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川村結花が語る、Dr.kyOn・佐橋佳幸との制作風景「子供に戻って音楽を楽しんでいる極上の時間」

2017年11月08日 19:02  リアルサウンド

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 川村結花にとって2年ぶりのスタジオ録音アルバム『ハレルヤ』。これは日本のトッププロデューサーでもあるキーボーディストのDr.kyOnとギタリストの佐橋佳幸からなるユニット“Darjeeling(ダージリン)”が日本クラウン内に新設したレーベル〈GEAEG RECORDS〉(ソミラミソ レコーズ)からリリースされるもの。Darjeelingのふたりがプロデュースを手掛け、もちろん川村と共に演奏も行なっている。ふたりの鉄壁のコンビネーションによって川村のシンガーソングライターとしての核となる部分がステキに剥きだされた、そんなジャジー&フォーキーなこのアルバムについて、話を聞いた。(内本順一)


・半径5メートル以内の宇宙を書いていきたい


ーー新作『ハレルヤ』のプレスリリースに川村さんご自身の「ごあいさつ」が載っていて、今年の春に佐橋さんから今回のリリースについてお電話があったということですが、そのお話を聞いた瞬間、どのように思われましたか?


川村結花(以下、川村):「結花ちゃん、ちょっと長くなるけどいいかな? 実はこれこれこうでね。どうかな?」って訊かれたんですけど、「それを断る人はいないでしょう」って(笑)。それはもう、光栄だな、幸せだな、と思いましたよ。


ーーkyOnさんと佐橋さんが設立した〈GEAEG RECORDS〉(ソミラミソ レコーズ)は、“音の愉しみを知る大人たちに良質で豊かな新しい音楽を発信していく”レーベルということですが、そのコンセプトにも共感できた。


川村:はい。しかも配信ではなく、パッケージを作りたいということでしたので。


ーーこれは日本に限った話ではないけど、いまはどうしても若い人向けのポップスを中心に音楽業界が回っていて、大人がじっくり聴ける良質なポップスが生まれにくくなっているところがある。レコード会社としてもそういうものを流通させるのがなかなか難しい。そうした状況に対して、川村さん自身、もどかしさを感じていたところもあったんですか?


川村:いや、私自身はそこまで思ってなくて。楽曲を提供させていただくのも、やっぱり若い歌手の方が多かったりしますからね。それに私のライブに来てくださるのは、30代、40代、それより上の方が多いんですけど、そういう方たちってちゃんと自分の音楽の好みをわかっていて、自分でライブハウスを探して観に行かれている。豊かな気持ちになりたくて、自分で好きなものを探して行かれるわけです。私の同級生の友達なんかもそうですけど、意外と私も知らないマニアックなライブに行っていたりするんですよ。だから私としては、大人が聴きたい音楽を聴くことができない状態だというふうには、そんなに思ってなかったです。


ーーなるほど。ではDarjeelingプロデュースの第1弾作品として、kyOnさんと佐橋さんは川村さんのこのアルバムをどういうものにしたいと考えていたんでしょうね。


川村:おふたりがおっしゃったのは、まずピアノ弾き語りという私のスタイルが確立しているので、そこに佐橋さんのギターとkyOnさんのオルガンやアコーディオンが合わさったものを核にしようと。ドラムやベースが入るにしてもアコースティックな音楽で、フォーキーで、ジャジーで。そういう感じがいいよねってところは、初めから一致していました。ですから、私がやりたいことをすぐ楽譜にして、いきなり楽器の前に座って3人で「せーの」みたいな感じだったので、それぞれの考えがぶれるようなことはまったくなく。それは参加してくださったミュージシャンも同じだったと思います。


ーー通常だと、アルバムを作ることが決まったら、どんなコンセプトで、それに合うプロデューサーは誰がいいのか、どんな楽器編成がいいのかとひとつずつ決めていくわけですが、今回の場合は“kyOnさんと佐橋さんのプロデュースで作る”というところから始まっているので、そういう意味では着地点も見えやすかったでしょうね。


川村:そうですね。曲もありましたしね。このアルバムのために改めて書き下ろした曲はないので。弾き語りライブでやっていた曲を含め、私がやりたいなって思う曲を15~16曲セレクトして聴いていただいたんですけど、「これがいいね」っていうのが3人のなかで一致したので、その簡単なコード譜を私が書いてお渡しして。それを前にして「せーの」で音を出した段階で、もう曲ができあがっているというか。例えばそのときに佐橋さんがギターでパッと弾いてくださるフレーズだったり、kyOnさんが鍵盤でパッと弾いてくださるフレーズだったりは、すでにおふたりのなかで構築されているものなので、「じゃあもう一回やりましょう」ってときに、その音がないともう気持ち悪い。だからものすごく早かったし、ものすごく集中しました。


ーー全8曲収録のアルバムですが、15~16曲のなかからどのあたりをポイントにしてセレクトしたんですか? 何か全体のテーマのようなものはあったのでしょうか。


川村:「絶対にこれは入れよう」という曲が初めにいくつかあって、それと曲調がかぶるようなものは外していって。明確なテーマがあったわけではないですけど、あまり重たくないものを選びたいという気持ちはありました。“心の深くに突き刺さって、ズキっとして涙が出る”というよりは、“なんかホンワカして涙が出る”というようなもの。柔らかくて、あったかい手触りのもの。無理してなくて、何回も聴ける気持ちのいいものがいいなと思ってました。


ーープレスリリースの「ごあいさつ」に、「この8つの歌たちは50年目の私の素な“暮らしのうた”です」とありますが、まさにそういう曲たちですよね。瞬間的に沸き起こる強い衝動のようなものではなく、日々の暮らしのなかで大事にしてきた思いというような。


川村:はい。


ーーもっとも、川村さんはこれまでも一貫してそういう曲、日々の暮らしのなかから生まれる曲を歌っていますよね。


川村:まあ、あんまり突飛なことやファンタジーを書けるほうではないので。半径5メートル以内の宇宙を書いてますし、書いていきたいなと思っています。


ーーおふたりとのレコーディングは、いかがでしたか?


川村:それはもう楽しかった。音楽のことしか考えない。例えば何かのタイアップにかけたいからこういうふうにしようみたいなこともまったくない。本当に子供に戻って音楽を楽しんでいる極上の時間でした。


ーーそういう制作は、かつてないものだったんですか?


川村:単純にやりたい曲をやりたいようにやった、という意味ではそうですね。意見を交わす人がミュージシャンだけという今回のような環境も、意外とないので。


ーーじゃあとにかく楽しんでいたらできてしまったというような。


川村:まあ楽しいといっても、ユルい楽しさではなくて。相当テンションが高い状態で、心の体温も上がっていましたし、すごく覚醒した状態だったと思います。だけどリラックスもしているというような。


ーー理想的な状態ですね。


川村:はい。


ーー基本的にどの曲も音数は少ない。けれどもその少ない楽器のひとつひとつの音色が実に美しく、そうするとこんなにも豊かな音楽になるんだなと。その証明のようなアルバムだと感じました。


川村:ありがとうございます。そうなんですよね。佐橋さんも「ロウソクの灯が消えるまで」のときにはギターを弾いてないのにコントロールルームにいらして、「これさぁ、考えたら、たったこれだけの楽器でできてるんだよね。びっくりしちゃうよね」って言ってました。


ーー作り始める前から、なるべく音数は少なくしようと話していたんですか?


川村:いえ、特にそういう話をしていたわけでもなく、その曲が呼んでいる楽器構成に従っていったらこうなったというようなことで。


ーージャズの和風解釈的な曲もいくつかあって、それがまたいいんですよね。


川村:昔からジャズっぽいアプローチをすることはときどきあって、それこそ1999年にリリースしたアルバムが『Lush Life』というジャズの作品のタイトルだったり、そのなかに「マイルストーン」なんて曲があったりと、“わかる人にはわかるかな”ぐらいの感じで微妙に取り込んだりはしてきたんですけど。でも、昔は打ち込みも入っていたり、コーラスがうねっていたり、いろいろやっていたから、ジャズ的なテイストを入れてもそれが前面に出ることはなかった。今回はアコースティックでやったので、そこが際立ったってことなんでしょうね。音数が少ない分、“私、本来こういうのが好きなんだよね”ってところが、そのまま出たんだと思います。


ーー普段からジャズをよく聴かれているんですか?


川村:そうですね。好きです。ボーカルものだとじっくり聴きこんでしまうので、食事しながら流して聴けるインストが多いですけど。


ーーこのアルバムを作っているときによく聴いていたアルバムはありますか?


川村:チェット・ベイカーとニーナ・シモンをわりとよく聴いてたかな。私、チェット・ベイカーがすごい好きなんです。


ーー去年、映画(『ブルーに生まれついて』/チェット・ベイカーの伝記ドラマ)も公開されましたからね。


川村:イーサン・ホークのですよね。あれ、観たら絶対落ち込むと思って観なかったんですけど。予告編観てるだけで哀しくなって……。


ーーあ、そんなにお好きなんですね。


川村:めっちゃ好きです。


ーーでもチェット・ベイカーみたいなものを作ろうと話していたわけではないですよね。


川村:ないですけど、ただ最初にトム・ウェイツのデビュー盤(『クロージング・タイム』)みたいなテイストのものができるといいねって話は、kyOnさんと佐橋さんとしてたんですよ。ピアノを弾いて歌っている人が真ん中にいて、まわりに何人かいて、ジャジーで、フォーキーで、っていう。


・日常の感覚をずっと大事にしていきたい


ーーああ、なるほど。「夜の調べ」なんかはまさにそんな感じですね。とはいえこの曲は昭和歌謡的なニュアンスも多分にあって。


川村:そうそう。私、園まりさんの「逢いたくて逢いたくて」が大好きで。あと服部良一さん作曲の「胸の振り子」とか、ああいう昭和のテイストがものすごく好きなんです。自分のなかでは“園まり系”って呼んでいるんですけど。チェット・ベイカーなんだけど園まり、みたいな(笑)。そういう曲を3年にいっぺんくらい作りたくなって、ちょうどその3年目だったんですね、きっと。


ーーこの曲「夜の調べ」のなかに、〈夜は越えてくものとか 朝は勝ち取るものとか いいかげんそうゆうの もういいんじゃない〉という一節があって、その言葉の重みが川村さんと近い世代の自分にはグッときました。こういった境地に至ったのはいつぐらいだったんですか?


川村:40を過ぎてからです。いろんな考え方があるんだから、ひとつの考え方に拘らなくていいじゃないかって思えるようになったというか。若い頃は“ここを越えないと私、自分のことを許せない”みたいなことがいっぱいあったんですけど、いまは“越えられないんだったら越えなくてもいい”“越えられないってことは、そこに何か意味があるんだ”って受け取れるようになった。経験値があがって多角的にものを見れるようになったんだと思うんです。歳をとって厚かましくなったのかもしれないですけど(笑)、そういう見方をする自分に対してOKが出せるようになった。“道はひとつじゃなくてええやん”って言えるようになったってことだと思いますね。それと単純に体力もどんどん落ちてくるので、そうそう走り続けてばっかりいても着く場所に着かないっていうのもあって。


ーーこの曲の歌詞にある通り、〈ゆるらりと なされるままに〉いけばいいんだと。


川村:はい。


ーー歌詞は〈戦いはここらでやめましょう〉と続きますが、これ、本当にそう思います。


川村:“何にそんな戦ってんの? 自分、どんだけできると思っとったん? あほちゃう?”って。そういうふうに思えたら、逆に自分に対して優しくなれるんですよね。


ーー世の中もどんどんギスギスして閉塞感でいっぱいになっていってるわけですが、〈わからない答えなら しばらくはもう ほっといて〉と歌われるこういう曲を聴くと心が落ち着く。こういう曲がここにあることがとても嬉しく感じられます。


川村:ありがとうございます。


ーージャジーといえば、「ロウソクの灯が消えるまで」もスウィングしてていいですね。サックスプレイヤーの田中邦和さんとのデュエットに、これまた昭和っぽいステキさがある。


川村:本当に。これ、邦和君にとっての歌手デビューなんですよ。歌を録音するのは、これが初めてという。私と邦和君のふたりでやっているライブシリーズがあるんですけど、一昨年くらいに「ちょっと歌ってみたら?」って言って、ほかの曲を一緒に歌ってみたりしてたんです。それがよかったので、“じゃあ、今度こういう曲があるから、ちゃんとデュエットしてみよう”と誘って。もう、ノリノリで歌ってましたね(笑)。しかも吹き語り。マイクを二本立てて、彼はサックスを吹きながら歌っているんです。


ーー〈ロウソクの灯が 消えるまで 歌い続けよう〉〈夢は続いていく 歌も続いていく〉。川村さんの歌詞のなかでは、“歌”“夢”“人生”についての思いをかなりハッキリ歌ったものですよね。


川村:はい。昔、私がちょっとへこんでたときがあって、そのときに白井良明さんがメールをくださったんです。“僕たちの仕事というのはロウソクの灯が消えないように心に灯していくようなことだったりするんだよね”みたいなことが書かれてあって、その言葉にものすごく励まされた。その言葉がずっと心に残っていて、いつか曲にしたいと思っていたんです。それで、3年前くらいに良明さんとふたりでライブをやらせていただくことになって、そのときにこの曲を書いて。そのあとは邦和君とやってるライブシリーズでずっと歌ってきたので、今回もその形でレコーディングしようと。


ーー人生や音楽の歓びが楽器の音や歌にそのまま表れているという印象です。


川村:「いっせーのせ」で最初にやったテイクがこれなんですよ。ワンテイク。あっというまでした。


ーーほかの曲もそんなにテイクを重ねてない?


川村:はい。


ーーちなみにレコーディングは何日で?


川村:4日です。ギュッと集中して。


ーーすごい! アルバムタイトルの『ハレルヤ』は、レコーディングが終わってから出てきたものなんですか?


川村:いや、これはもうわりと最初からそういうものがいいなと思っていて。“なんとか・オブ・ライフ”みたいなものじゃなくて、あっけらかんとしたものがいいなと思っていたんです。なおかつ、ハッピーなものがいいなと。で、レコーディングが終わってからおふたりに「このタイトル、どうですかね」って相談したら、「いいね!」ってことで。


ーーハレルヤは、言ってみれば「乾杯のうた」で歌っている内容を凝縮したような言葉ですよね。〈よくぞ今日まで わたしたち 生き抜いて来たよね〉……乾杯! ハレルヤ! というような。


川村:そうですね。あとなんか、友達とも最近よく話すんですよ、「これからはもう、ちっちゃい幸せを積み重ねて生きていたいよね」って。「そんなに大きなことがなくても、今日また会えたっていうだけですでに幸せやんなぁ、うちら。ハレルヤやんなぁ」って(笑)。だんだん歳をとっていくと、そういう気持ちになっていって。


ーーゴスペルで言うところの歓喜の「ハレルヤ!」というよりは……。


川村:もっとフワっとした感じですね。日常の感覚というか。でもやっぱりそれをずっと大事にしていきたいんですよね。(取材・文=内本順一)