2017年12月01日 11:13 弁護士ドットコム
当時5歳だった女の子(都内在住)が、秋祭りで景品の駄菓子を手に取ったため、ボランティアの80代男性から叱責され、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして、祭りの主催者だった埼玉県深谷市を相手取り、約190万円の損害賠償を求めた裁判の判決が11月9日、東京地裁であった。判決では、叱責されたことなどをPTSDの原因と認め、深谷市に約20万円の支払いを命じた。
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この判決に対し、ネットでは「叱られたぐらいでPTSDになるのはおかしい」など親子への批判が少なくなかった。「悪いことをした子どもはきつく叱るべきだ」「周囲の大人が子どもを叱るのは昔からあったことだ」と考える人もいるかもしれない。しかし、その日の大人たちによる女の子への接し方は、最新の科学的研究から見た場合、決して適切とは言えない。
これまでの大人の「常識」が、どれだけ子どもを傷つけているのか。メディアではあまり報じられなかった判決文を読み解きながら、なぜ女の子はPTSDとなり、それがどのような影響を及ぼす危険性があったのか、『子どもの脳を傷つける親たち』(NHK出版)を著した福井大学「子どものこころの発達研究センター」(福井県永平寺町)の友田明美教授に聞いた。 (弁護士ドットコムニュース・猪谷千香)
親子連れでにぎわう地域の秋祭りで、一体何があったのか。
判決で認定された事実によると、2014年11月22日、当時5歳だった女の子は、深谷市の施設「ふかや緑の王国」の秋祭りに家族と出かけた。お祭りで家族が目を離した隙に、女の子は無人だった輪投げ会場の受付に近づき、台の上にあった景品の袋から駄菓子を取り出したところ、ボランティアの男性が気づいて、女の子を大声で叱責して駄菓子を取り上げた。
近くのコーナーにいた父親は、男性の大声が聞こえてきたので、母親と女の子のもとへと駆け寄った。女の子がお菓子を手に取ったことで、男性から大声で注意を受けたことを母親が伝えると、女の子は泣き出した。それから父親は男性に近づき、大声を出して女の子を泣かせたことについて謝罪を求め、2人は女の子の面前で口論になった。
その際、深谷市の職員が2人の口論を聞いて駆けつけ、全員で施設の管理棟に移動し、父親の通報を受けて警察官が到着。その間も、女の子は泣き続けていた。女の子は先に、母親と一緒に母親の実家に帰り、画用紙いっぱいを黒いクレヨンを塗りつぶした絵を描いている。
両親の訴えによると、事件の当日、女の子は口数も少なく、夜も「あのおじさんが夢に出てくる」といって怯え、いつもは午後9時に寝ているにもかかわらず、眠りについたのは午後11時を過ぎていた。翌日も女の子は元気がなく、食欲もなかった。夜もまた、「怖い夢をみる」といって、なかなか眠れなかった。
3日目も状態に変化がなかったため、両親は女の子を心療内科のクリニックを受診させた。女の子は12月末までの28日間、クリニックに通院し、カウンセリングを中心とした心理療法を受けた。担当医師は約半年後の2015年4月、女の子の病名をPTSDであると診断するに至った。
これらの事実を受けて、東京地裁はどのように判断したのだろうか。判決文は、女の子のPTSDの原因を明確にしている。
男性を法廷で本人尋問した際、片耳がほとんど聞こえない状態であり、「地声は相当に大きかった」と指摘。お祭りの日も、「激高した時は相当に大きな声を出したものと認めるのが相当である」と指摘している。
そして、「男性は、曲がったことが嫌いな性格で、物を盗むことが悪いことを小さい頃から子どもに教えるべきであり、5歳の子どもが物を盗むのは親によるしつけができていないと考えていたから、女の子が駄菓子を取り出すのを見て、親のしつけができていないと考えて、激高して相当に大きな声で注意したものを考えられる」と判断した。
その上で、「男性から大声で注意された女の子は、その当時5歳であったから、相当に強い精神的ショックを受けたものと考えられる」とし、「女の子のPTSDは、男性に注意されたことが契機となり、その後の父親と男性の口論を見て、相当に強い精神的ショックを受けたために発症したものと認めるのが相当である」と結論づけた。男性が女の子を注意した声は相当大きく、それによって女の子が強い精神的ショックを受けることは、男性も十分に予想できたとして、賠償責任を認めている。
一方、親側の過失についても、判決文では触れられている。母親は女の子のそばにいたにもかかわらず、その行動を見ていなかったために、駄菓子を手に取る前にやめさせることができず、もし女の子の行動を注視していれば、男性の女の子に対する注意や、精神的ショックの大きさも違っていた可能性があると指摘した。
この判決では、「子どもを大声で叱責する」という行為を、PTSDの原因と明確に言い切っている。しかし、ネットでは男性は本来、親がやるべき「しつけ」をしただけで、親子の反応は大げさと非難する声があった。
しかし、これは本当に「しつけ」にあたるのだろうか。小児精神科医で福井大学「子どものこころの発達研究センター」の友田教授はこう説明する。
「『大声で叱責する』『駄菓子を取り上げる』などは、殴る蹴るなどの身体的な虐待ではありませんが、分別のついていない子どもに対して、諭すのではなく、怒鳴りつける行為は『マルトリートメント』にあたると考えます」
マルトリートメントとは、1980年代からアメリカなどで広まった表現で、日本語で「不適切な養育」と訳され、子どもの健全な発育を妨げるとされている。友田教授の著書『子どもの脳を傷つける親たち』によると、虐待とほぼ同義だが、「子どものこころを身体の健全な成長・発達を阻む養育をすべて含んだ呼称」であり、「大人の側に加害の意図があるか否かにかかわらず、また、子どもに目立った傷や精神疾患が見られなくても、行為そのものが不適切であれば、それは『マルトリートメント』」なのだという。
友田教授は、男性の行為についてこう話す。
「この男性と女の子の力関係は対等ではありません。『強者』である大人が、『弱者』である子どもを怒鳴りつけるという行為は、わたしたち大人が想像するより女の子に強い衝撃を与えたことでしょう。彼女の誤りを正す方法はほかにもあったはずです。一昔前には、封建的な親が怒鳴ったり叩いたりしていうことを聞かせるということがあったかもしれません。しかし、『しつけ』とは子どもに恐怖を与えることではなく、正しく導くことが目的でなければなりません」
ニュースで報道される児童虐待といえば、ひどい暴行や性的虐待など、極端なケースが多い。しかし、マルトリートメントには、しつけと称して脅したり、威嚇したり、暴言をぶつけるといった心理的・精神的な虐待も含まれる。多くの子どもに関わる大人が、自分は児童虐待と無関係だと思って見過ごし、日常的に不適切な接し方で子どもを傷つけてしまっている可能性もあるのだ。
では、マルトリートメントは子どもにどのような影響を与えるのだろうか。外見からはわかりづらい「心の傷」を可視化するため、友田教授とハーバード大の研究グループはさまざまなマルトリートメントを受けた人の脳の画像検査を行った。
その結果、マルトリートメントが発達段階にある子どもの脳に大きなストレスを与え、実際に変形させていることが明らかになった。これまでは、生来的な要因で起こると思われていた子どもの学習意欲の低下を招いたり、引きこもりになったり、大人になってからも精神疾患を引き起こす可能性があることが分かった。
たとえば、親から暴言を浴びせられるなどのマルトリートメントの経験を持つ子どもは、過度の不安感や情緒障害、うつ、引きこもりといった症状・問題を引き起こす場合があるという。
友田教授らは、暴言のマルトリートメント経験者と未経験者のグループに精神的トラブルを抱えていないかなどアンケートを行い、それぞれの脳をMRIで調べた。その結果、経験者のグループは大脳皮質側頭葉にある「聴覚野」の一部の容積が、未経験者に比べ平均14.1パーセントも増加。子ども時代に暴言を受けたため、正常な脳の発達が損なわれ、人の話を聞きとったり、会話したりすることに余計な負荷がかかるようになった可能性を指摘している(『子どもの脳を傷つける親たち』より)。
マルトリートメントは、PTSD発症のリスクを高める。今回のケースでも、女の子はPTSDと診断された。子どものPTSDとはどのような症状なのか、友田教授に聞いた。
「一般論で言えば、人は、あまりにも過酷で耐えがたい体験をしたとき、その体験記憶を『瞬間冷凍』し、感覚を麻痺させることで自分の身を守ります。しかし、その体験は新鮮な状態で丸ごと保存され、類似した音や視覚などの刺激で何度も、何年後でも『解凍』されることがあります。
具体的には、自分自身や近親者の生命に危険が生じるような事態に遭遇し、強い恐怖や無力を感じたとき、その体験はトラウマになります。例えば虐待などの暴力や災害、そして戦争などです。
うまくトラウマの治療がなされないと、人生の大半において、傷が刺激され、冷凍した記憶がよみがえる生活を強いられることもあります。最悪なことに、トラウマは成長したあとに心の病気やDV行為、アルコールや薬物依存などの形で現れることもあります」
両親の訴えによると、女の子は事件後、眠れない、食欲がなくなる、自分を怒鳴った男性の夢をみる、などの状況が数日間続いていた。父親が気分転換にと公園へ連れて行っても、元気がなかったという。
「子どものPTSDには、主要な症状としては、『再体験』『回避』『過覚醒』があります。
『再体験』とは、過去の体験を意図せずに繰り返し思い出してしまい、苦痛を感じることです。悪夢をみてうなされて眠れない、ふとした拍子に蘇り、体験した時点に引き戻されたかのような感覚、さらには動機・発汗・震えなどの身体的な反応を伴います。また、出来事を連想させるような物事に触れると、苦痛を感じてしまい、大人に比べて抑制が利かないことが多いので、突然興奮して過度の不安状態や緊張状態に陥ったり、パニックやけいれんを起こしたりします。
また、その体験を思わせる遊びや話を繰り返すことが特徴的で、早急にこの再体験を伴う反復行動をやめさせていくことが重要です。突然人が変わったようになったり、現実にはありえないことを言い出したりする行動も、再体験の現れです。
『回避』は、原因となった出来事に関する事柄を避けようとする肉体的・精神的な行動を言います。一般的には、その出来事のことを考えたり話したりすることを避け、そういう場所に近づかないようになります。思い出すこともいやがり、逆に意識的に思い出そうとしても、肝心な内容が思い出せなくなったりもします。
また、『自分が自分でなくなるような』症状が出てくることもあります。こうなると、好きだったはずの物事に以前のような関心が持てず、周囲との間に壁ができたように感じて疎遠になります。また感情が自分のものとして感じられず、愛情や幸福感などの自然な気持ちが薄まってしまったような感覚を受けたりもします。
子どもの『回避』症状は、普段より活動性が低下するところから始まることが多い特徴があります。表情や会話が乏しくなり、ぼーっとしていたり、引っ込み思案になったり、さらには食事などの日常の行動にも支障がでてくるため、食欲がなくなると訴えたりします。もちろん、勉強への集中力も低下し、記憶力も下がるようになります。また観察していると、好きだったはずの物事へ関心を示さなくなっていることもあります。
『過覚醒』は、気持ちが落ち着かず、いつも興奮しているような状態です。具体的には、眠れなくなったり、些細なことに苛立って怒りっぽくなったりすることが続きます。また危険に対する警戒心が過剰で、些細な物音にでも激しく反応してしまいます。子どもは、大人と同様に、いつも怯えて、そわそわして落ち着かず、少しの刺激にも激しく反応して驚いて泣き出したりします。
詳しくは、『子どものPTSD』(診断と治療社・友田明美、杉山登志郎、 谷池雅子編)をお読みいただければと思います」
今回の判決では、原告である両親や被告である深谷市、双方の主張にはなかったが、男性と父親が女の子の面前で言い争ったことも、PTSDの原因であると認めている。面前での暴言の応酬も、やはりPTSDの原因になりうるのだろうか。
「子どもと密接に関わる人への言葉の暴力もマルトリートメントになり、PTSDの原因となります」と友田教授は話す。「これまで、直接、子どもが被害を受けていないため、子どもの発達との関連についてはあまり指摘されてきませんでしたが、両親間のDVを目撃すると、実際はこころと脳に多大なストレスがかかります」
児童虐待防止法でも、2004年の改正時に児童虐待の定義の中に、「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと」(第二条)を含めている。
楽しいお祭りの日に、自分よりも大きな大人の男性に突然、大声で叱責されるという出来事が、たった5歳の女の子に与えたストレスは、「たかが叱られたぐらいで」という言葉で片付けるには、あまりに重すぎるのではないだろうか。
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