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【柿元邦彦今日の一言】「その別名を知らないのは我輩だけであった」

2017年11月29日 12:12  AUTOSPORT web

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車両、パーツ運搬のトランスポーターの間、中央に作戦ルームとなるNフォースを配置
柿元邦彦著『GT-R戦記』一部抜粋連載最終回。

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移動基地 Nフォースの設置
 2000年代になると、レーシングカー技術の複雑化やレースの戦略、戦術の高度化、関係者の増加による混乱などにレース場の現場で対処する必要性が生じた。

  そこで、シャシー&エンジン・エンジニア達の部屋やドライバーがリラックスする部屋、ミーティングルーム、無線・作戦ルーム等を備えた2階建ての巨大なトレーラーハウスもどきのMobile Headquater通称“Nフォース”を新造した。

 これがトレーラーヘッドに引かれレースごとに各レース場を巡るわけであるが、日本の道路運送法で高さ制限があるため、現地に行ってから2階部分の屋根が伸びるようにして、ヘッドクリアランスも確保した。

 ニッサン/ニスモのカラーである赤を基調に目立つ外観とし、内装もホテル並みの高級感を出してモータースポーツの洗練されたイメージの醸成に努めた。建築を趣味とする我輩が細部まで指示するので、ニスモと実際の運用を行う京浜運輸の担当者はへきえきしていたに違いない。

 2001年に日本のモータースポーツ界としては初めて導入し、チーム戦とも言えるスーパーGTで好結果を得る縁の下の力持ちとなった。その後続々と他のメーカー系も導入し、今や各チームカラーでパドックが埋め尽くされている。

 余談であるが、Nフォースの1階には我輩が使う総監督の部屋があった。そこはドライバーやエンジニア、時には監督が呼び込まれて怒られるので、通称『お仕置き部屋』と呼ばれていたらしい。らしいというのは、我輩自身全く自覚がなかったからである。

 2008年夏の暑い盛り、Nフォースは移動中にオイルホースが切れて発火し燃えてしまった。被害は大したことはなかったが、我輩の部屋だけは全焼してしまった。そのことで『総監督に対する皆の怨念のせいだ』という声が上がり、我輩は『お仕置き部屋』を知ることになった。

 そしてNフォースは2009年から2代目になり、総監督の部屋は2階に移っている。

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2004~2015年スーパーGT日産系チーム総監督・柿元邦彦氏の著書『GT-R戦記』 12月1日発売です。