッセージを展示したり、学校図書館の楽しさや重要性を伝えた。
また、図書館の根幹は本であるという考えから、「イチオシ本」を選び、地元書店12店と協力してイチオシ本のフェアを開催するなど、イベントを行った。このフェスティバルはメディアの注目を集め、国会議員や県議会議員も来場するなど、大きな取り組みとなった。
木下さんたちの活動が広まったこともあり、2013年には採用試験が再開、学校図書館に3人の新人司書が採用された。これでフェスティバルも区切りを迎え、現在は「イチオシ本」の企画だけが継続している。作家や編集者による講演会を実施したり、本屋大賞の地域賞も受賞。今年で8回目を数え、2017年度の「イチオシ本」は2月16日に発表、翌日からは埼玉県内の書店と公共図書館でブックフェアも行われる予定だ。
「低学力の学校の子ども達にとって、学校図書館は最後の砦です」と木下さん。「SNSの発達で、ネットには情報があふれていますが、本当にその子にとって必要な情報にたどり着くことは難しいです。でも、学校図書館に来てくれれば、支えることができます」
また、近年社会問題となっている子どもの貧困も、木下さんは気になっているという。
「地域にもよりますが、子どもに興味を持たない親が増えている気がしています。シングル家庭で、コンビニで何か買って食べてといって子どもに500円だけ置いて遊びに行く親もいる。親が子育てを放棄して、祖父母の年金で育てられている子もいる。あるケースでは、両親が離婚して母親が学費を使い込んでしまい、入試の受験料を払うのも難しかった子もいました。社会の歪みの中で、子どもたち育っているのが心配です」
それでも、「学校図書館にできることはあると思っています」と木下さん。子どもたちの居場所であり、生きる力をつける場でもあります。子どもを支えたいと思ってくださっているか方たちに、学校図書館のことを知ってほしいと思っています」と話している。
(弁護士ドットコムニュース)