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誰かに愛される姫から、誰かを愛するかわいいおばさんへーー『監獄のお姫さま』最終回を振り返る

2017年12月20日 17:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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「人を信じたおかげで、私は今ここにいます」


 ついに、最終回を迎えた『監獄のお姫さま』(TBS系)。気づく人にだけわかればいいといった遊び心たっぷりの伏線にニヤリとし、多くの名言にハッとさせられたクライマックスだった。


参考:『監獄のお姫さま』“思い出”を共有できる面白さ 宮藤官九郎脚本の粋なはからいを読む


■「満たされましたか? 誰のことも自分のことも愛せない、悲しい人」


 馬場カヨ(小泉今日子)らおばさんたちの誘拐劇は、“のぶりん“こと検事・長谷川(塚本高史)のファインプレーによって、板橋吾郎(伊勢谷友介)を追い込む決定的証拠に辿り着く。再審請求が通り、爆笑ヨーグルト姫事件の真相は吾郎が実行犯であることが証明され、姫(夏帆)の濡れ衣を晴らすことに成功した。


 法廷に立った姫の力強い眼差しが印象的だった。そこにいたのは、もう吾郎に言いくるめられる弱い姫ではない。「信じられる? 知らないおばさんだよ? 赤の他人の犯罪者のおばさんが恨み晴らしてくれるなんて怪しいじゃん。でも信じてみた。信じるしかなかった」かつて姫は、吾郎を信じて事件に巻き込まれ、母親を信じて勇介を奪われた。そして、おばさんたちを信じることで窮地を脱した。食事の肉や魚を選べなかったように、誰を信じるかを決められなかったことが、姫の世間知らずなところだったのだ。


 ドラマでは、これまで誘拐犯グループのニックネームがマスコミに流出し、先生(満島ひかり)が裏切ったのではないかという動きもあった。吾郎の体質から姫には別の男性がいるのではないかという疑惑も浮上した。「もう誰も信じられない」と嘆いた馬場カヨも、「もういいんです」とうつむいていた姫も、最後に信じたのは自分の正義。そして、同じ正義を胸に抱く仲間たちだった。何度も組まれた円陣や、おそろいのネイル、スマホケースも、バラバラの個性を持つ仲間の覚悟を確認するためのものだった。人は簡単に疑うし、忘れる。でも、信じたい。信じることでしか、私たちは繋がることができないのだから。


■「徐々に、そのうちわかる」


 ときには、自分の正義が社会のそれと食い違ってしまうこともある。吾郎の社長になりたいという自己実現も吾郎なりの正義だったはず。だが、それはいつしか人を思い通りに動かしたいという、実現不可能な欲望へと変わっていった。人は、自分の正義でしか動かないのだ。だから、他者に自分の正義ばかりを押し付けてもキリがない。満たされない枯渇感は、やがて歪んだ行動へと発展し、「過去の歴史も証明している」などと乱暴に正当化を始める。


 だが、頭で“これが正しい“と思い込んでも、きっと心のどこかで本質を見失っていることに気づくのだ。第1話で吾郎事件のフラッシュバックにうなされていたのも、吾郎がクズだが心底悪人ではないことを伺わせる。過去から学ぶことと、都合よく解釈することは全くの別物。チビ社長だった吾郎の歌が、おばさんたちの心の応援歌になっていたのも実に切ない。彼が孤独になっていった執念の象徴が、おばさんたちには仲間をつなぐ歌になったのだから。<みんなで食べよう~♪>幸せは、みんなで分け合うことでしか満たされないのだ。


 後日、吾郎が逮捕され、姫は釈放。姫の出所日には、おばさんたちと吾郎の現妻・晴海(乙葉)、そして勇介の姿が。勇介に複雑な大人の事情をどう説明すべきか。そこで馬場カヨは勇介に姫を「お姫さま」と紹介する。さらに財テク(菅野美穂)も「徐々に、そのうちわかる」と寄り添う。そう、理解するには時間が必要なのだ。


 吾郎も姫の父親と時間をかけて話し合っていれば……。幸い、女囚たちには時間がたっぷりあった。馬場カヨも時間をかけたからこそ、最初はいけ好かない女だといがみ合っていた財テクとの間に友情が芽生え、壁を作っていた先生との間に絆が生まれたのだから。今の世の中、スピード感が求められるのもわかる。だが、時間をかけなければ生まれないものもあるのだと、改めて感じさせる瞬間だった。


■「どのおばさんも、みんな誰かの姫なんだよ」


 「のぶりん、バカじゃなかった!」という馬場カヨの言葉も、長い時間をかけて築いた信頼関係があればこそ。頼り切らない、でもちょっとだけ期待をする絶妙な距離感。面会室の仕切りを懐かしがるカップルは、普通とは違うように見える。だが、冷静に考えれば、画面越しのコミュニケーションという意味では、最も現代っぽいかもしれない。どんな形であっても、お互いの思いを言葉にして伝え合う、その時間が大事なのだ。


 「いいか? どんなに若くてかわいい子も、いずれはおばさんになる。でも、かわいいおばさんは、もうおばさんにならない。俺の姫は、馬場カヨだ。いや、どのおばさんも、みんな誰かの姫なんだよ」と力説するのぶりんに、人としての成長を感じたのは筆者だけではないはず。人は平等に年を取る。日々の出来事を通じて、どんどん変わっていく。若いうちはその変化を成長と呼ばれることが多い。だが、年を重ねると劣化や老化などとネガティブな変化ばかりを取りざたされる。だから、年齢を重ねるのが残念なことのように感じられる場面が多い。


 そんな漠然とした不安を、若いうちには得られない、それこそ時間をかけてこそ光る魅力があるのだと、このドラマは言ってみせた。誰かに愛される姫から、誰かを愛するかわいいおばさんへ。こんなセリフを生み出した宮藤官九郎は、なんてステキな年の重ね方をしている人なのだろうと、うっとりする。


 時間は有限で、人生には必ず終わりがくる。厚生労働省が発表した2016年の日本人の平均寿命(参照)は男性が80.98歳、女性が87.14歳。いずれも過去最高を更新したという。若者と呼ばれるのは、せいぜい20代まで。実に50年以上、私たちはおじさん、おばさんとして生きるのだ。誰かを愛し、自分を愛し、かわいいおじさん&おばさんでいよう。いつまでも若えの若くねえの言える仲間と、ガッツリ結束しながら、愛嬌たっぷりの女優魂を持ち、ちゃっかりお金も稼ぎつつ、冷静に冷静に……。(佐藤結衣)