マクラーレン・ホンダF1チームの戦いをグランプリごとに辛辣に批評してきたF1速報WEBの連載「マクラーレン・ホンダF1辛口コラム」。パートナーシップの終わりに伴い、筆者のNick Richards氏が、スペシャル企画として、マクラーレン・ホンダの3年間を振り返り、なぜこのパートナーシップは成功しなかったのかを検証、それぞれが新しいパートナーとともに臨む2018年シーズンについても展望する。
3回にわたって掲載する特別編の第1回では、ホンダにとっての最大の過ちは何だったのかをNick Richardsが論じる。
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マクラーレン・ホンダのパートナーシップが終了したいま、この3年間を振り返り、なぜこのような惨憺たる結果に終わったのかを分析してみたい。公平に両者の状況を見ると、最大の過ちが起きたのは、マシンが走り出す以前、つまりパートナーシップが発表された2013年だったのだと、私は確信している。
ホンダはF1に復帰することに合意し、2013年の5月に正式発表が行われた。当時、F1のエンジンレギュレーションはかつてないほどの大きな変更を目前にしていた。信頼性が確立された、比較的ローテクのV8エンジンに代わり、1.6リッターV6エンジンにターボ、MGU-K、MGU-Hが組み込まれたハイブリッド・パワーユニットが2014年に導入されることが決まっていたのだ。新しい規則に備え、メルセデスは2010年の終盤から新パワーユニットの開発に本格的に取り組み始めていた。フェラーリが作業を始めたのは2011年半ば、ルノーはもう少し遅くて、2011年の終わりから取りかかった。その時点で開発期間はわずか28カ月しかなかった。
複雑なパワーユニットの開発に、他のマニュファクチャラーがどれだけ早くから着手していたかを考慮し、ホンダはマクラーレンに対し、F1参戦の準備は2015年には整わない、2016年までかかると、きっぱり主張すべきだった。2016年からの参戦なら、フェラーリと同じだけの準備期間を確保できた。
2014年の開幕戦メルボルンを迎えた時、戦う準備ができていたのはメルセデスだけだった。フェラーリのパワーユニットにはメルセデスほどのパフォーマンスがなく、ルノーはパフォーマンスにおいても信頼性においても他の2社に劣っていた。そういった事実がはっきり見えていたにもかかわらず、ホンダは2015年にF1に復帰するというプランを推し進め、エンジニアたちにあり得ないほどの困難を強いた。
そればかりか、ホンダはマクラーレンからのサイズと冷却に関する要求を受け入れた。この3年間、ホンダのV6はライバルたちのエンジンよりずっと小さく、バッテリーはルノーの半分以下といわれている。そのコンパクトさを実現するために、ホンダは限界を押し広げ、知識のない技術と格闘したが、克服の兆しすらみえなかった。
2013年から2014年にホンダの技術部門のリーダーたちはなぜこういう選択をしたのかを考えるとき、傲慢だったから、あるいは無知だったからという見方ができるだろう。私の意見を言うなら、その両方だったのだと思う。
ターボ、MGU-K、MGU-Hといった重要なエリアへの取り組みがどれほど大きなチャレンジであるのかについて、彼らは信じられないほど無知だった。そうでなければホンダは、マクラーレンが要求するコンパクトなサイズを受け入れたはずがない。マクラーレンの言う“サイズゼロ”コンセプトという難問を克服できるだけの技術は彼らにはなかったのだ。
ホンダはそれを早い段階で白状すべきだった。確かにメルセデスは2015年にマクラーレンにパワーユニットを供給するのを渋っただろうが、FIAとバーニー・エクレストンが、マクラーレンがエンジンのない状態でいるのを黙って見ていたはずがない。ホンダはマクラーレンにデザイン上の自由を要求した上で、プログラムの開始を2016年に遅らせるべきだったのだ。
しかし残念なことにホンダの技術部門の上層部にはそれだけの強さがなく、自分たちがこれから直面するチャレンジがどれだけのものかも理解していなかった。参戦する態勢を整えるための時間を十分に確保しない上に、技術力がないために成功する見込みのないプロジェクトでライバルのマニュファクチャラーに立ち向かい、その結果、2週間ごとに世界中に恥をさらす羽目になった。そんなことを続けていても、いい方向に進むはずがない。
確かに2017年型パワーユニットのデザインと開発は失敗だった。しかしそれは2014年と2015年に作り上げたものと違って、うまく機能するものを生み出す必要に迫られた結果であろう。基本的にホンダがマクラーレンとのプロジェクトに失敗した原因は、2013年と2014年の技術陣営が過ちを犯したことにあり、その過ちを改めることはもはや不可能だ。