イギリス在住のフリーライター、マット・オクスリーのMotoGPコラム。先週、オーストラリアのフィリップアイランドで近年まれにみる激しい争いが展開された。このレースを、オクスリーが分析。激戦となったオーストラリアGPではどのようなことが起こっていたのか?
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■序盤で危険なポジションを走っていたマルケス
フィリップアイランドでのマルク・マルケスの勝利は、彼のこれまでで最高の勝利だっただろう。6人のライダーによるし烈な争いから抜け出し、ほぼ2秒の差をつけて優勝をもぎ取ったのだ。
あのレースの序盤、マルケスは自分が悪夢から目覚めつつあると思った瞬間があったかもしれない。
その前週のもてぎでマルケスはアンドレア・ドビジオーゾとホイール・トゥ・ホイールの戦いを繰り広げた。ふたりとも5ポイントの違いを求めてしのぎを削っていたのだ。通常の状況では、ふたりのライバルが優勝を賭けてすべてを投げ打ち、どちらかが負け、または勝つことになる。
だが、フィリップアイランドでの状況はまるで逆だった。レースの大半でマルケスは先頭集団で悪夢のようなポジションにいた。ほとんどなにも失うことのないライバルたちに囲まれ、たったひとりの失うものばかりのライダーとなっていたのだ。タイトル獲得を狙うのに、これほど最悪な立ち位置はない。
マルケスはなんとしてもアクシデントを避ける必要があったが、ヨハン・ザルコはMotoGPでの初勝利を、アンドレア・イアンノーネはスズキでの初表彰台を、ジャック・ミラーは母国での表彰台を、そして、バレンティーノ・ロッシは足を骨折して以来初めての勝利を求めていた。
マーベリック・ビニャーレスはそのなかで辛うじてタイトル争いに絡んでいる唯一のライダーだったが、レース終盤まで先頭集団からは遅れをとっていた。
マルケスは、ザルコの急降下爆撃のせいで損傷したRC213Vのシートユニットと、ライバルたちのタイヤのラバーで擦られたレザージャケットのまま27周を終える。誰のタイヤラバーだったのだろう? それが誰にわかるだろうか? 接触はあまりにも頻繁にあり、ライダーたちは誰が自分に突っ込んできたかすらわかっていなかった。彼らには振り返って確認する時間などなかっただろう。何度か肩越しに振り返って、ドビジオーゾを探していたマルケスを除いては。
これがMotoGPにおける最高かつ最も恐ろしいことだ。この数十年、あらゆるモータースポーツを安全なものにするべく、多大な努力が払われてきている。しかし二輪レースは、四輪レースのように安全にはなり得ない。
日曜日のレースで起きた多くの衝突は大事故に繋がり得るものだった。これ以上危険を求めるつもりはないが、フィリップアイランドやムジェロのような昔ながらの高速サーキットでは、私の心臓の鼓動が早くなるようなレースが行われる。
レース後の記者会見では、危険やリスク、アグレッシブなライディングについて多くのやりとりがあった。そしてイアンノーネやザルコがミサイルのような多くの攻撃を加えたにも関わらず、優勝したマルケスと2位のロッシは十分満足げに見えた。結局のところ、このふたりも多少の(いや、かなりの)急降下爆撃を行ってきたのだ。
ロッシは2017年シーズン、すでにザルコを批判しているが、バトルは時に危険なものであったことを認めた。「怒ることはできるが、怒っても何も変わらないからね。これはゲームだ。こういうゲームなんだ。多少危険だが、そういうものだ。そうでなければ家にいなければならない」とロッシは肩をすくめた。
レースが酷いものになったこともある。マルコ・シモンチェリの言葉「レース中は他のライダーを殺したいと思う」が頭に浮かぶ。攻撃された者が、将来復讐する計画をすぐに立てていることは間違いないだろう。
■危険ゆえの魅力
レースの後、誰かがマルケスにライバルのなかで限度を超えた行いをした者がいたかと尋ねた。
マルケスは自分を棚に上げて他のライダーを批判する誘惑に抵抗した。「今日は普通だったよ。何度かアグレッシブな接触はあったけど、それがレースというものだからね。制限を設けたら(ルールを厳しくしたら)、レースはまるでF1のようになってしまうよ。それこそMotoGPが大きくなっている理由さ」と彼は言った。
四輪レースの関係者には、かつてのF1スターであるスターリング・モスのように、F1はあまりに安全になってしまい、かつてのように人々の心を掴めていないと考えている人もいる。
1950年代と60年代、フェラーリやジャガー、マセラティ、アストンマーチン、ロータスといった魅力的なマシンを駆り、進んで首の怪我のリスクを負っていたモスは「モーターレースは危険であるべきだ! 若い男なら、自分がどれだけ勇敢か見せつけたいものだろう」と語る。
MotoGPはモンツァやホッケンハイム、ザルツブルクリンクといった素晴らしく、とても危険なレーストラックを使用しなくなっている。フィリップアイランドは今となってはMotoGPに残された最後の宝石のひとつだ。レーストラックは、コンピュータ上で苦労して構成されたものよりも、ナプキンの裏にスケッチされたものの方が良質のレースを生み出すということは、歴史が何度も証明している。
複数のライダーによる、偉大なGPレースバトルの多くがフィリップアイランドで繰り広げられた。1989年、トップから4番手までは1.5秒差に収まっており、2000年にはトップから4番手まではコンマ4秒の差だった。2015年には差が1秒、そして今年の優勝者マルケスと4位のザルコの差は1.8秒だ。
マルケスはホンダRC213Vで約321km/hのスピードを出しているが、彼が不安がっているのを聞いたのは2度しかない。最初は数年前のシルバーストンでのことだ。高速でバンピーなコーナーがある上に、強風が吹いていたため、彼はほんの少し恐れていた。
2度目は先週末のフィリップアイランドだ。彼はこのサーキットがなぜ特別なのかを私たちに「走っていると息がつまりそうになるからだよ!」と話して笑い、喉を押さえた。
日曜日の優勝はこれまでにおけるマルケスの最高の勝利だったと言えるだろう。それは24歳の彼がマイク・ヘイルウッドやケーシー・ストーナーの最高峰クラスでの優勝記録をもうすぐ越えようとしていることを物語っている。
暗殺者のような攻撃、ナポレオンのような知的戦略、そして大胆さ、日曜日のマルケスはこうした属性すべてを最大にする必要があった。数年前はマルケスが急降下爆撃を行う方だったかもしれないが、今回の彼はおそらく先頭集団で最もマシンをコントロールしていたライダーだっただろう。攻撃と防御を同時に行い、その間ずっと何かを終盤まで取っておこうとしていた。
彼はタイヤが温まっていく序盤の周回で衝動的に出ることなく、タイヤを気遣いながら嵐をやり過ごし、チャンスを掴むタイミングを待った。なぜなら早すぎるとフィニッシュの前にタイヤが温まりきらないからだ。
マルケスの最高峰クラスでの35回目の優勝は、2年前のフィリップアイランドと違い戦術的な最高傑作の内容だった。
「2015年も同じ戦略を採った。レースの間は冷静になり、最後に攻撃を仕掛けるんだ」とマルケスは言った。
■自信をなくしたドビジオーゾ
オーストラリアGPでのドビジオーゾはどうだったのか? フィリップアイランドは素晴らしいレーストラックだ。見事な高速コーナーは多くのライダーたちに好まれているが、涼しい春は嫌なサーキットになり得る。
12カ所のコーナーのうち7カ所は全開で曲がるロングの左コーナーで、タイヤの左側に高熱を(しばしば過剰なほどに)生じさせる。しかしタイヤの右側はほとんど使われないため、涼しいコンディションでは右コーナーでバイクが不安定に感じることがある。もちろんそうした右コーナーでライダーはハードにプッシュし、タイヤに熱を持たせようとするが、度を越してしまいかねないのだ。
マルケスとドビジオーゾはそのことをよくわかっている。昨年マルケスは右コーナーの4コーナーにブレーキングしながら進入する際転倒し、首位から脱落した。2014年は、右コーナーの10コーナーに向けてブレーキングした際にクラッシュして首位から転げ落ちた。10コーナーでのクラッシュは土曜日の午後にまさにドビジオーゾがやってしまったことだ。
限界を超えてプッシュすることを好まないドビジオーゾは自信を失った。レース2周目で右コーナーの1コーナーに向けてブレーキングしたときもドビジオーゾはまたヘマをし、大回りして順位を11位から20位に下げることになった。
右コーナーはドビジオーゾだけの問題ではない。日々進歩しているドゥカティの最後の大きな弱点は中速コーナーでのコーナリングだ。フィリップアイランドの高速コーナーでもそれは顕著に表れており、彼はすべてのコーナーで貴重なコンマ数秒を失っていた。
ドビジオーゾはまだタイトル争いから外れてはいないが、彼が超えなければならない山は非常に険しく思える。
タイトルを勝ち取ったものは誰でもそれに値する者なのだ。もしマルケスが5年で4度目となるMotoGPタイトルを獲得したら、彼が現在において世界で最も偉大なライダーであることに疑いの余地はない。マルケスがこのあと数年にわたって健康を維持し、好成績を出したら、私たちは彼を史上最高のライダーだと評価するかもしれない。