第64回マカオグランプリは11月19日、ギア・サーキットでFIA F3ワールドカップの決勝レースが行われたが、終盤2番手につけ、最終ラップの最終コーナーでクラッシュしたフェルディナンド・ハプスブルク(カーリン)が、自らのレースを振り返っている。
1997年生まれのハプスブルクは、フルネームはフェルディナンド・ズボニミール・マリア・バルサス・キース・ミハエル・オットー・バーナム・レオンハルト・フォン・ハプスブルク。オーストリア皇帝の血筋であるハプスブルク=ロートリンゲン家の現当主、カールの息子という出自をもつ。14歳からレーシングカートをはじめ、フォーミュラ・ルノー2.0などのキャリアを重ね、2017年にFIAヨーロピアンF3に参戦。初めてのF3シーズンは1勝を含むランキング7位で終えていた。
トップカテゴリーへの登竜門であり、“F3世界一決定戦”であるFIA F3ワールドカップは、ハプスブルクにとっては昨年に続く2回目の挑戦。予選で5番手につけ上位をうかがう位置につけると、予選レースでも5位フィニッシュ。迎えた11月19日の決勝では、トップを争ったジョエル・エリクソン(モトパーク)とカラム・アイロット(SJMセオドール・レーシング・バイ・プレマ)が3周目に接触すると、3番手につけていた。
ペースに勝るハプスブルクは、11周目に2番手につけていたマキシミリアン・ギュンター(SJMセオドール・レーシング・バイ・プレマ)をオーバーテイク。首位を走っていたセルジオ・セッテ・カマラ(モトパーク)を追う。2台は終盤接近し、ファイナルラップのリスボア・ベンドでハプスブルクがセッテ・カマラに並びかけるもののオーバーテイクには至らず。これで勝負ありかと思われた。
しかし、ハプスブルクは山側終盤のメルコヘアピン立ち上がりでピタリとセッテ・カマラの背後につけると、フィッシャーマン・ベンド立ち上がりでアウト側からセッテ・カマラをパス。最終のRベンドでわずかに前に出ていたが、セッテ・カマラがアウト側のタイヤバリアにクラッシュするとハプスブルクも曲がり切れずバリアにクラッシュしてしまった。
フロントウイングをはじめ、マシン右側を壊したハプスブルクは、壊れたマシンを引きずるようにチェッカーを目指したが、最後はダニエル・ティクトゥム(モトパーク)らがその脇をすり抜け、ハプスブルクは4位という結果となった。
「最後の最後までは、素晴らしいレースだったよね」とハプスブルクは振り返った。
「マシンとペースはすごく良くて、タイヤの状態を注意深く見ていたんだ。僕は自分ができるすべてをやっていった。ギュンターをいい動きで抜くことができて、セルジオに追いついてからは、残り3周でアタックできるようにしたんだ」
「彼をキャッチアップしてから、すべてを注いだよ。そう。すべてだ。僕は彼よりも速かったし、タイヤの状態も良かった。そして何より、勝利が欲しかったんだ。2位で終えるつもりはなかった。子どもたちが2位のドライバーの名前を覚えていると思うかい?」
ともにヨーロピアンF3を戦った牧野任祐や佐藤万璃音によれば、皇族出身らしい振る舞いはまったく感じないというハプスブルクは、悔しさかすべてを出し切った達成感か、フィニッシュ後に自チームのピット前にマシンを止めると、両手を挙げチームスタッフとともに自らのアタックを称え合った。
「僕はプッシュして、自分がやれるすべてをやったんだ。だから、自分が成し遂げたことには満足しているよ」