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【崖っぷち折原コラム】退路を断って追い込まれた21歳、笹原右京の運命の日

2017年11月11日 20:41  AUTOSPORT web

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最終ラウンド第1レースのスタート直後に接触し、4番手グリッドから入賞圏外まで順位を下げた笹原
『笹原右京』

 彼の名前を耳にしたのは、もう8年も前になるだろうか。彼がカートで走っている頃の話だ。片山右京選手のファンだった彼の父が、片山選手の名前をもらって名付けたことや、僕が片山選手の写真を専属で撮っていた経緯もあって、『笹原右京』は妙に気なる選手のひとりだった。

 その後、笹原右京はヨーロッパに渡り、カートでチャンピオンとなり、フォーミュラ・ルノー2.0にチャレンジしていることまでは噂に聞いていた。だがその後、噂を耳にすることが少なくなり、消えてしまったのだろうかと想像していた。

 ところが昨年の夏、二輪の鈴鹿8時間耐久レースのテストの撮影に行った時に、鈴鹿で再会することになる。聞けばSRS-F(鈴鹿サーキット・レーシングスクール・フォーミュラ)のオーディションに来ていると言う。彼の実績から考えれば、講師でもおかしくないのに。その疑問をぶつけると、「もう、レースを続けるにはこれしか道がないんです」。キッパリとそう言い切った。その時はどんな事情があったのか知らなかったので、そうなのか、モッタイナイな、くらいにしか思わなかった。

 そして今年、スーパーGTの開幕戦の岡山で、再び彼と再会する。今度はSRS-Fでスカラシップを獲得して、FIA-F4のドライバーとして現われた。カートでワールドチャンピオンになり、ヨーロッパのミドルフォーミュラで戦ってきた笹原右京。彼にとって入門カテゴリーであるFIA-F4は、楽に勝てるものだと勝手に思っていた。

 事実、その岡山の2戦を笹原右京は優勝と2位で走りきった。当然の結果だと思っていたが、本人は「とんでもないです。必死ですよ」と語っていた。もちろん、楽に勝てるレースなんてありはしないのだが、少なくとも多少の余裕があるものと思っていた。ヨーロッパで揉まれてきたドライバーに、入門カテゴリーが必死と言われてもその時はピンとこなかったが、その後、5月のオートポリスで再会した時に彼が言う、必死の意味を知ることになった。

 それまでも、笹原はしっかりとトレーニングを重ねてきたことが見て取れる肉体をしていた。だけど彼はそこからさらに減量をしてきたのだ。それもひと目見てわかるくらいに、余計な肉がそぎ落とされている。

「FIA-F4はパワーがないので、体重を落とさないと重くて速く走れないんです。今は体脂肪が4%を切っているので、油断するとすぐに風邪引いてしまうんです」。そんなことを、事も無げに言う。そこまで努力できる人間にはチャンピオンになってほしいし、上のカテゴリーに上がって行ってもらいたいと思うし、その資格があると思う。笹原右京は僕にとって、ますます気になるドライバーとなった。

 2位の宮田莉朋選手に13ポイント差をつけて、ランキングトップで迎えたFIA-F4最終戦。ツインリンクもてぎで土曜日と日曜日に1レースづつ行われるFIA-F4のレース1が土曜日に行われた。前日の予選でポールを奪ったのは、宮田選手。対して笹原は4番グリッド。もしこのまま順位が変わらなければ、1レースの残して同ポイントになる。笹原にとっては、かなり追い込まれた状況でレース1がスタートした。

 どういった心境でスタートしたのか知る由もないが、笹原は1コーナーで他車に接触。順位を8番手まで落としてしまう。対して宮田は好スタートでトップをキープ。そのままポール・トゥ・ウインを成し遂げた。笹原はというと、追い上げるも、5位までしか順位を回復できずポイントリーダーの座から引きずり降ろされた。

 日曜日の今シーズンの最終レースで、2ポイントを追う立場となった笹原。第2レースのスターティンググリッドも、第1レースと同じで宮田がポールで右京が4番グリッド。前に出たもの勝ちのレースで、大きなビハインドを背負うことになった。

 今年、レース人生を賭けて挑んだFIA-F4で崖っぷちまで追い込まれた笹原が、どんなレースを見せてくれるのか。不謹慎かもしれないが、日曜日のレースが楽しみで仕方がない。 
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折原弘之(おりはら・ひろゆき)
2輪のレースカメラマンを経て、4輪モータースポーツへ。F1を中心に世界のさまざまなレースを撮影し、オートスポーツ誌などで掲載。気になったことは直接ドライバー、チームに聞くスタンスで独自のレース観を切り開いている。今季からスーパーGT、スーパーフォーミュラなどを舞台に、不定期でオートスポーツwebでコラムを掲載。