先月、はてな匿名ダイアリーに「夫に育児を語られたくない」という投稿がありました。投稿者は、夫が子育てについてSNSで語ったこんな言葉に、深く傷ついています。
「育児はライフサイクルの一番ボトルネックになるタスクなのに効率化できる余地が少ないから難しい、耐えるしかない」
夜中、子どもの寝かしつけで授乳している間に書かれたらしいこの投稿に、彼女は「悲しくて悲しくて、どうしようもない気持ちになった」と苦しい胸の内を明かしています。(文:篠原みつき)
投稿者は「嫌だとか辛いと思ったことは一度もない」
「ボトルネック」とは、製造工程などにおいて、性能が低く効率が落ちる部分・要因のことで、「タスク」は、簡単にいえば仕事のことです。子育てを工業的に例えた夫の言葉は、育児をまるで「人生の足かせ」とみなしているようにも感じます。
それに反して投稿者は子育てが苦にならないタイプらしく、出産後の2か月間、子どもの成長の1つ1つを喜び、幸せを噛みしめながら過ごしてきました。睡眠不足やゆっくり食事ができないことは時々愚痴りたくなるものの、「嫌だとか辛いとか思ったことは今のところ一度もない」としています。
そこに夫が、育児を「タスク」「耐えるしかない辛いもの」と書いたことは、相当なショックでした。この2か月を否定されたような気がした上に、子どもへの愛情も感じられず、「ほんとうに悲しいしがっかりした」「もう育児を語るのはやめてほしい」と悲嘆に暮れています。
これには、はてなブックマークは400以上つき、投稿者に対する同情や励ましのコメントが多数寄せられました。
「過酷なプロジェクトの参画者2名で、主管が緊急対応でくたびれてるのに、その間にサブが主管も見る公開アカで、偉そうな横文字ツイートでつらたんアピしてたらそりゃあ腹立つわ」
「我が子に触れ合う時間をボトルネックって…」
「ビギナーは語りたくなるもの」と、いなすコメントも。子持ちの筆者も同感で、彼女の悲しみはよく分かります。育児は「効率」から一番遠いところにあるもので、効率を気にしていたら精神的にやっていられません。
夫の協力によっていくらでも効率化できる部分はあるのに「耐えるしかない」と言い放ったことには、夫が育児に向き合うことから逃げているとの見方もありました。
夫なりに「子育て」を考えている途上かも?
一方で、「つらいと感じるのは駄目なの?」と、夫に理解を示すコメントもあります。別に妻を否定している言葉ではない、乳幼児の世話が辛いことは確かだという指摘です。
日常的に「我々はこの子の奴隷だね」「仕事のほうがまし」などと夫に対して言っていると書いた人は、「育児はすごく大変と思っているが、赤子のことは愛しています」と説きました。客観的に冷たいように見える分析をしていても、子どもへの愛情とはまた別、ということでしょう。
また、「耐えるしかない」のは自分ではなく、「効率化して楽させてあげたいのだけど難しい、(二人で)耐えるしかない」という意味ではと説く人も。「母乳だと代わってあげられないので、最初の三ヶ月くらいの睡眠不足は見ててつらかった」としています。
夫のSNSは、未確定要素の大きい子ども相手という現実を、彼なりに把握し受け止めようとしている途上の、気持ちの整理だったかもしれません。
ただ、家族が見ることもあるSNSでこの言い方は、やはり不用意だったと言わざるを得ません。秘密のアカウントだったかどうかは不明ですが、こういう心情吐露は妻の目に触れないところでやるほうが、お互いのためというものです。