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ゆずの楽曲はなぜ歌ってみたくなる? 2人が手がける楽曲を徹底分析

2017年12月31日 15:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 12月23日、大晦日に放送される『第68回NHK紅白歌合戦』(NHK総合)の曲目と曲順が発表され、白組の大トリをゆずが飾ることが分かった。ゆずの紅白出演は、これが8回目。今回、歌う曲目として選ばれた「栄光の架橋」は、2004年にリリースされた通算21枚目のシングルであり、同年『アテネオリンピック』NHK放送の公式テーマソングにもなった楽曲である。


 ゆずといえば、もはや「国民的存在」と言っても過言ではないグループだ。北川悠仁、岩沢厚治によるギターの弾き語りを基調としつつも、これまでに寺岡呼人や松任谷正隆、蔦谷好位置ら様々なプロデューサーを起用し、ときには篠笛奏者の佐藤和哉と共作(「雨のち晴レルヤ」)するなど、様々な試みに果敢に挑みながら自分たちの音楽の幅を広げてきた。また、音楽的なアプローチにとどまらず、例えば現代アーティストの村上隆や、フラワーアーティストの東信、彫刻家の名和晃平やアートディレクターの森本千絵など、異分野のクリエーターとのコラボレートも積極的に行ない、「アコギを弾く、路上出身のフォークデュオ」という自らのパブリックイメージにとどまらない新たな表現方法を探求し続けている。


 とはいえ、デビュー以降の彼らが作り上げてきた楽曲の、骨子となるメロディは常にシンプルだ。余計な装飾や、奇をてらったギミックなどなくとも、コードとメロディ、そして北川&岩沢の美しいハーモニーだけで成立するような楽曲。であるからこそ、そこにどんな要素を取り込もうが、「何をやってもゆずだ」と言わんばかりの“揺るぎなさ”を常にキープし続けてきたのだろう。


 そこで今回は、そんなゆずの代表曲をいくつかピックアップし、魅力に迫ってみたい。


 まずは、彼らが1998年にリリースしたメジャーデビューシングル表題曲「夏色」を聴いてみよう。この曲のキーはE♭だが、アコギで弾きやすくするため3フレットにカポを付けて弾いてみたい。イントロは、<C/ F -Am /G – C/ F -Am /G – F -G>。なんのてらいもないド直球の循環コードである。Aメロは、このイントロを聴く引き継ぐ形で<C/ F -Am /G – C/ F -Am /G – F -G -C -C>と展開する。メロディは、あくまでもコード構成音の中で動き、しかも同じ音符が連なるという典型的なフォークミュージック・スタイルである。Bメロは、<E -Am- E -Am – F -Dm7 -D7 – G>。初っ端のEは、キーCから外れたコードだが、続くAmをトニックに見立てたドミナントモーションを起こしている。通称「セカンダリードミナントコード」と呼ばれるもので、J-POPの中ではかなり頻繁に使われる王道だ。


 「夏色」がハッとさせられるのは、このセカンダリードミナントコードの響きによるところも大きいが、何よりトリッキーなのはAからBへの入り方。通常、4小節・8小節・16小節といった単位で構成されているセクションが、Bメロへのつなぎの部分だけ6小節+2拍で唐突に終わるのだ。一瞬、拍のアタマが分からなくなるこの“仕掛け”が、「夏色」を単にシンプルなだけのフォークソングではない楽曲にしているのである。


 サビは、<C /Am – F/ G – C /Am – F /G – Em – Am- F /Fm -C>。前半のコード進行はAメロと同じだが、駆け上がるような開放的なメロディが高揚感を煽る。そして、後半の<F→Fm(サブドミナント→サブドミナントマイナー)>が、なんともいえない切なさを醸し出しており、ここも「アコギをかき鳴らす元気いっぱいの楽曲」だけではない、重層的な魅力を閉じ込めることに成功しているのだ。


 続いて、1999年にリリースされた通算4枚目のシングル曲「いつか」。キーはDで、イントロは<G /A7 -D /Bm – G /A7 -Dsus4/ D – G /A7 -D /Bm – G /A7 – Dsus4 /D/Dadd9 /D>。トニック始まりではなく、サブドミナント始まりが浮遊感を生み出す。後半の<Dsus4 /D/Dadd9 /D>は、トップノートがソ→ファ#→ミ→ファ#と上昇下降を繰り返すのだが、これはジョン・レノンの1980年のソロ曲「Woman」のイントロで用いられたクリシェとしても有名。


 Aメロは、イントロのサブドミナント始まりを受けて、G /A – Bmと進む。Bメロは<Em7 / F#7 – Bm – Em7 / F#7 – Bm – G / Gm – A7>。F#7は、Bmをトニックに見立てたセカンダリードミナントコード。<G→Gm>の「哀愁コード進行」も、「夏色」で用いられたパターンだ。そして、サビでようやくトニックコード始まりとなり、浮遊していた体が地面に着地したような安定感をおぼえる。<D /F#7- Bm /D7 – G/ Em7 -A7>。ここでもBmをトニックコードに見立てたセカンダリードミナントコードF#7が、1小節目の後半で現れ聴き手をハッとさせる。しかもメロディはリフレインになっており、同じフレーズでもコードの響きによって全く違う表情を見せる。ゆずのメロディはとにかく音数が少なくシンプルだが、全く飽きさせないのはこうしたコード進行の工夫も一役買っているのである。


 「夏色」「いつか」は北川による作曲だが、次に取り上げる「飛べない鳥」は岩沢のペンによるもの。通算10枚目のシングルで、累計売り上げ枚数が38万枚に達した、彼らの中でも最大級のヒットソングである。キーはAで、Aメロは<A – E – F#m7 – F#m7 – D – Dm – E – E – A – E – F#m7 – F#m7 – D – Dm – E – E>。ここにも<D→Dm>の「哀愁コード進行」がある。特徴的なのはBメロで、キーがCに転調し、<F – G – C /GonB – Am7 – F – F – E – E>と展開。最後のコードEが、セカンダリードミナントコードと見せかけサビでキーAに戻る(つまり、Aのドミナントコード)。サビの前半は、<D – D – C#m7 – C#7onF – F#m7 – F#m7 – D – A – E – E>で、後半が<D – D – C#m7 – C#7onF – F#m7 – F#m7 – D/ Dm – A/ F#m7 – Bm7 – E – D – D>。「いつか」のようにトニックコードには戻らず、サブドミナント始まりのまま。C#7はF#mをトニックコードに見立てたセカンダリードミナントコードだが、ベースがルート音ではなく3度音のファを押さえており、セカンダリードミナントコード特有の“エグさ”を若干中和させつつ、次のF#mのルートへと半音で移動し洗練的な響きを加えている。


 ところで、ゆずの魅力の一つとして、北川と岩沢それぞれの声質や歌い方を活かしたメロディ&ハーモニーも挙げられる。岩沢の抜けるようなハイトーンボイスは「屈託のなさ、青春のキラキラ感」を体現しているのに対し、北川の少しぶっきらぼうな低音には「不良っぽさ、大人っぽさ」がある。この「飛べない鳥」でも、Aメロは岩沢が飛べない鳥の“葛藤”や“苦悩”を歌い、Bメロでバトンタッチした北川が、“希望の光”に向かって高らかに歌い上げる(2回目のサビのファルセットが、この曲のピークポイント)。歌い方も、キャラクターも全く違うはずの2人の声が、ハモるとピッタリと息が合うというのも、非常に不思議な彼らの特徴であり、魅力の一つだろう。


 そして最後に、今年の紅白で歌う「栄光の架橋」を聴いてみよう。この曲の作曲者は北川で、編曲は松任谷正隆。ピアノを基調としつつ、徐々にストリングスが重なっていく壮大なミディアムバラードだ。キーはEで、イントロは<E/ A -BonE /E ・B- C#m /G#m -A/A・B – Esus4 /E- Esus4/ E>。Aメロは、<E – G#m7 – A /B – E/B – C#m – G#m7- A/ B- E>の繰り返し。ここまではダイアトニックによる循環コードである。Bメロは<C#m- G#m7 A/B- E/B – C#m- G#m7- A- F#7- B- G#7>で、F#がBをトニックに見立てたセカンダリードミナントコードに、G#7はC#mをトニックに見立てたセカンダリードミナントコードになっている。が、サビはC#mには行かず、<A /B -E/B -A/ B- E/G#7 – A /B -E・B /C#m-A /B -A>と、EのサブドミナントコードであるAにつながる。さらにサビの後半にも、C#mをトニックに見立てたセカンダリードミナントコードG#7が登場し、やはりC#mには行かずEのサブドミナントコードであるAにつながる。この“力技”が「栄光の架橋」をダイナミックな楽曲にしているのだ。ちなみにこのコード進行、やはりジョン・レノンが「Imagine」のサビで用いている(<You may say I’m a er/ But I’m not only one>のところ。<F/ G – C/E7>)。余談だがジョンは、ビートルズ時代に「Sexy Sadie」でもこれと似たコード進行を(おそらく意識せずに)使っていた。よほど気に入っていたのだろう。


 さて、今回のコラム執筆のため、筆者はゆずの楽曲を他にも数曲さらってみたのだが、コード進行とメロディ、それからリズムだけを取り出してみると、全体のトーンとしてOasisの楽曲との共通点が、かなり多いことに気づいた。ゆずとOasis、一聴すると全く異なる音楽性だが、覚えたそばから歌ってみたくなるメロディと言う意味でも、共通の魅力を持っているといえないだろうか。


 以前、北川にインタビューをしたとき、「ゆずを聴いて音楽を始めた」という若いバンドが増えている理由について尋ねたところ、「“自分にもできそう”と思わせ、歌ってみたくなるような曲を作ってきたからではないか」と答えてくれた。もちろん、「自分でもできそう」と思わせるくらいシンプルな上に、「歌ってみたくなる」くらいカッコいい曲を作るというのは、並大抵のことではない。そこを常にクリアし続けてきたからこそ、ゆずは国民的存在になり得たのだ。(黒田隆憲)