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新垣結衣、喜劇女優としての強みは“陽”の笑い? 『逃げ恥』『リーガルハイ』“笑顔にさせる”演技

2018年01月01日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 ちょうど1年前、『逃げるは恥だが役に立つ』が大ブームを巻き起こしているときに「喜劇女優としての新垣結衣が研ぎ澄まされていくのではないか」と書いたものの(参考:新垣結衣は『逃げ恥』で“第3のスタートライン”に立った 喜劇女優としてのガッキー)、春のNHK2夜連続ドラマにはじまり、夏には代表シリーズのひとつ『コード・ブルー~ドクターヘリ緊急救命~』(フジテレビ系)のSeason3が放送され、喜劇演技は映画『ミックス。』ただ一本と、相変わらず控えめな活動となった2017年の新垣結衣。


参考:『逃げ恥』プロデューサーが語る、最終回に込めた想い 峠田P「どの生き方も否定しない」


 そんな中で『逃げるは恥だが役に立つ』が、放送終了から1年経ってもまったく色あせることなく、かえってまだ多くの人々に“逃げ恥ロス”を植えつけているのである。もはや、来年映画化も決まっている『コード・ブルー~ドクターヘリ緊急救命~』や、これまで彼女が出演した他の作品すべてを超えて、女優・新垣結衣の不動の代表作になったわけだ。


 改めて、ここはひとつ彼女の喜劇演技としての才を見返してみたい。彼女の喜劇演技を一言で集約させるなら、多くの人を魅了する「“陽”の笑い」に尽きるのではないだろうか。一口に“笑い”といっても、上品なものから下品なもの、言葉なのか動きなのか、じわじわくるものか、それとも一気に爆発するものなのか、ポジティブかネガティブかなど、その種類は様々である。


 彼女が作り出す“笑い”のジャンルは、コミカルで多彩な表情に起因して、まぎれもなく“笑われている”わけでも“笑わせている”わけでもなく、自然と観ている人を“笑顔にさせる”という、極めてポジティブなタイプのものなのである。このタイプの喜劇女優というのは、日本ではなかなか生まれてこなかったのではないだろうか。


 たとえば『逃げ恥』での彼女は、真面目さが強く、不器用な感じに空回りしていくわけで、そこに得意の妄想が加わり、相手役である星野源の控えめで冷静なキャラクターとコントラストがはっきりと作られるという構造ができあがる。それは『ミックス。』でも同様に、他の個性の強いキャラクターたちを置いて、ペアを組む瑛太とのバランスを絶妙に保つことに焦点が定められており、それによって、彼女の明るい魅力が、強く浮かびあがるのである。


 とはいえ、彼女が最初にその喜劇センスを発揮した作品といえば、とびきり個性の強い、悪魔のような弁護士を堺雅人が演じた『リーガルハイ』(フジテレビ系)であろう。少し特殊なタイプの“陽”の演技を見せつける堺に対して、新垣もまた“陽”でぶつかり合うという、テレビドラマの振れ幅すれすれのところまで攻め入った作りには正直驚かされたものだ。


 共演者とのコントラストを生み出さずとも、彼女の“陽”が際立つのは、良い意味での“アイドル女優感”と、彼女が醸し出す絶妙にやわらかい“空気感”だろうか。今後しばらくは、何を演じても“森山みくり”のイメージからは離れられないだろうが、彼女がそのテイストを守り続ける限り、その唯一無二の喜劇女優の才も保たれ続けることになるはずだ。


■久保田和馬
映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。