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瀬々敬久監督が語る、『ヘヴンズ ストーリー』から7年の変化 「“自由”が大切な時代になっている」

2017年12月11日 18:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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 2010年に公開された瀬々敬久監督作『ヘヴンズ ストーリー』のBlu-ray&DVD
が発売中だ。ベルリン映画祭で「国際批評家連盟賞」と「NETPAC賞(最優秀アジア映画賞)」を受賞したほか、国内外の映画祭などで高い評価を受けつつも、これまでソフト化されなかった本作が、7年の月日を経て、ついにパッケージ化された。実際に起きた事件をモデルに、家族を殺された幼い娘、妻子を殺された若い夫などを中心に、20人以上の登場人物が複数の殺人事件をきっかけにつながっていく。


 リアルサウンド映画部では、Blu-ray&DVDの発売を記念して、瀬々敬久監督にインタビューを行った。聞き手にモルモット吉田氏を迎え、今回のソフト化の経緯から、映画製作時と現代の状況の変化や、自身の映画製作のスタンスまで話を聞いた。(編集部)


■「映画に描かれている加害者・被害者の問題は万国共通」


――『ヘヴンズ ストーリー』が公開から7年を経てBlu-ray、DVDが発売されることになりました。


瀬々敬久監督(以下、瀬々)この映画を一緒に作ったプロデューサーから、「配信の世の中になるとパッケージというものは無くなるかも知れないから、これが最後のチャンスかも知れない」と言われたんです。たしかに近年は配信がものすごく増えているので、DVDやBlu-rayで持っているというのも選択肢の一つと思うので、この機会にやろうという話になったんですね。


――公開から半年後にソフト化しなかったのは何故ですか?


瀬々:映画館にお客さんは来てもらえましたけど、製作費を回収するには程遠い。それが悔しかったというのもありますが、4時間38分という長い映画ですから、映画館で上映し続けようやというムードが製作の側も配給さんにも漂ってきたんです。それで当面は映画館限定でしか見られない映画ですというリリースを出したら、それを読んだ人から「瀬々さん、DVDは出さないんですってね」と言われて、「当面」が抜けて伝わって(笑)。もう一生出さないつもりなのかと思われて。そうなると、こっちも無闇に出せないわけですよ。


――とはいえ、現在まで東京・新宿のK’s cinemaでは毎年再上映されて、新たな観客が増えていったのは、ソフト化されていなかったからですね。上映では、リピーターの方も多いんですか?


瀬々:新しいお客さんとの出会いもありましたが、リピーターの方も多かったですね。5、6回見ている人はザラにいました。百回以上見た人もいます。何回も見に来てくれる人の中には、刑務所の刑務官をやっているという青年もいました。


――各国の映画祭でも上映されましたが、印象に残ったことはありますか。


瀬々:カザフスタンの映画祭で上映した後に、客席のおじいさんが立って、「この映画の中の復讐は生温い気がするが、日本ではこれでいいのか?」って言うんです。向こうは“目には目を”の精神があるわけですね。その時、若い観客はブーイングするわけです。若い人々の中にはそういう発想はナンセンスという考えがあるんですね。今の時代はもうちょっと違うスタンスでやらないと新しい時代は来ないと感じている。だから旧世代のイスラム原理主義みたいな意見に否定的な反応をするわけですね。そういう意味で、この映画に描かれている加害者・被害者の問題というのは万国共通の部分があって、割りと受け入れられやすかったんだろうなと感じましたね。


■「個人であることが難しくなってしまった時代」


――この映画のモデルとなった光市母子殺害事件は、公開後の2012年に被告の死刑が確定しました。何か感じるものはありましたか。


瀬々:死刑判決が確定した後、遺族の本村洋さんのインタビューをテレビで見ました。記者から、今あなたはどう思いますかと問われた時の本村さんの答えが「きちんと仕事をして、納税をして、社会人として恥ずかしくないように生きていきたい」みたいな発言だったんです。僕には、どこか場違いな奇妙な印象があったんですよ。その後、門田隆将さんが本村さんについてのルポルタージュ(『なぜ君は絶望と闘えたのかー木村洋の3300日』新潮文庫)が出て、それを読んだら、その中に答えみたいなものが見つかった。最初の裁判で無期懲役と出た直後、絶望的になった本村さんは会社の上司の方から、「今、君は会社を辞めようと思っているかもしれないけど、君は一社会人としてこの裁判を戦うべきだ」と言われてるんです。その言葉に勇気づけられて彼は裁判を戦っていく。それが死刑判決が出た後の、あの答えと繋がっていると思ったのは、僕の勝手な解釈ですけど、あの言葉は、勇気を与えてくれた上司に向けて言ったんだと僕は思ったんです。それで何を感じたかと言うと、本村さんが裁判闘争を続けることができたのは、周りの人から支えられた部分が大きかったと思うわけですよ。


――『ヘヴンズ ストーリー』で妻と娘を殺されたトモキにはそうした支援はありませんね。


瀬々:一人孤立して、どんどん心を閉ざしていった。じゃあ、社会的な被害者である彼を護ってあげたり援助したりする共同体的な手助けがあれば、トモキの存在もまた違っただろうと。だから、僕たちが映画でやろうとしたのは、“個人”としての加害者、“個人”としての被害者がぶつかる時にどうなるかというものだったんですね。その“個人”というのは、同じように社会から阻害されていた個人と個人だったんだろうと。そこには語弊がありますけど、同類項みたいなものがあるというドラマだったと思うんですね。


――映画の製作時と現代の状況に違いは感じますか。


瀬々:2008年ぐらいから撮影していましたけど、その頃は個人と個人が発言して、思いをぶつけたりすることがまだ可能だった気がする。あれから7年ぐらい経ってますけど、今は個人が発言することがためらいがちな社会になってしまったなと思うんですよね。SNSというものが発達しているように見えるけども、何か言えば炎上だとか、周りが批評的な目で色んなことを見てしまいますよね。個人が個人であることが非常に難しくなってしまった時代に来てしまったという気がすごくして、そういう意味では犯罪事件にしても屹立した個人が見えてくるような事件は最近あまりないような気がしてくるというか。


――元々企画段階では、『ヘヴンズ ストーリー』を作るか、戦前の女相撲とギロチン社のテロリストを絡めた『菊とギロチン』を作るか迷った末に『ヘヴンズ』を作ったとのことでしたが、時代の空気を感じ取って企画を選ばれたような気がします。製作中の新作『菊とギロチン』はまさに今の時代に相応しい企画と思います。


瀬々:当時は『ヘヴンズ ストーリー』をやるべきだと思ったんでしょうね。今は『菊とギロチン』をやるべきだと思ったんだと思います。『ヘヴンズ ストーリー』を作るときは、渦中に入るということが重要だと思ったんですよ。自分が渦中に入って物事を見るんだみたいな。今、自分が何を大事にしようとしているかと言うと、「自由」ということが大切だなと思うんです。『菊とギロチン』はアナーキストと女相撲という自由に生きようとしている人たちを題材にしていますが、それは今がどんどん自由を狭められている時代という気がするからなんですよね。


――自由といえば、『ヘヴンズ ストーリー』は自主映画規模で製作されているだけに低予算ではありますが、5期に撮影期間を分けた長期撮影で、最初の脚本からもどんどん膨らんでいったそうですね。撮りながら検討する時間を設けられるというのは商業映画にはない贅沢な作り方ですね。


瀬々:それは大きいですね。普通は完成品が何時間になるか分かりませんというのは許されませんからね(笑)。そういう作る過程自体が映画を決めていくというか、撮影現場で起こること自体が映画なんだみたいな発想は、商業映画ではなかなか許されないところがあるので。


■メジャーとマイナーの区別はない


――『ヘヴンズ ストーリー』以降も次々に新作を撮られていますが、メジャー大作『64‐ロクヨン‐前編/後編』もトータルの上映時間は4時間になりますし、内容的にも『ヘヴンズ ストーリー』の延長中に見える部分もあります。


瀬々:言ってしまえば復讐劇みたいなところもあるし、そういう意味では『64』でも渦中に入って作るみたいな思いで撮っている映画ですね。『ヘヴンズ ストーリー』以降は色んな作品をなるたけ区別せずにやろうとしているんですよ。メジャーだからどうだとか、マイナーだからとか言わずにスタンス的には区別せずにやって来ているというのはありますね。


――スタッフの方を見ても、『ヘヴンズ ストーリー』と『64』をまたがって手がけている方も多いので、規模に違いはあってもスタッフワークとしては連続性があるのではないかという気がしますが。


瀬々:『ヘヴンズ ストーリー』で助監督だった菊地健雄と海野敦は『64』もやってますし、撮影の斉藤(幸一)さんも、録音の高田(伸也)君もそうです。菊地にしても録音の高田くんにしても映画美学校の僕の生徒だったんです。そういう人たちで『64』みたいな東宝の本編を作るというのは、それはそれで面白いなと思うわけですよ。そういう意味じゃ自主映画もメジャーも同じスタッフでやっているんですよね。『菊とギロチン』も似たようなスタッフでやっていますから、映画の大きさの違いはあまり関係ないですね。


——ところでDVDとBlu-rayには特典映像として「ヘヴンズ ストーリーの10年」という瀬々監督が構成・演出を担当した新撮映像が付くそうですが。


瀬々:長谷川朝晴さん、村上淳さん、忍成修吾さん、山崎ハコさん、菜葉菜さんにインタビューしているんですが、サト役の寉岡萌希さんとハルキ役の栗原堅一君には、映画に出てくる浦賀の渡船のところに行ってもらってカメラを回しています。


——寉岡さんはその後『リュウグウノツカイ』などの映画にも出演されていますが、瀬々監督の作品にはこの後、登場していませんね。


瀬々:やっぱりね、寉岡さんは『ヘヴンズ ストーリー』の中で少女から大人になったという、あの瞬間の奇跡みたいなイメージが僕の中であるんですよ。そういう意味では僕の他の作品に出てもらうと、あの聖なる瞬間を壊してしまうんじゃないかというような恐れがあって。僕の中で寉岡さんとはこれ1本という気がどこかするんです。長谷川朝晴さんにも、そういうところがあるんですよ。彼らがこの映画を背負ってくれた主役だから、そう思うんですが。ものすごい芝居をいっぱいやってもらったし、なかなか他の映画でちょっとした普通の役を演ってもらうという気に、なかなかならないんですよね。


——ソフト化が実現したことで、初めて目にする方も増えると思いますが。


瀬々:サトとハルキという少年少女の成長譚でもあるので、若い人たちがとっつきやすいと思うんですね。彼らが身近なところで死を経験して、その死の意味を知っていって成長する。それから、1章1章の短編を連続してつなげているような作品ですから見やすいと思います。今日は1章観よう、明日はもう1章観ようという見方があっても僕は全然構わないし、そういう意味では自由な見方ができる映画だと思うので、ぜひ食わず嫌いせずにこの世界を覗いて欲しいと思いますね。


(取材・文=モルモット吉田)