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会社の「悪貨」に「良貨」を駆逐されない方法 「真実の光」で職場を照らすしかない

2017年12月01日 10:31  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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「悪貨は良貨を駆逐する(Bad money drives out good.)」とは経済学の法則の一つで、名目上の価値が等しく、実質上の価値が異なる貨幣が同時に流通すると、良貨はしまい込まれて市場から姿を消し、悪貨だけが流通することを意味する言葉です。

これが転じて、現在では「悪がはびこると善が滅びる」とか、「一部に悪いものがあれば全体が悪いものとみなされてしまう」という意味で使われることが多いようです。これは職場においても起こる現象です。

職場にネガティブな考え方や捉え方が発生すると、どんどんそれに感染してネガティブになる人が増えていくことがよくあります。今回は、組織や職場に発生した「悪貨」を放置すると、「良貨」まで駆逐されて組織が腐敗するメカニズムについて考えてみます。(文:人材研究所代表・曽和利光)

目に見えない組織は「心理的な存在」である

組織とは目に見えないものです。会社において営んでいる事業や商品・サービス、そこにいる社員、人間は客観的な存在ですが、組織はそうではありません。

組織図という骨組みぐらいは書けたとしても、その本質である文化や風土などは、経営者から一般社員までそれぞれの頭や心の中にあるものです。組織には、そこに関係する人の数だけの「心理的な真実」があるというわけです。

人事コンサルティングなどで「御社の社風は?」と質問すると、いろいろな人が「うちの会社はこんな会社」「うちの職場はこんな雰囲気」という持論を語ってくださるのですが、それが本当にここまで正反対となるかと思うぐらい異なることに驚きます。

かように組織とは、その構成員が持つイメージの集合体というのが本質であり、集団幻想のようなものです。このため、いかようにでも誤解したり、妄想したりすることが可能です。

自分の会社を「きっと世界一の会社になるはずであるポテンシャルの高い会社だ」と思うことも、「言うことだけは立派だけれども実体の伴わない口だけの嘘つき会社だ」と思うことも可能です。そして、その両方がどちらも間違いとは言い切れないのが難しいところです。

しかも、未来の話のみならず、いま起こっている現実的な事象ですら異なる解釈が可能です。例えば報酬について「うちの会社は給料が安い。搾取されている」と思うこともできれば、「まだこれだけしか成果が出せていないのに、ここまで出してくれるなんてありがたい」と思うこともできます。

「良貨」は組織のことなど気にしていない

このように、悪にも良にも解釈できる状況において、どちらの考え方が勢力を伸ばしやすいでしょうか。コンサルティングをさせていただいているクライアント企業の様子を見ている限りにおいては、どうも残念ながら「悪貨」の方が多いようです。

多くの企業では、業績低迷期や不況期などには「悪貨」が徒党を組んで、裏で経営批判を吹聴したり、手抜きやサボタージュなどを推進したりするようになっています。その影響を受けて、組織の「良貨」人材が蝕まれていくのです。

なぜそうなってしまうかと言えば、組織を「悪」と思い込みたい勢力の方が、その意見を広めるモチベーションが高いからです。自分がいる組織を良い組織と思っている人が意識を集中しているのは、基本的に自分の仕事や顧客です。ところが組織を「悪」と思いたい人は、組織に意識を集中しています。

大体の場合、「悪貨」は会社から冷遇されており(あるいは、高すぎる自尊心と会社の処遇が見合わないために、勝手に冷遇されていると思い込んでおり)、その仕返しとして組織を悪に仕立てようとします。しかしその冷遇は、単純にその人のパフォーマンスが低かったり、会社の方針に従わなかったりしたからという場合が多いものです。

それでも組織の「悪貨」は、本来集中すべき仕事や顧客に集中しないために、低パフォーマンスは続き、会社からはさらに冷遇される。そして、そのまた反応として「悪」をまき散らす……という、悪循環が起こります。

情報公開で「疑心暗鬼」を消していく

こうした「悪貨」が増殖すると、嘘から出た真ではありませんが、みんながそう思っているならこの組織は本当に悪いのかもと、「良貨」人材も蝕まれていくのです。

このように「悪貨が良貨を駆逐してしまった」とき、つまり組織や職場に対して悪い印象を持つ人が増えてしまった場合、どんなことができるでしょうか。

解決策は一つしかありません。それは「真実の光」によって職場を照らすことで、悪という影を消していくことです。つまり、経営や組織にまつわる客観的な事実をオープンに情報公開することで、組織の中にいる人々の心の中に生まれた「疑心暗鬼」を消していくということです。

例えば「うちは給料が安い」という暗鬼には、「同業他社はこれぐらいの報酬で、むしろ高い」とか「これぐらいの成果に対しては、これぐらいの報酬が相場だ」という事実を当てれば、「うちは給料が安い」というのは間違いで、「自分の評価が低く、給料が安い」ということを認識せざるを得ません。

「会社の経営が危ないらしいぞ」という暗鬼には、「今うちの財務はこういう状況で、全くの安全区域だ」と数字を見せればそれでお仕舞いです。このように、ぐうの音も出ない事実で、暗鬼を封じ込めていくしかないのです。

「知らしむべからず」との難しいバランス

ただ、難しいのが、論語の有名な言葉「由らしむべし知らしむべからず」とのバランスです。人民に為政者の道理を理解させることは難しい。だから、為政者は人民を従わせればよいのであり、その道理を人民に分からせる必要はない、という意味です。

なんでもかんでもオープンにすれば「悪貨」は消える、というのはナイーブな考えでしょう。なんでもネガティブに考える「悪貨」が、開示した情報をまた曲げて解釈して、悪いイメージを上塗りする可能性も大いにあります。

上に挙げた給料の例でも、オープンにしたらしたで、今度は別の「暗鬼」が生まれるかもしれません。ものの研究によれば人は他者評価よりも自己評価の方が2割増しだそうです。「なんであいつがオレよりも給料が高いんだ」というようなハレーションが起こるのが目に見えます。

このバランスの取り方が本当に難しいために、うまくいかないことが多く、結果、組織や職場においても「悪貨が良貨を駆逐する」ということになってしまっているのかもしれません。「何を見せて、何を見せないか」。ここに経営者の判断力が試されるということでしょうか。