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息の長いシリーズになる可能性も!? 探偵モノ×バディ・ムービー『探偵はBARにいる3』の魅力

2017年11月25日 12:52  リアルサウンド

リアルサウンド

 探偵の活躍は、古くから観客を魅了してきた。例えば、『マルタの鷹』(41)のサム・スペードや『ロング・グッドバイ』(73)のフィリップ・マーロウ、或いは『チャイナタウン』(74)のジェイク・ギテス。日本でも『犬神家の一族』(76)の金田一耕助や『私立探偵 濱マイク』(93~96)がシリーズ化され、子供たちの間では『金田一少年の事件簿』や『名探偵コナン』の人気が今なお高いことからも、それらは裏付けられる。


参考:大泉洋、『探偵はBARにいる3』大阪プレミアで暴走!? 「4の舞台を道頓堀とすると決めました」


 一方、これまで映画の中で描かれてきた“探偵像”は、往々にして「アウトローで荒っぽく、女にめっぽう弱いけれど、それでいて優しい」というものだった。探偵というキャラクターは、我々の平和な日常と危ない世界とを橋渡しする役目を持っている。劇中に登場する市井の人々から探偵が好かれているのと同じように、観客もまた“探偵”のキャラクターに魅了されてきたのである。


 東直己のミステリー小説『ススキノ探偵』シリーズを映画化した『探偵はBARにいる』は、2011年に第1作が公開され、興行収入12億2000万円を記録。続く第2作『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』は2013年に公開され、大泉洋と松田龍平のコンビが事件を解決してゆくという人気シリーズとなった。その4年ぶりの新作となったのが、今回の『探偵はBARにいる3』である。


 今回の特徴は、原作から離れてオリジナル色の濃い脚本となっている点にある。前作から4年の歳月を経た理由のひとつに、この脚本開発があった。『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』の舞台挨拶で「3」への続投を宣言した大泉洋だったが、実は2012年に製作のチャンスがあったのだという。脚本にこだわったという大泉は「2作目が終わった時に3作目をやることは決定していたんですけど、そこからより良いものをということで、台本作りなどをじっくりやらせて頂きました」と語っている。そこには、本来は別物であった<探偵モノ>と<バディ・ムービー>という二つの要素をミックスさせた、本シリーズの魅力の秘訣を感じさせるのだ。


 前述通り、映画における“探偵像”は一匹狼のアウトローであることが多いため、英語で〔Buddy film(相棒映画)〕と呼ばれる<バディ・ムービー>とは相反する要素を持っている。そのため、孤高のヒーロー(或いは、それを演じる俳優、例えばクリント・イーストウッドやスティーヴ・マックィーン、トム・クルーズなど)は、バディ・ムービー向きではないと言われてきたのだ。


 バディ・ムービーは
1. 対照的な個性の二人組が、ある同じ目的に添って共に行動することで物語が展開する。
2. 二人組は、基本的に男性二人。コンビの設定には、その時代の社会意識が反映され、彼らが行動を共にすることで友情や絆が深まる。
3. およそ西部劇・喜劇・アクション・ロードムービーといった“ジャンル映画”と組み合わされ、それらのジャンルは、時代によって推移・変化している。
と定義されている(※)。


 19世紀の小説『トム・ソーヤの冒険』のコンビに、その源流があると言われているが、時を同じくして19世紀末に発表された『探偵ホームズ』シリーズのホームズとワトソンのような思弁性を重要視したコンビ設定よりも、行動的で冒険色の強い作品の方が<バディ・ムービー>とされる傾向にあった。例えば、1940年代のビング・クロスビーとボブ・ホープによる『珍道中』シリーズや、1950年代のディーン・マーティンとジェリー・ルイスによる『底抜け』シリーズは、その系譜だと言える。


 1980年代になると、『48時間』(82)や『リーサル・ウェポン』(87)などの刑事アクションが<バディ・ムービー>の主流となってゆく。そして、1990年代には、人種や性別の問題が<バディ・ムービー>に取り入れられ、黒人と白人のコンビである『メン・イン・ブラック』(97)や、東洋人と黒人のコンビである『ラッシュアワー』(98)、或いは、フェニミズムを含んだ『テルマ&ルイーズ』(91)などが生まれてゆく。男性と女性のコンビである『X-FILE』(映画版は98年)には、『名探偵ホームズ』シリーズ的な要素があることを指摘できるが、やがて2000年代になるとガイ・リッチー監督による『シャーロック・ホームズ』(09)のように、前述の<探偵モノ>を<バディ・ムービー>に取り込んでゆくという変化を見せるようになったのである。


 つまり『探偵はBARにいる』は、<探偵モノ>でありながら<バディ・ムービー>でもあるという、時代の潮流や変化によって生まれた作品のひとつであるといって過言ではないのだ。それは、このシリーズが現在の邦画において最強だという由縁でもある。本来<探偵モノ>は、ほろ苦い終幕を迎えることが常であった。そこには<運命の女>=<ファム・ファタール>と呼ばれるヒロインが物語に介在し、悲劇的な結末を導くからでもあった。『探偵はBARにいる』シリーズでは、1作目の小雪、2作目の尾野真千子に続いて、3作目では北川景子がヒロインを演じている。今回のヒロインが前2作と異なるのは、探偵と接点を持っているという点にある。<フィルム・ノワール>における<運命の女>というよりも、『男はつらいよ』シリーズにおけるマドンナの存在に近いヒロイン像なのだ。このことは、シリーズ継続のヒントに成り得るように思える。それは、大泉洋の演じる“探偵”が「毎回マドンナからの依頼を解決するも、結局は結ばれない」というひな形を踏襲することで、息の長いシリーズになる可能性を秘めているからだ。


 そこで重要となるのが、相棒である松田龍平の存在。二人のオトボケぶりによって<バディ・ムービー>の軽妙さを生み、悲しいだけでは終わらせない<探偵モノ>にもなっているのだ。都市の片隅を舞台にした『探偵はBARにいる』は、様々な事情を抱えた人々の依頼を題材にしながら「不幸は社会の底辺に溜まる」とも描いている。前2作が悲劇的に事件を解決させた<フィルム・ノワール>のような趣があったとすれば、本作には“希望”が残されている。「自分の大事なもののため、誰もが必死で生きている」というモノローグに心動かされるのは、過酷な時代の波を生き抜く人間の諦めない姿を『探偵はBARにいる』という映画が、人情味たっぷりに描いているからにほかならない。(松崎健夫)


※『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)より