スズキで開発ライダーを務め、日本最大の二輪レースイベント、鈴鹿8時間耐久ロードレースにも参戦する青木宣篤が、世界最高峰のロードレースであるMotoGPをわかりやすくお届け。第7回は、MotoGPマシンの重量配分について。最近のMotoGPでよく見られるジャックナイフ状態で走り続けるシーン、これにはどこにマスを持っていくかに秘密があった!?
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F1で著名なレーシングカーデザイナー、ジョン・バーナードさん。カーボンファイバー・コンポジット製シャシーやセミオートマチック・ギヤボックスなどを開発したバーナードさんだが、実はMotoGPマシンの開発にも携わったことがあるのをご存知だろうか?
彼が手がけたのは、プロトンKR5。そしてこのマシンを2003年に実戦で走らせていたのは、当時現役MotoGPライダーだったワタシ、青木宣篤である。
バーナードさんが行った試行錯誤でよく覚えているのは、バッテリーの搭載位置だ。今でこそMotoGPマシンのバッテリーはラジコン用かと思うほど小型軽量化されているが、2003年当時はごく普通の鉛バッテリーで、重量は2キロほどもあった。この重量物をどこに配置するのが最適か、バーナードさんはいろいろ試していた。
ダミータンク内に収めてみたりといろいろトライしていたが、走らせる側として一番しっくりきたのはエンジン左横だった。これがもう、ホントにエンジンの横っちょにいきなりバッテリーがくっついている状態……!「テストだから」ということでバッテリーもむきだしである。
「おいおい」という見た目だったが、それでもブレーキング時の接地感は確実に高まった(これについて説明すると長くなるのでまたの機会に譲るが、とりあえずここでは「挙動がよくなった」とご理解ください)。
バーナードさんは、補機類をマス(重量物)と捉え、その位置を変更することでどう挙動が変化するかつかもうとしていたのだ。これはかなり時代を先取りしていた考え方だったとワタシは思う。
■時代とともにシビアになっていった補機類の位置
ちょっと説明が必要になるが、GPマシンが2ストローク500ccエンジンを使っていた時代には、補機類の位置は今ほど重視されていなかった。
というのも、2ストはマシンそのものが最低重量130キロと驚異的な軽さだった(現在のMotoGPマシンの最低重量は157キロ)から、最大の重量物である人間の体さばきでどうにかなっていたのだ。エンジン搭載位置については昔から気を遣っていたが、補機類まではさほど気にしていなかった。
2002年からGPマシンが4スト化されると重いエンジンの搭載位置による重心設定があらためてクローズアップされたけど、補機類にまで思いをめぐらすことはなかった。
何しろ4ストエンジンによって全体的にものすごく重くなったし、エンジンパワーも凄まじくなったので、細かい補機類の搭載位置は今ほどシビアに突き詰められていなかったのだ。
ところが2009年、MotoGPタイヤがブリヂストンのワンメイクになったことで、事態は一変する。タイヤがイコールコンディションになった分、あらゆる物事の突き詰め度合いがものすごくシビアになっていったのだ。
重心に関して言えば、それまではマスはだいたいセンターに集めておく、という『マス集中』がセオリーだったが、その考え方だけでは足りなくなってきた。
当時のブリヂストンタイヤは、前輪のチャタ(微振動)が問題視されていた。一方でブリヂストンは『アルティメット アイ』というものすごく高度なタイヤ解析技術を持っていて、動いている状態のタイヤの挙動をバッチリと可視化、計測している。
この『アルティメット アイ』によって、『前輪に何キロの荷重をかければチャタは解消する』というように具体的な数値が提案されていた。
ワタシはその頃すでにスズキのMotoGPマシン開発ライダーになっていたが、「スズキさん、何キロ荷重が足りませんよ」という具合に指摘されるわけだ。これを解消するために、マスをセンターに集めるだけではなく「少しフロントに持っていこう」というように重心バランスをいじり始め、実際にそれでうまくいった。
そして2016年、タイヤがミシュランのワンメイクになると、MotoGPライダーの多くは「前輪が頼りない」と口をそろえるようになった。タイヤのグリップ不足を感じた場合、一般的には荷重をかける方向にセットアップする。
「前輪が頼りない=フロントに荷重をかける=ブリヂストン時代よりさらにフロントにマスを持っていけばいい」となりそうなものだが、面白いことに実際は逆だった。
フロントにマスがあると、ミシュランの前輪の適正荷重を超えてしまうようで、うまくいかなかったのだ。そこで、マスを後ろに持っていくことで対応。結果として、後輪のグリップ力というミシュランの強みを高めることにもなった。
■ジャックナイフ走行の秘密は『マスの後ろ寄り』にあり
話をまとめよう。MotoGP初期(2002年~、タイヤ何でもアリ時代)はマスをセンターに集中させ、ブリヂストンワンメイク期(2009~2015年)はフロント寄り、そして現在に至るミシュランワンメイク期(2016年~)はリヤ寄りということになる。
もちろん、セオリー通りにマスをセンターに集めるのが大前提。実際にホンダはいつの時代もセンターマスを貫いているように思う。だが、メーカーによっては車体特性に応じてさらに一歩進めたプラスアルファを考えているのだ。
しかも、かつてバーナードさんは「2キロのバッテリーをどこに置くか」で苦心していたが、今は「ECUをどこに置くか」といった具合に数100グラム単位まで追い込んでいるのだ。
「ホントですか~?」「そんなにシビアなんですか~?」と疑っているアナタ。ホントです。ワタシ自身、身をもって『リヤ寄りマス』の恩恵を体感している。テストでGSX-RRを走らせていて、やたらとストッピーをしている自分に気づいたのだ。
ストッピーとは後輪が浮いたジャックナイフ状態でターッと前進していこと。ブレーキングで後輪が浮くのは、前転しそうになるから結構怖い。それなのにGSX-RRでは平気でストッピーできる!
「オレがうまくなったのか……!?」と思ったが、これ実は、マスがリヤ寄りになったことでブレーキング時の安心感が高まったからでした……。
普通ならフロントブレーキをわずかにゆるめて後輪を着地させたくなるのに、ちっとも怖くないから後輪が浮いている状態でさらにフロントブレーキを握り込んでいけるのだ。MotoGPのブレーキングがどんどんハード&ディープになっている要因のひとつを、身をもって体感したことだった。
最近のMotoGPのブレーキングでは、やたらと後輪を浮かせたストッピーを見かける。「これぞマスが後ろ寄りになって安心感が増したから」と言いたいところだし、実体験からも間違いなく一因になっていることは確か。でも、話はそう簡単じゃない。
『メーカー別リヤ寄りマスGP』は1位ドゥカティ、2位スズキ、3位ヤマハ、4位ホンダの順なのに、ストッピーがもっとも目立つのはホンダのマルク・マルケスなのだ……。これは「速いライダーのマネをすべし」というライダー心理が働いているから。それはそれで面白い話だから、いずれ詳しく説明したい。
そんなわけで、数100グラム単位の補機類の搭載位置にまで気を遣っている最新MotoGPマシン。今から14年前の2003年にその重要性にいち早く気づいていたジョン・バーナードさんの先見の明は、やっぱりスゴイ。
よく「F1のテクノロジーは、10年遅れて2輪レースに活かされる」なんて言われるが、悔しいけどある意味ホントなのかもしれないな……。
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■青木宣篤
1971年生まれ。群馬県出身。全日本ロードレース選手権を経て、1993~2004年までロードレース世界選手権に参戦し活躍。現在は豊富な経験を生かしてスズキ・MotoGPマシンの開発ライダーを務めながら、日本最大の二輪レースイベント・鈴鹿8時間耐久で上位につけるなど、レーサーとしても「現役」。