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OBLIVION DUST K.A.ZとKENが抱く、音楽への渇望「世の中の流れの5年先にいたい」

2017年10月31日 15:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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 OBLIVION DUSTが、2017年12月から2018年2月までの間で、全国のライブハウスを回る20本のツアーに出る。1996年結成、1997年デビュー、4枚のアルバムを残して2001年に解散するまでの間、デビューしてアメリカツアーを行ったり、The Prodigy来日公演のオープニングアクトを務めたり、日比谷野音クラスの会場をあっさり売り切ったりしていたバンドだが、このように細かくライブハウスを回ったことはなかった。


 ギターのK.A.ZはVAMPS、ボーカルのKEN LLOYDはFAKE? 、ベースのRIKIJIは特撮などのサポート多数と、それぞれの活動が多忙な中で活動を並行することになった。2007年の再結成以降は、なおのことそうなっている。


 デビュー20年の今、意欲的に活動を行う理由、過去のことと現在のこと、そして「いつも早すぎたバンド」としての矜持などについて、K.A.ZとKEN LLOYDに訊いた。(兵庫慎司)


■デビュー20年で、ツアー20カ所やるのが初めてって、バンド失格ですよね(KEN)


ーー20本という数で全国のライブハウスを回るツアー、このバンドはやったことがないですよね。なので、意外だったんですけども。


K.A.Z:それぞれがほかでもバンドもやっていたり、期間を長く押さえることが今まではできなかった。けど、デビュー20年という節目に、まだやっていない形でのライブをやりたくて。それで、早めにみんなのスケジュールを合わせて、会場を押さえて、それが12月から2月っていう3カ月くらいの期間で、20周年にふさわしい20本っていう数になったんです。


KEN LLOYD: 意外だったって言われたけど、俺も同じことを思うの。デビュー20年でツアーで20カ所やるのが初めてって、バンド失格ですよね(笑)。今までなんでやんなかったの? って思うし。いつもワンツアー5カ所とか、下手したら3カ所とか。「それツアーじゃねえじゃん」みたいな。


まあ、若手バンドが細かく国内を回るようになっていることに、少なからず影響はされてると思う。あと、やっぱりバンドとしていちばん推してるのはライブだから。ライブが強いのはわかってて……なのに、本数はあんまりやってない。だから、おかしいバンドなんですよ。


K.A.Z:(笑)。


KEN:全部おかしいんですよ。今の方が海外でライブがやりやすくて、日本のバンドがどんどん出て行ってるのに、俺たちは今やってない。昔は海外でもよくライブをやってたのに、こないだニュージャージーで1本やったぐらいで。


ーーK.A.ZさんもVAMPSで何度も海外に行ってますしね。


KEN:そう。だから不思議は不思議なんだけど、それがこのバンドっぽいなとも思う。だからまあ、動き方がヘタなんでしょうね(笑)。でも不思議だからこそ、日本の音楽業界で、20年もユニークな存在でいれたのかなと思う。だって、仲間はいないもん。友達は多いけど。


■一回解散させたあとに、後悔はやっぱりあったから(KEN)


ーー一度解散したし、復活した後もそれぞれの活動が忙しくて実質的に休止していた時期もあったけど、ただ、やめないですよね。自分の中で、OBLIVION DUSTは続けたいっていう動機になっていることは、なんだと思います?


K.A.Z:「オブリのサウンドを出せるバンドはほかにいない」と思っているのが大きいかもしれないです。(OBLIVION DUSTは)日本でも、たとえば海外でも、普通に「さあ、やりましょう」ってできるバンドだと思うんですよ。それはすごい強みだと思う。結成から解散までにいろんなことがあって、そこでそれぞれ勉強したこともあるし。またオブリが始まってからは、昔よりOBLIVION DUSTというバンドの音を楽しんでるのかなとも思う。昔はもっとお互いの性格とかがすごく気になっていたけど、今は単純に「オブリの音っておもしろいよね」「ライブやってると自然にのれるよね」みたいな。まあ、音を出したらおもしろいバンドなんですよね。


KEN:うん。音を作ると、自分個人もK.A.ZやRIKIJIから学べる部分が多かったです。「ああ、今のK.A.Zはこういうふうに作ってるのか」とか。あと、ライブをやると、このメンツがいちばんベストだと思う。俺、FAKE? もやってるけど、ライブはオブリにかなわないと思ってて。違うアングルで考えて、オブリと同等にしようとはしてるけど、一発勝負の、ロックンロールの……殴りかかるようなアグレッシブさっていうか。それはもう、オブリには勝てないよね。FAKE? は、すごいメンツだし、それぞれのプレイもステージでのパフォーマンスもすごいんだけど、オブリとは違うというか。


たとえば、PABLOがP.T.P.でやってるのとFAKE? でやってるのでは違うでしょ、彼にとって。それと同じだと思う。ライブをやってる時に身体に流れる電力というか、アドレナリンというか、そこらへんはオブリでやってると、「俺にとってこれ以上の場所はないのかな」って思ったりします。だって、オブリではステージでほかのメンバーを見る必要がないんだもん。見なくてもどこに誰がいるのかわかってるし、任せられる、その安心感というか。だから自分のことに集中できる。生で、なんの飾りもなく、いつどこでやってもこのクオリティは出せるし、自信があるっていうか。


マジックっていうと大げさかもしんないけど、そこらへんは、このバンドは特別だなと思う。一回解散させたあとに、そこに関しての後悔はやっぱりあったから。


ーーあ、「やめなきゃよかったな」と?


KEN:今振り返るとね。俺、その時23とか24だから……若かったのを言い訳にはしたくないんだけど、ただ「あの時もうちょい自分が強ければ」とか、「もうちょい心が広ければ」とか、「そしたらどうなってたんだろう?」とは、ちょっと思ったりする。解散した時には、俺もう二度とやんないと思ってたから。K.A.Zもそう思ってただろうし、RIKIJIなんか先に脱退してるから。解散までも待ってくれなかった(笑)。


俺、けっこうドライな人だから、終わったら次に行く人で。それは別れた彼女とかもそうで、「はい終わり、思い出作りの最後の夜は過ごしません」みたいな(笑)。何にでもそうなのに、OBLIVION DUSTは再結成してる時点で、自分の掟を破ってるわけですよ。ファンからしてみたら「もうやんないって言ったじゃん」って話で、自分の言葉の信頼性もなくなる。その掟を破ってまでも、再結成して、いいものを作ったりとか、説得力を持って活動できるって自信があったんですよね。


なかなかこういう出会いってないと思うから。学生の時に友達だったわけでもないし、歳もバラバラだし、趣味も違う。K.A.Zは釣り好きだけど俺は大嫌いだし(笑)。みんなバラバラなんだけど、解散前と今が違うのは、今はお互いの違う部分を受け入れることができている。その裏には、そこを譲ってまで一緒に音楽を作りたいっていう……あんまり大げさに言いたくないんだけど。どのバンドも「うちらが一番すげえ」とか言うから。でも、それが理由だったりはする。


ーーバンドの成り立ちからして、不思議な集まり方だったんですよね。


K.A.Z:熱さはなかったね、特に(笑)。


KEN:熱さもないし、情もないし。たとえば、高校の同じクラスで出会って、結成して、いろいろ試して、ライブハウスに出るようになって、メンバーチェンジとかもあって、何年かしてメジャーと契約できて……っていうそこまでが、一回目の解散までだった気がする、OBLIVION DUSTの場合は。出会ってすぐデビューしちゃったし、なんだかんだ話題になっちゃってたから。そこからお互いを知っていって……っていう過程を全部見せちゃってた、というのはあるんだけど。だから、再結成してからが通常でいうメジャーデビューというか、やっと表に見せていい状態になったというか。だってデビューの頃、俺なんて19歳くらいだったから、何がなんだかわかってないよね。


■海外でやれるバンド、っていうのはチャンスだと思って(K.A.Z)


ーーこのバンドの前って、何をしていたかというとーー。


KEN:K.A.ZとRIKIJIはバンドやってて、俺は大学に行ってたっていうバンド(笑)。俺は全然、本気で音楽をやる気なかったし。


ーークラブか何かで声かけられたんでしたっけ?


KEN:あ、そうそう。クラブでバイトしてて、音楽は大好きで、誰よりも詳しいぐらい自信があったけど、別にミュージシャンになろうとは思ってなくて。ただ、いきなり「KEN、ミュージシャンっぽいけど、歌えるの?」って聞かれたから。「歌えるよ、俺、なんでもできるよ」「デモあるの?」「あるよ」って。(デモは)ないんだけど(笑)。その晩、4チャンのテープでデモを作って、次の日持って行ったんです。


ーーあ、曲はあった?


KEN:あった。でも、ミュージシャンになんてなれない、そんな簡単なもんじゃないって思っちゃうんですよ、イギリスで育ってると。それなりに時間をかけないといけないし、覚悟が必要だった。イギリスのバンドってワーキングクラス出身が普通なのね……実はみんなワーキングクラスじゃない、フリしてるだけだってことをあとで知るんだけど(笑)。で、俺はワーキングクラスじゃないから、その時点でアウトなんですよ。だからミュージシャンになりたいとは思ってなかった。だから、オブリをスタートした時点では、K.A.Zのギターはすごかったけど、俺の歌はアマチュアだったから。


ーー最初からプロレベルだったK.A.Zさんからするとーー。


KEN:やめて、その質問(笑)。


ーー最初はどんな感じだったんですか?


K.A.Z:最初のドラムだったTAKAが、海外でもできるバンドをやりたいって言ったところから始まったんですね。その話をされて、興味を持って。洋楽を聴いて育ってきたから、海外でやれるバンド、っていうのはチャンスだと思って。最初はベースが海外のミュージシャンだった、っていうのもあって。


KEN:TAKAが、海外でもやれるバンドを作りたい、ベースはSimple Mindsのベース(デレク・フォーブス)が知り合いだからやってくれたので、新しくギターとボーカルを探してて。で、俺とK.A.Zに声がかかって、じゃあ1本ライブをやってみようっていうので、ロッククラブでやって。その時Simple Mindsのベースが来れなくて、hideと一緒にzilchを始めるところだったレイ(・マクヴェイ/元The Professionals)がベースを弾いたのね。彼がTAKAと仲がよくて、ボーカルとギターが決まる前からこのバンドをプロデュースするっていう話になってました。


zilchが始まる時だったから、hideとか、そのへんの関係者が、みんなライブに来ていて。それで「このバンドもいいんじゃない?」みたいなことになって、契約することに。zilchがレコーディングしてる隙間を縫って、スタジオを貸してもらったりとか、hideがすごく協力してくれて。でも考えたらひどい話だよね、19歳のロクに歌ったこともない少年に歌わせて、ライブ一回で「はい、デビューね」っていうのは(笑)。


■世の中の音楽の流れの5年先にいたい(KEN)


ーーこのバンドでやれるはずだけどまだやれていない、これからやりたいことってあります?


K.A.Z:うーん……いや、あんまり考えたことないな、それ。曲にしても、やりたいことをやってるし。


KEN:どちらかというと、「まだいいものがある」っていう感じかなあ。自分の中にだったり、このバンドの中に、まだもっといい曲を作れるものがある。それがまだ何曲もあるっていうのがわかってるから。枯れた感じがないんですよ。「もう全部出し尽くしちゃったね」みたいな感じにはならない。もっともっといいものを作っていける自信があるし、まだ求められてもいると思うし。まあ、ライブに関しては今までどおりなんだけど、いいライブをやると思いますんで、よろしくお願いします! みたいな感じ。


K.A.Z:(笑)。


KEN:俺個人としては、基本的にはオブリって、いつも前にいてほしいんですよ。世の中の音楽の流れの5年先にいたい、というか。日本ってちょっと遅いんですよ、世界の音楽で言ったら。でもそれがちょうどよかったりする。で、それが流行った時に、「いや、もうやったけど」って言ってる自分が好き、みたいな(笑)。そこに対して誇りを持ってるというか。決しておカネに繋がらないんですよ。決して人気にも繋がらない。ただ、自分が間違ってなかった、感覚が正しかった、っていうことを証明したいのかも。


K.A.Z:敏感でいたいんでしょうね。新しい音楽が出てきたら、それに対して自分だったらこういうふうにアプローチして新しいミクスチャーを作る、みたいな。たとえば、90年代にオブリが活動を始めたちょっと後にLinkin Parkが出て来て、「あ、なんか、やりたい方向、同じかも」って思ったりとか。


KEN:その感覚は、音楽好きの人だったら誰でも持ってると思う。いちばん新しいものを自分が知ってたとか、そのバンドがまだ話題になってない時からチェックしてたとか、それって自分の中の誇りというか。それはミュージシャンであっても、ファンであっても変わりはないと思ってて。それを音にして証明してるっていうことが自分の中での誇りだったりするし。音楽に敏感で、音楽をわかっていて、音楽をリスペクトしている中で、自分たちもいい音楽を作れてるっていう。(兵庫慎司)