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古川雄輝が語る、『僕だけがいない街』撮影の裏側 「涙を流すシーンはカットされる予定でした」

2018年01月06日 06:02  リアルサウンド

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 現在、全世界配信されているNetflixオリジナルドラマ『僕だけがいない街』。本作は、『ヤングエース』(KADOKAWA)にて連載されていた同名コミックをドラマ化したサスペンス。2016年にテレビアニメ化されたほか、藤原竜也主演で映画化もされたが、原作完結後の映像化は今回が初めてとなる。時が巻き戻る現象“リバイバル”に悩まされていた主人公・藤沼悟が、殺害された母・佐知子の死を食い止めるために、小学校5年時にまでさかのぼり、事件の謎を追う模様を描く。


参考:Netflixドラマ版『僕だけがいない街』12月配信決定 “リバイバル”する藤沼悟の姿も


 リアルサウンド映画部では、主人公・藤沼悟役の古川雄輝にインタビュー。悟役を演じる上で苦労したことや、原作漫画と実写ドラマとのバランス、撮影秘話などについて、じっくりと語ってもらった。


■「原作をなるべく忠実に再現した」
ーー『僕だけがいない街』はモノローグが多い印象ですが、普通のお芝居との違いや苦労したことはありますか?


古川雄輝(以下、古川):原作では主人公が一人のシーンは、すべてモノローグで描かれています。それって漫画やアニメでは自然なのですが、映像だとどうしても違和感が生じてしまうんですよ。(藤原)竜也さん主演で映画化された時には、モノローグは入っておらず、表情やカット割りなどで心情が表現されていました。今回は原作をなるべく忠実に再現しようとしたため、漫画と同じくらいモノローグを入れています。実は監督と最も相談したのが、このモノローグです。どこまでが独り言で、どこからが頭の中の言葉にするかが難しく、これは独り言だとちょっと漫画に寄りすぎてしまうので、モノローグにしませんか? などと、監督とたくさん話し合いました。なるべく日常的なリアリティのあるお芝居にしたかったので。モノローグの読み方については監督から、「心の声だと感情がこもってしまいがちだけど、今回はナレーションのようにしてほしい。観てる人にわかりやすくゆっくりと読んで」という指示をいただいたので、あまり感情を出さずに読むことを意識しました。


ーーモノローグは実際に撮影した映像を見ながら吹き込むのでしょうか?


古川:そうですね。でも、見ずに録ったものもあります。その部分では、原作をより参考にしました。ナレーションがとにかく多かったので、一通り撮影と編集が終わった後に、1日で録りました。


ーー本作はアニメ化も実写化もされていますが、確かに今回のNetflixオリジナルドラマが最も原作に寄り添っている印象を受けました。古川さんは、原作はもちろんのことアニメ、映画も鑑賞しているということですが、藤沼悟役を演じる上で他に意識したことを教えてください。


古川:なるべく普通に演じることです。この作品は、リバイバルという現象だけが非現実的なもので、それ以外は平凡な日常を描いています。ピザ屋でアルバイトをしながら漫画家を目指しているという、あくまで普通の青年が主人公なんですよね。だから、日常的なところからあまりかけ離れないようなお芝居をすることを心がけました。あとは原作に重きを置いているので、漫画と照らし合わせながら役作りをしていきました。


ーー今回、リバイバルをはじめ15年間眠り続けたり、記憶の欠落があったりと、難しい役どころだったのではないでしょうか?


古川:撮る順番がバラバラだったこともあり、毎回リバイバルする前なのか後なのかをスタッフや共演者の方たちと確認し合いながら撮影していました。リバイバルするシーンでは、僕以外は毎回一度目の世界を生きているのですが、僕だけは二度目、三度目…と重複する世界も出てくるので、今が何度目なのかを意識しなければいけません。なので、その切り替えが大変でした。また15年間眠り続けることに関しては、実はちょっとだけ雰囲気を変えています。悟は、二度リバイバルした後にあることが原因で意識不明になり、目が覚めた時には記憶の一部が欠落してしまっています。それにより、今まで張り詰めていた緊張感や危機感みたいなものはなくなり、気が緩んでいる状態なので、そういった虚脱感のようなものを出せるように表情や話し方を柔らかくしました。


ーー精神的な面だけでなく身体的にも変化がありましたよね。特にリハビリのシーンは印象的でした。


古川:「15年間眠っていたら、どこまで動けるんでしょうか?」と、お医者さんと相談しながら動き具合を調整していきました。でも、先ほどのモノローグも然りですが、あくまで漫画が原作なので、リアリティ重視だけでは成り立たない部分が出てきてしまいます。そのため、どこまで動かなければいけないのかというフィクションの部分と、どこまで動けるのかというノンフィクションの部分の兼ね合いを監督たちと話し合って決めました。座ってる時は手で体を支えるなど、そういった細かいところは、なるべくリアルに再現しています。


ーー映画では、藤原竜也さんが同じ悟役を演じていますよね。


古川:以前も舞台で同じ役をいただいたことがあり、今回は二度目だったのですが、そこまで竜也さんを意識することはないです。もちろん竜也さんが演じられたものを拝見して、それよりも自分なりにいいものを作ろうという想いは芽生えます。でも、先輩の方々と同じ役だからといって、特別プレッシャーを感じることはありませんね。


ーー本作は、「独りぼっち」がキーワードになっている印象です。犯人が「君が眠っている15年間、僕は独りぼっちだった」と口にしたり、被害者も“独りぼっち”の少年少女だったり、主人公である悟もリバイバルする前は友達も恋人もいない“独りぼっち”の青年だったりしますよね。


古川:確かにそうですね。僕自身は、リバイバルを繰り返す前の“独りぼっち”感はそこまで意識していません。物語が展開するにつれ、仲間が増えていくのは悟自身の意識が変化し、少しずつ成長している証なので、そこの差を表現しようとは思いました。


ーーほかにも「仲間」や「踏み込む勇気」も本作において重要な要素です。初めは友達も恋人もいない独りぼっちだった主人公が、リバイバルして徐々に事件に“踏み込む勇気”を出したことで、“仲間”が増えていきます。また「ヒーロー」という言葉もたくさん出てきたり、“雪”がメタファー的に使われていたりもしますよね。


古川:キーワード、たくさんありますよね。僕は、「人間の意志は、科学をも超えるらしいよ」というセリフがとても印象に残っています。この物語を象徴している言葉だなと感じたので。


ーー確かにひとつ一つのセリフも印象的で、深読みしがいがある作品ですよね。


古川:キャラクターによって、それぞれテーマが違うこともあり、テーマをどこに置くかで、見方がだいぶ変わってくる気がします。たとえば悟は、悩みを抱えた普通の青年から誰かを助けるヒーローへの成長がテーマだと思うんです。彼が踏み込む勇気を出したからこそ、母親(藤沼佐知子)や(雛月)加代らを助けられたし、未来も変えられました。誰しも一度は、ヒーローになりたいと考えたことがあるんじゃないかな。特に男の子はレンジャーものとか憧れますよね。


■「台本に忠実かつできるだけシンプルに役作りをしています」
ーー古川さんも幼少期ヒーローに憧れを抱いていましたか?


古川:そうですね。僕は海外に住んでいたので、『パワーレンジャー』に夢中になっていました。そもそも、あっちだとヒーローものは『パワーレンジャー』だったので(笑)。僕もヒーローに対して悟と同じような憧れ方をしていました。変身ポーズとったりしてたな~。


ーー悟に共感できる部分もあるとのことですが、役作りする上で役柄の背景を考えたり、心情に寄り添ったりしていますか?


古川:僕は考えすぎると、ちょっとひねった感じの伝わりにくいお芝居になってしまうので、あまり深読みしないで、シンプルに演じることを心がけています。そこまで設定を作り込んでしまうと、現場で迷う瞬間が出てきたり、無駄な動作やセリフ回しが生じてしまったりするんですよ。以前はよく、役柄がどういう人物で、この物語は何を伝えたいのかなど、裏の裏まで考えていました。でも、いざ撮影に入ると無駄なことばかり頭をよぎって、結局空回ってしまったことが何度もあります。なので、今は台本に忠実かつできるだけシンプルに役作りをしています。僕の場合そっちの方が、観ている方たちに伝わりやすいお芝居ができるのかなと。


 でも、舞台になっている北海道には見学に行きました。北海道は悟が子供の頃に生活していた場所なので、僕の出演シーン自体はないのですが、悟がどういう環境で育ったのかを実際に見ておきたかったんです。そうしたら、クリスマスツリーや秘密基地、加代が住んでる団地など、漫画そのままの世界が広がっていたので、すごく感動しました。行って本当に良かったです。悟が生まれ育った場所に触れることができ、とても参考になりました。


ーー古川さんが最も印象に残っているシーンは?


古川:最初のバイクのシーンですね。リバイバルをする非現実的なシーンは、撮影自体が初めての体験ばかりで、とても楽しかったです。岡山県協力のもと、岡山駅のすぐ近くを4日間封鎖するという大掛かりな撮影だったので、そういった意味でも印象に残っています。あともう一つ大変だったという意味で印象に残っているのは、最終話の池の中に入るシーンですね。ドラマ内では夏の設定だったのですが、実際は4月に富士山の麓の池に入って撮影しているので、とにかく寒かったです。


ーーほかにも大人になった加代に再会し、涙を流すシーンは印象的でした。


古川:本当は、涙を流すシーンはカットされる予定でした。リハーサルした時に泣く直前に監督から「カット」がかかり、驚いていたら、どうやら手違いで僕にだけ変更が伝えられていなかったことがわかりました。そこで監督に「これ泣かないんですか?」って食い下がったら「じゃあ泣こうか」っておっしゃってくださったんです。だから、もしかしたら本編ではカットされるかなと思っていたのですが、残していただいて嬉しかったです(笑)。


 でもリアルに考えると、僕だったら複雑な想いを抱きます。悟は加代のことを好きだったと思うんです。つまり、好きという記憶で止まったままなんですよ。自分が15年間眠っている間に、その女の子が友達と結婚していて、さらに子供を抱えて会いに来たら、正直何とも言えない気持ちになります。でもあの時、悟は色々な記憶が混ざり混沌としていた状態だったので、加代が死んじゃったんじゃないかと不安になっていたはずです。だから、加代が目の前に現れた時、純粋に安心したのかなと。ちゃんと生きてて、成長もして子供もいるという彼女の姿に嬉しくなって、思わず涙を流したんだと思います。(取材・文・写真=戸塚安友奈)