レッドブル・レーシング代表のクリスチャン・ホーナーは、過去にチームが2度のF1世界チャンピオンであるフェルナンド・アロンソと契約目前だったことがあると明かし、その交渉の経緯について語った。
2008年当時、アロンソはルノーF1チームに所属していたが、翌シーズンの移籍先を探していた。
ホーナーはイギリスのMotor Sport Magazineに「アロンソとは契約目前だったことがある」と語った。ホーナーとレッドブルのモータースポーツコンサルタントであるヘルムート・マルコ博士が、当時のアロンソのマネージャー、フラビオ・ブリアトーレと協議していたというのだ。
「ヘルムートと私が2008年の終わりに彼のマネジメント担当のもとを訪ねて、2009年と2010年シーズンに関する話し合いを行った。我々からは2年契約を持ちかけた」
しかし、アロンソが1年契約にしかコミットしないことが判明したため、協議は暗礁に乗り上げた。
「彼は1年間しか契約しないということだった。我々は、レッドブルの立場としては2年契約か契約しないかのどちらかだと伝え、彼は2年契約にはコミットしないとのことだったのだ」
このときレッドブルは、2008年シーズン終了後にF1から引退することになっていたデイビッド・クルサードの後任ドライバーを探していた。
レッドブルはアロンソ側との協議が決裂した後、マーク・ウエーバーのチームメイトとして、姉妹チームのトロロッソからセバスチャン・ベッテルを昇格させた。ベッテルは2010年から4年連続でドライバーズタイトルを獲得した。
ホーナーは、アロンソは2009年にフェラーリに移籍する契約をすでに進めていたのだろうと思ったと言うが、実際にはそうはならなかった。
「これにはフラビオも関わっていたが、彼はアロンソを当時自分が代表を務めていたルノーF1で走らせようとしていた。結局、彼はルノーで(約)10年に渡って走ることになった」とホーナー。
ルノーに残留したアロンソにとって、翌2009年はフラストレーションの募るシーズンとなった。ホーナーによれば、その年の途中に、レッドブルとアロンソ側との間で再び交渉があったという。
「2009年の半ばに『彼はシーズン途中でも移籍できるか?』という打診を受けた」と、ホーナーは回想した。
「彼らは、レッドブルのマシンでならアロンソはタイトルを勝ち取れるだろうと考えていた」
結局アロンソはレッドブルに移ることなく、2010年に長い間望んでいたフェラーリのシートを獲得した。だが、それからさらに数年たった後にも、レッドブルとの間で非公式の協議は行われていたという。
「数年後の2011年か2012年にも、スパの空港にとめたアルファロメオの後部座席で彼と話し合った」とホーナー。
「(だが)一番最初に行った協議が最も本格的なものであり、その後、チャンスは失われた」