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高橋一生は“サポート役”で活きる俳優だ 『民衆の敵』藤堂役で見せる“情”

2017年12月11日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 最初のうちは、シングルマザーの貧困や、待機児童問題、商店街の衰退などの身近な問題が描かれていた『民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~』。しかし後半では前市長の汚職によりヒロインの佐藤智子(篠原涼子)が市長となり、政治を裏で牛耳る犬崎(古田新太)との対決が描かれている。


参考:『民衆の敵』市長・篠原涼子を脅かす黒い影 田中圭と石田ゆり子の不倫疑惑も浮上


 後半ではシリアスなシーンも多くなったが、最初はカメラに向けて登場人物が語りかける演出などあり、少しそこにのりきれないところもあった。ただそれも、政治を題材にしたドラマを親しみやすくしたいという、製作者たちの意気込みであろうことは理解できる。


 また、ヒロインがごく普通の主婦であり、そんな女性が市長として孤軍奮闘しているというギャップを出すために、政治に対してまったく知識がないという風に描かれていた。彼女は普通の主婦だからこそ、正義や善悪に対してはピュアなキャラクターであると強調したいのもわかる。しかし、昨今のドラマを見ていても、ヒロインの天真爛漫さや、ちょっとおバカなところを強調したキャラクターが共感につながるとも思えないところがある。


 人気の高橋一生は政治家の藤堂という役を演じている。ある日隠れ家のように使っているボロアパートの別の部屋にデリヘルの仕事でやってきた莉子(今田美桜)が、雨に濡れてふらついていた藤堂を助けたことで交流が始まり(ドラマを見ている限りでは、仕事として呼んで関係を続けていることが見てとれる)、政治家として日々緊張感のある毎日を過ごしている藤堂のある種の癒しの時間となっているのが見てとれた。このシーンで、高橋一生の裸のショットが多いために、喜ぶ視聴者もいれば、あからさまなサービスと思われる演出に「これではない」と思う人もいたようだった。


 個人的には、こうした視聴者のことを過度に意識したドラマの作りにも、やはり最初は少しのりきれないところがあった。だが、後半にきて、ヒロインも天真爛漫なだけではやっていけない状況が描かれるようになってからは、ぐいぐい引き込まれるようになった。


 と同時に、最初は上半身裸でセクシーな場面が見どころになっていた藤堂のキャラクターにも変化がみられるようになった。


 冷静沈着で、でもあくまでも家業として政治家を継いだだけの二世議員であることにどこか負い目を持っているような複雑なキャラクターであった藤堂だが、佐藤智子と共に仕事をするうちに変化していくのが見て取れる。


 高橋一生が飛躍した作品を何でとらえるかは人それぞれだと思うが、例えば『民王』などがあった2015年あたりは、秘書などのサポート役、男女問わず誰かを支える姿にも定評があったと思う。


 本作の、自分の前をあぶなっかしく走る女性市長の佐藤智子をあるときはたしなめ、あるときはサポートするという役割は、高橋一生に期待されるある種の型のひとつではないだろうか。既婚の市長と副市長に指名された藤堂とは、徐々に相棒のような関係になりつつある。藤堂はときおり智子を見て「おもしろい人ですね、ほんと、見てて飽きないです」とあきれて笑う。そんな様子は、ラブコメの定番のワンシーンのようにも見えるが、そこに恋愛関係のようでいてそれとも違う何らかの情があるのが見える。男女のバディということなのだろうか。


 後半の藤堂は、莉子との関係性も変化していく。出会ったころは、趣味がカメラと思しき藤堂が莉子の写真を撮ろうとしたところ、お店の規約で写真はダメと拒否していた莉子が、5話では、「写真を撮って」と自らリクエストする。それは、藤堂と金銭の絡まない関係性になりたいということを意味するのだが、この関係性の変化もせつなく描かれていた。このドラマの高橋一生は、二人の女性に対して、二つの別の形の情を見せているのだ。


 次第にそれぞれのキャラクターが深まり、また市議会を裏で牛耳る犬崎という大きな壁が立ちはだかって、あの天真爛漫だった智子が、そのピュアな発想だけではままならず、「権力」や「政治」についてさらに真剣に考える段階に来ている。そしてそんな智子に対して冷静に助言する藤堂。現実の政治とも重なると思わせる部分があるだけに、智子や藤堂がどんな選択をし、どんな結果を得るのかが最後まで見逃せない。(西森路代)