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遠藤ミチロウが語る、THE STALINとブラックユーモア「自分がパンクっていうふうには考えてない」

2017年12月28日 16:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 数々の伝説を残したバンド・THE STALINの結成者であり、ボーカリストの遠藤ミチロウ。遠藤が率いるTHE ENDと、THE STALINのアルバム『trash』ジャケットイラストを描いた人物としても知られる宮西計三のバンド・THE HUNDRED DEVILSとの2マンイベントが2018年1月12日、新大久保アースダムに開催される。


 今回リアルサウンドでは、そのイベント開催に先駆けて、遠藤ミチロウに単独インタビューを行うことができた。THE STALINが世に出た1980年代当時の話題はもちろん、遠藤が今興味を持っている音楽表現、さらに1月のライブへの意気込みなど話を聞いた。聞き手はパンクバンド・FORWARDのボーカルで、ライターとして活躍しているISHIYA氏。(編集部)


(関連:友川カズキが語る、音楽とリスナーの関係「こっちも表現者だけどね、聴く方も表現者だ」


■ハードコア全体で、アンチ・スターリンみたいになってた


ーーミチロウさんはこれまで色んなメンバーと音楽活動をやってきていますが、どのようにメンバーを決めているんでしょうか? 2016年の大衆芸術音楽祭『橋の下世界音楽祭』では、ミチロウさんが始められた民謡パンクバンド・羊歯明神で久土’N茶谷の茶谷(雅之)君がドラムをやってましたよね。


遠藤ミチロウ(以下、遠藤):羊歯明神は普段トシさん(石塚俊明)と山本久土と僕なんですけど、久土と茶谷君はMOSTというバンドをやっていて、僕のM.J.Qというバンドでも一緒にやってたから久土に入ってもらったんです。そのあと久土が久土’N茶谷というバンドを始めた関係で、トシさんがだめなときには茶谷君に代わりにやってもらってるんですよ。


ーー友川カズキさんのバックでも弾いているチェロ奏者の坂本弘道さんともやってますよね。


遠藤:僕とトシさんが2人で頭脳警察とSTALINを合わせて「頭脳TALIN」ってバンド名でやったときに、坂本さんとトシさんがほかでもやっていたので「坂本さんも入れちゃえ」ってことで、NOTALINに坂本のSでNOTALIN’Sにしました。


ーー中村達也君とも色々やってますよね。今度友川カズキさんと達也君でも一緒にやるみたいなんですよ。


遠藤:僕が去年『ミチロウ祭り』っていうのを8日間やったときに、最初の日は僕と友川さんのソロをやったんです。そのとき達也が「友川さんのファンだから観に行きたいんだよ」って言うんで、そこで達也と友川さんが会ったんですよ。


ーー友川さんとミチロウさんといえば、友川さんがミチロウさんの「思惑の奴隷」を、ミチロウさんが友川さんの「ワルツ」をそれぞれカバーしていますが、友川さんの曲の中で「ワルツ」を選んだ理由は?


遠藤:「ワルツ」はね、ストリッパーの一条さゆりさんが「ストリップで歌ってくれないか」って言ってきて、そのときにどうしても友川さんの「ワルツ」を歌ってくれって言われて、僕も「ワルツ」は好きだったんで一条さんの踊りと一緒に歌ったのがきっかけです。歌ってみたら良かったので、僕の『FUKUSHIMA』っていうアルバムにも入れました。


ーーミチロウさんの活動ではやはりTHE STALINの頃が印象に残っています。でも当時のハードコア界隈では、THE STALINを好きだということがなかなか言い出せない雰囲気がありました。チフスからTAMさんが入ったり、ハードコアの人間でTHE STALINのライブを観に行っていた人もいたりしたのに、なぜTHE STALINはそういった扱いがなされていたのかが不思議で。


遠藤:たぶんTHE STALINがメジャーデビューしたんで、あの頃のハードコア全体で、アンチ・スターリンみたいになってたのかもしれないですね。だから、好きだと言ってくれていた人たちはそうなる前から観にきてた人なんじゃないですか。THE STALINのことを好きだったハードコアの人間も結構いましたから。


ーー自主制作ソノシート『電動こけし/肉』を出す前にTHE STALIN名義のライブは?


遠藤:ライブはほとんどやってないですね。デビューライブ、即ソノシート発売みたいな感じです。ドラムの乾純とはその前のコケシドールのときからずっと一緒で、THE STALINをやろうってことになって「ソノシート作っちゃえ」って作ったんですよね。ギターのTAMはもっとあとのアルバム『trash』からですよ、加入したのは。そういった関係もあって、自分でやっていた<ポリティカルレコード>から、チフスのソノシートも出したんです。


ーーTAMさんはTHE STALINを脱退したあと、ハードコアパンクの人間たちと仲良くなっていった印象があります。


遠藤:TAMはアルバム『虫』のレコーディングが終わってから抜けたんですよ。STALINを抜けたから仲良くなったんじゃないですか。


ーー中田圭吾(Dr/ex.AXE BOMBER、G-ZET、NICKEY & THE WARRIORS、THE STAR CLUB、COBRA、etc)さんも一緒にやっていた時期がありましたよね。


遠藤:ケイゴとはずっと仲良いから。


ーーTHE STALINの再結成では、 KATSUTA(EXTINCT GOVERNMENT、ex.鉄アレイ)さんがベースを弾いたこともありました。


遠藤:KATSUTA君も、そのときに一緒にやったSUZUKI君(PULLING TEETH)も、みんなケイゴが連れてきたんですよ。


ーーそもそもなぜTHE STALINは、メジャーに行こうと思ったのですか?


遠藤:その頃は別に、メジャーがダメでインディーズじゃなきゃダメとか、そういうのは僕の中にはなかったんですよ。メジャーに行ってバンドがコロッと変わったとかそういうのじゃないじゃないですか。メジャーから出しても、色々不都合があったらまたインディーズで出せばいいしって、そういう感覚だった。『虫』のあとに『FISH INN』を自分のレーベルから出したり、キングレコードからソロを出したりと、行ったり来たりなんですよ。


ーーTHE STALINがメジャーデビューしたことによって、パンクというものが世の中に知れ渡る一つのきっかけになったと思うのですが、パンクは元々好きだったんですか?


遠藤:アコースティックで東京に出てきて、たまたま住んでたアパートの向かいにあった喫茶店が、パンクをガンガンかけていたんですよ。そこで初めてSex Pistolsとかパティ・スミスとか聴いて「パンクいいなぁ」と思って、DEVOの初来日を観に行きました。DEVOを初めて観てショックを受けて、エレキを持って身体中ビニールテープでぐるぐる巻きにしたりして、1人DEVOみたいなことを始めたんです。でもバンドやらなきゃと思って作り出したのがコケシドールかな。まだそのときは自分もギターを弾いてたんで。コケシドール、バラシとバンドをやって、やっぱりギター弾いてるとダメだなって思って、ボーカルだけになって自閉体をやって、THE STALINでやっとパンクっぽいバンドになった感じですね。


■THE STALINはブラックユーモアがバンドのコンセプトだった


ーーTHE STALINは、海外でも注目された日本のパンクバンドで、アメリカの『MAXIMUM ROCKNROLL』のオムニバスに参加しましたよね。


遠藤:マキシマムロックンロールに出した「Chicken Farm Chicken」は、『虫』に入れなかった曲なんですよ。


ーーそうなんですか! あの曲、 THE WILLARDのJUNさんのギターがすごくかっこいいじゃないですか。


遠藤:「Chicken Farm Chicken」は、TAMのギターにJUNが被せてるんですよ。根っこのギターはたぶんTAMだと思います。あの曲を出したあとに、結構色々なところから手紙がきましたよ。海外からもありましたね。1984年だと思います。


ーー海外からのTHE STALINへの評価ってどうだったんですか?


遠藤:当時、ベルリンの壁がなくなって一週間後に、友達と2人でベルリンとかポーランドへ行ったんです。ポーランドに行ったときに、次の年の野外フェスに出るっていう話をして、次の年にSTALINで東欧ツアーということで再びポーランドに行ったんですよ。


ーーポーランドではどうでしたか?


遠藤:「お前ら最高の名前つけたな!」ってすごく喜ばれましたよ。その皮肉がわかるんですよね。むこうはブラックユーモアをよくわかってくれるんです。盛り上がりましたね。ソ連のヨシフ・スターリンを大嫌いな国の連中が、拳を振り上げて「STALIN! STALIN!」ってコールするんですから素晴らしいですよ(笑)。


ーーアルバム『GO GO スターリン』に入っている「カタログZ」は、共産党を揶揄してる歌なんですか?


遠藤:あれはメンバーの杉山シンタロウの歌を作ろうと思って。シンタロウの親が学校の先生で共産党員だったんですよ、それじゃあってまたパロディというかそんな感じで。だから曲もシンタロウが作って、彼のベースで始まるんです(笑)。


ーー「メシ喰わせろ!」にしても何にしても、おちゃめというかパロディでふざけてるというか、バンドのスタイルは常にそんな感じだったんですか?


遠藤:THE STALINって名前をつけること自体が一つのパロディじゃないけど、ブラックユーモアというかそういうことなんですよ。基本的にSTALINって、実はブラックユーモアがバンドのコンセプトなんですよね。歌詞も全部そういう感じなんですよ。怒りというよりも、パロディをすることで批評的な内容が入ってくるじゃないですか。受け手が勝手に勘違いしてくれるのも楽しんじゃうみたいなところもあります。メジャーデビューアルバム『STOP JAP』を出したときに歌詞を直させられたので、「『虫』では別に意味が通じなくてもいいや」みたいな感じで直しようのない歌詞にしたんです。あの頃は「アルバム出すごとに変わっていかなきゃ」っていうのがあったんで、意識して変えてましたね。『虫』が一番ハードコアなアルバムですよね。


ーー『STOP JAP』もそうだと思いますけどね。


遠藤:いや、あれはまだハードコアって感じじゃないですよ。ハードコアって意識して作ったのは『虫』からですよね。とは言え、その後にも『虫』だけですけどね。次の『FISH INN』なんてガラッと変わる。


ーー『GO GO スターリン』もハードじゃないですか。


遠藤:ああ『GO GO スターリン』もそうですね。『FISH INN』は、ある意味ポジパンなんですよね。あの頃ポジパンとは言わなかったけど。


ーーMIRRORSのヒゴヒロシさんもTHE STALINで活動していた時期がありました。彼らが東京ロッカーズ(Friction、LIZARD、MIRRORS、Mr.Kite、S-KENらを中心にしたパンク/ニューウェーブ系のバンドによるシリーズライブ)で活躍していた頃から交流があったんですか?


遠藤:そんなに交流はないですよ。何でヒゴさんを連れてきたのか、関わりが自分でも思い出せないです(笑)。


ーー東京ロッカーズの頃から現在まで現役で活動していた、THE FOOLSの伊藤耕さんがこの前亡くなりましたが、耕さんとはどのような付き合いを?


遠藤:たぶんまだTHE FOOLSじゃない頃のSYZEかSEXでどこかで一緒にやってる感じですね。FOOLSになってからもイベントで一緒になったぐらいで、そんなに交流はなかったです。東京ロッカーズの中では、LIZARDは何回か一緒にやってたんですけど、THE STALINをやり始める前から東京ロッカーズはやってるじゃないですか。同期ではないですけど、僕が同期と感じたのはやっぱりじゃがたらですよ。THE STALINとじゃがたらとはよく一緒にやってたんで。じゃがたらってスキャンダラスなステージですごいじゃないですか。これに負けちゃいけないっていうんで、THE STALINもめちゃくちゃになっていったんですよね。THE STALINがああいう過激なステージになっていったのもじゃがたらの影響ですよ。じゃがたらの影響は大きいですね。


ーーその頃だと思いますが、町田町蔵さんがINUでメジャーデビューしましたよね。


遠藤:バラシをやっていたあたりの頃、京都・大阪ツアーをやったときに初めてINUのライブを観たんですよ。そのときに「かっこいいなぁ~」と思ってギター弾くのをやめて、自閉体を作ったんです。ボーカルだけのスタイルになったのは、INUの影響はありますよね。


ーーTHE STALINが「メシ喰わせろ!」と歌っていたのは、INUの「メシ喰うな!」へのアンチテーゼなのかと思ってました。


遠藤:「パロディやっちゃおうぜ」みたいに楽しんでましたね。なんせ一番最初に「メシ喰わせろ!」を歌ったときは、犬の首輪して裸で四つん這いになって這い回って、犬みたいな仕草しながら歌ってましたから。


■映画『バーストシティ』の公開とメジャデビュー重なった1982年


ーーTHE STALINを聴いて、そこからインディーズを聴いていく人は多かったですよ。田舎の人だと特にレコードはメジャーのものしか買えないじゃないですか。


遠藤:そうですね。あの頃STALINはインディーズで全国ツアーを最初にやったバンドなんです。だから、行く先々でああいうステージをやっていくと、地方の子たちは「パンクのライブはこういうものだ」と思っちゃって、あとから行くバンドに「お前らのせいでエライ目にあった」って文句言われましたよ(笑)。あと、ちょうどSTALINが悪役バンドの役で出た映画『爆裂都市 バーストシティ』が公開されたあとに『STOP JAP』が出てるから、その影響も大きいのかも。


ーー『バーストシティ』の影響は大きいです。『バーストシティ』はどういう経緯で出ることになったんですか?


遠藤:渋谷の屋根裏でライブをやったときに、監督の石井聰亙(現:石井岳龍)さんが杉山シンタロウと知り合いで観にきたんですよ。そのときにやっぱりグチャグチャのライブで、THE STALINを観て石井さんが映画に使おうって思ったんじゃないですかね。


ーー『バーストシティ』の公開、『STOP JAP』の発売があった1982年は、日比谷野音で『五烈』というライブも行われましたよね。


遠藤:そう、その直後にあったんですよね。アナーキー、THE STALIN、ロッカーズ、ARB、BOWWOWで。BOWWOWだけ全然パンクじゃなかったけど。当時、THE STALINは自分のアンプを持ってなかったんですよ。でも、BOWWOWが全部貸してくれたんですよね。いい人たちだった(笑)。『五烈』のときは何やってもいいって言われてたから、豚の頭10個ぐらい用意して行きましたね。でも、出番寸前にダメだって言われて(笑)。やっちゃいけないって言われたんですけど「臓物は投げていいですか?」って聞いたら「臓物はいい」って言われて、臓物だけ投げたんですよ(笑)。


ーーやっちまえ! みたいな感じじゃないんですね(笑)。


遠藤:だってあれ、内田裕也さんが主催で、何やってもいいって言ったのも裕也さんで。でもやっちゃダメだって言われたらね(笑)。気持ち的には「何やってもいいって言ってたじゃないか!」って思ってたんですけど(笑)。でも臓物投げたおかげで野音出入り禁止で(笑)。


ーー出入り禁止っていうのはハードコアも多かったんですけど、最初にやられ出したのがTHE STALINですよね。


遠藤:そうですね。でも全部、屋根裏にしてもロフトにしてもほかのところにしても、THE STALINがめちゃくちゃなわけじゃないんですよ。お客さんが会場近辺や会場の中でもグッチャグチャにやるからダメだっていう感じだったんですよ。


ーー『バーストシティ』の公開と『STOP JAP』でのメジャーデビューが同時期に重なって色んなことが起きたんですね。


遠藤:メジャーデビューしてからは無理なことがやれなくなったんですよね。会場問題とか、どこもやらせてくれなくなるっていうんで。


ーーいつ頃からやらなくなりましたか?


遠藤:『五烈』のあとじゃないですかね。そのあとは臓物投げたりしてないですよ。


ーー『五烈』で最後っていうことは、貴重なライブだったんですね。


遠藤:わかんない。地方ではやってたかも(笑)。


ーーミチロウさんはやってることがずっとパンクですよね?


遠藤:わかんないですね。自分がパンクっていうふうには考えてないですけどね。


ーーでもソロの歌詞にしても、様々な行動にしても、アンチテーゼなところが大きいと思うんですよ。


遠藤:あんまりそういうのは意識してないですけど。


ーーパンクっていう意識はないんですね。


遠藤:ないです。パンクだからアンチテーゼっていうのも変なとらえ方じゃないですか。


ーーTHE STALINの頃もなかったんですか?


遠藤:THE STALINの頃はありましたよ、パンクだっていうのは。あれはパンクやろうって思ってやってたんで。


ーーそういう意識がなくなったのはいつぐらいからですか?


遠藤:THEのつくSTALINをやめてからですね。


ーーTHE STALINの解散の理由っていうのはなんですか? これまであまり語られることがなかったと思うので聞いてみたいのですが。


遠藤:まぁ色々あるじゃないですか。だいたいバンドがダメになるときって色んな問題がありますよ。たぶんパンクっていうふうにこだわっちゃうと、ある意味ではだんだん狭いイメージになっていくじゃないですか。それで逆に、そういうのを全部とっ払いたいなっていう。だからあえて、ソロになってヒップホップ的なリズムでやっちゃってみたり。


ーー個人的にはバンド活動が嫌になってソロを始めたのかと思っていました。


遠藤:そこまでじゃないですね。だからすぐバンドもつくったりしてるじゃないですか。でも実は、本当にバンドが嫌になってソロをやり出したのは1992年のアコースティックをやり出してから。あれはバンドが嫌になって1人で歌い出したんですよ。


ーーTHE STALINが結成20周年で一度だけ復活した2001年の渋谷ON AIR EASTのライブでTHE STALINが終わったあとに、アコースティックでミチロウさん1人でステージに立ったのはなぜですか?


遠藤:「天国の扉」でしょ? あの日のライブは、自分の中で杉山シンタロウの追悼だったんですよ。だからTHE STALINをやって、最後あの歌でシンタロウに追悼を歌ったっていうことなんですけどね、実は。あれでもうSTALINはやらないって決めてたんですけどね。あのとき「還暦になるまでSTALINはやらないから」って言ってて、2010年に還暦になったら「還暦になったからやるんだろ?」ってケイゴに言われて、またやったんですよ(笑)。あのとき還暦までとは言ったけど、それは「もうやらない」って意味だったのに(笑)。


■民謡から爆音ノイズまで……現在のバンド活動


ーー今年2017年5月には、羊歯明神のドキュメンタリー映画『SHIDAMYOJIN』の公開がありました。この映画をきっかけにして羊歯明神の活動が始まったんですか?


遠藤:映画にしようと思ったのは後です。羊歯明神の最初のライブは、いわきの志田名ってところの盆踊りをやるためだったんですよ。だから映画『羊歯明神』はそこからスタートしてるんですよね。でも映像的にはもっと遡って、たまたま記録してたのをいっぱい使ってます。2012年の震災の次の年に、初めて浪江の仮設住宅で『浪江音楽祭』をやったんですけど、そのときに仮設住宅の人たちが「盆踊りをやってくれ」って言うので、コンサートの次の日は盆踊りをやったんですよ。そのときは櫓を組んでカセットテープを回して盆踊りをやったんですけど、それがなんていうか切なく感動的だったというか……。年寄りの人たちが、みんな黙々と相馬盆唄を聴きながら盆踊りを踊ってるのを見て「盆踊りは、そんなに地域に住んでる人たちにとって大切なものなんだな」って感じたんです。それで、自分でも盆踊り・民謡をやってみようと思いました。それから次の年に、『プロジェクトFUKUSHIMA!』(福島出身/在住の音楽家と詩人を代表として集まった福島県内外の有志によるプロジェクト)で盆踊りをやろうってことになって。


ーー『橋の下世界音楽祭』も盆踊りで出演されてましたよね。


遠藤:『橋の下』が櫓の上でやった初めですね。別のステージもあってどっちでやるって言われて「絶対に櫓で」って言いました。でもまだあのときは誰もぐるぐる回ってくれなかったんですよ。でも今年はみんな回ってました。民謡なんかも昔のままやってもいいんですけど、リアルじゃないじゃないですか。民謡を伝統音楽じゃなくて現代の音楽・歌にするにはやっぱり歌詞を変えて今のことを歌いたいなっていうのがあるから。あのリズムだけはね、日本オリジナルなんですよ。ほかは何やっても真似してるだろって言われるんですよね。ロックもそうだと思うんです。音頭のリズムは日本独特ですね。


ーー来年2018年1月12日には新大久保アースダムで『THE REAL MONSTERS NIGHT “Raw! Raw! Raw & Rock’n’Raw Show !”』が行われます。一緒にライブをやる宮西計三さんという方は、THE STALINのアルバム『trash』のジャケットを描かれた方ですよね?


遠藤:そうです。THE STALINのジャケットを描いたのは宮西さんのほかにも丸尾末広さん、あとは平口広美さんとか、ひさうちみちおさんとか、漫画雑誌『ガロ』で書いていた人たちだったんですけど、『ガロ』だけじゃみんな食えないじゃないですか。それで彼らが食えるようなギャラの出る漫画の編集を友達がやっていて、みんな紹介されたんですね。最初のソノシート『電動こけし/肉』は平口広美さんで、最初のアルバム『trash』が宮西計三さん、アルバム『虫』が丸尾末広さんで、カセットブックの『ベトナム伝説』で蛭子能収さんとか。全部その繋がりなんですよ。


ーー今回宮西計三さんと一緒にライブをやるのは何年振りなんですか?


遠藤:随分前から知ってるんですが、僕はソロで宮西さんのTHE HUNDRED DEVILSのアルバム『JAPANESE ORIGINAL ROCK STYLE』が出る前に、盛岡で一緒にやってます。そのあと宮西さんから「アルバムのライナーを書いてくれないか」と言われて書いたあとなんですよ、THE ENDっていうバンドをつくったのは。それで宮西さんの方からTHE ENDとやりたいということで。


ーー今回はバンド形式で出るんですね。THE ENDはどれくらい活動してるんですか?


遠藤:2015年の12月にアルバム『0 (ZERO)』を出したのでまだ2年ぐらいですね。


ーー宮西計三さんとの久々のライブ、なにか意気込みはありますか?


遠藤:THE HUNDRED DEVILSの音を聞けば、宮西さんがなんでTHE ENDを指名してきたかっていうのがすごくよくわかります。


ーー長年の付き合いの中で今回2マンをやるというのはどんな気持ちですか?


遠藤:どういう世界になるかわからないですよね。最近の若いミュージシャンって、爆音・ノイズ・サイケデリック・アンダーグラウンドが嫌いらしいんですよ。でもどっちのバンドもそれしかない。若者に嫌われるバンドなんですよ。でもTHE ENDは全然ノイズばかりじゃないですよ。とてもポップなんで(笑)。