2017年11月08日 19:22 弁護士ドットコム
過労死等防止対策シンポジウム(厚生労働省主催)が11月8日、東京都千代田区のイイノホールで開かれ、NHK首都圏放送センターの記者で2013年に過労死した佐戸未和さん(当時31)の母恵美子さんが過労死遺族として講演した。
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恵美子さんは、「未和が土日もなく連日深夜まで働いていることを、チームの誰かが気遣ったり、配慮することもなく、職場で一番弱い未和が犠牲になった。失わずに済んだ命でした」と時折言葉を詰まらせながら思いの丈を語った。
当時31歳だった未和さんは、都議選と参院選取材直後の2013年7月に心不全のため急死した。都庁記者クラブにいて、候補者や政党の取材だけでなく、出口調査などの情勢分析にも携わり、社内の会議や番組への出演もしていた。亡くなった後にNHKから入手した勤務記録を見ると、土日もなく、連日深夜まで働いている異常な勤務状況だった。
両親が労災申請にあたって、勤務記録のほか、タクシーの乗り降り記録やパソコン、携帯での記録を調べた結果、亡くなる直前の1か月の時間外労働時間は209時間、その前は188時間だった。
当時NHKでは、事業場外みなし労働時間制が適用されていた。未和さんの死後、職場の上司は恵美子さんらに「記者は時間管理ではなく、裁量労働で個人事業主のようなもの」と複数回伝えたという。
恵美子さんはこうした管理職の意識について、「労働時間のチェックもコントロールもせず、無制限な長時間労働を許すことになった。組織としても社員の命と健康を守るために、適切な労働時間を行うという責任感、厳格なルールが欠けていた」と批判した。
また、未和さんが亡くなった後、NHKからは都議選、参院選で正確、迅速な当確を打った成果をたたえた「報道局長特賞」が届いたという。
「災害や事件で一刻の猶予もならぬ人の生死に関わるような取材活動に奔走した結果ならともかく、選挙の当確を一刻一秒早く打つためだけに200時間を超える時間外労働までして娘が命を落としたかと思うと、私はこみ上げてくる怒りを抑えることができません」。
恵美子さんは、「会社の過労死の再発防止と改革の推進を見つめていく」と話し、「私たちと同じ苦しみを背負う人が今後二度と現れないことを、切に願っております」と結んだ。
恵美子さんが語った内容の全文は以下の通り。
2013年7月25日、午後2時半。当時駐在していたブラジルのサンパウロで、私たち遺族は長女未和の悲報を受けました。娘の職場の上司の方から、主人の携帯に「未和さんが亡くなられた」と。状況も死因も皆目わからず、半狂乱になった私は引きずられるようにしてその日の最短便に乗り、2日後、死後4日目の変わり果てた娘に対面しました。
夏場で遺体の損傷も激しいため、翌々日に葬儀を出し、私は放心状態のまま家にこもり、毎日毎日娘の遺骨を抱きながら、娘のあとを追って死ぬことばかり考えていました。人生の道半ばに達することもなく、生を断たれた未和の無念さ、悔しさを思うと哀れでならず、親として我が子を守ることをできなかった深い後悔の念に苛まれ、自分を責め、今もなお、もがき苦しんでいます。
あまりに突然の死。真夏、夏場の炎天下2か月にわたる、都議選と参議院選挙取材直後の急死、これは過労死ではないかと思いました。娘の勤務先から入手した勤務記録を見た時、主人は泣いていました。
候補者、政党の取材や演説への動向、出口調査、街頭調査、票読み会議や形勢展望会議、情勢についてのテレビ報道、テレビ出演、当確判定業務などに奔走し、土日もなく、連日深夜まで働いており、異常な勤務状況でした。まともに睡眠をとっていませんでした。
労災申請にあたり、娘の勤務記録のほか、タクシーの乗り降り記録、パソコンに残っている受発信記録、携帯電話での交信記録を調べた結果、亡くなる直前の1か月の時間外労働時間は209時間、その前は188時間でした。
どうして、こんな長時間労働が職場で放置されていたんでしょうか。娘は報道記者であり、事業場外みなし労働が適用されていたようで、職場の上司は娘の死後、「記者は時間管理ではなく、裁量労働で個人事業主のようなもの」と何度かおっしゃいました。
こうした管理職の意識が部下の社員の労働時間のチェックもコントロールもせず、無制限な長時間労働を許すことになり、また、組織としても社員の命と健康を守るために、適切な労働時間を行うという責任感、厳格なルールが欠けていました。
同じ職場のチームワークのあり方にも問題があったと私たちは思っています。記者は「めいめいが自己管理」という縦割りの考えが強く、選挙取材中、チーム内で互いに助け合うこともなかったようです。一番若くて独身で身軽な未和が、土日もなく連日深夜まで働いていることをチームのベテラン記者の誰かが気遣ったり、配慮することもなく、職場で一番弱い未和が犠牲になりました。失わずに済んだ命でした。
未和が亡くなったあと、会社から娘に対して、都議選、参院選での正確、迅速な当確を打ち出したことにより、選挙報道の成果を高めたとして、報道局長特賞が届きました。
災害や事件で一刻の猶予もならぬ人の生死に関わるような取材活動に奔走した結果ならともかく、選挙の当確を一刻一秒早く打つためだけに200時間を超える時間外労働までして娘が命を落としたかと思うと、私はこみ上げてくる怒りを抑えることができません。
なぜこんな長時間労働が放置されたのか。徹底的な自己検証と過労死への深い反省がなければ、どんな働き方改革も取り組みも職場には浸透しません。私たちは、未和は今後会社が進める一連の働き方改革の人柱になったと思い、過労死の再発防止と改革の推進を見つめていきます。
娘はかけがえのない宝、生きる希望、夢、そして支えでした。未和の匂い、未和の体の温かさを私はこれからも忘れることはありません。私たちと同じ苦しみを背負う人が今後二度と現れないことを、切に願っております。
(弁護士ドットコムニュース)