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米ホラー映画は再びエキサイティングな実験場に 『アナベル 死霊人形の誕生』に見る、恐怖の化学式

2017年10月25日 10:52  リアルサウンド

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 『インシディアス』、『死霊館』シリーズなど、ホラー映画を先鋭的に更新し続けることで、映画館で現在の観客を震え上がらせるという古典的な娯楽体験を見事に復活させた「ホラー・マスター」ジェームズ・ワン監督。彼の出現は、アメリカのホラー映画を新しいステージに引き上げてしまったようだ。ジェームズ・ワンの製作による、『死霊館』と同じ世界観によるスピンオフの一つである、呪いの人形2作目『アナベル 死霊人形の誕生』は、その先進性を受け継ぎ、突出した「怖さ」を楽しめる、非常に優れた作品になっていた。ここでは、そんな本作がもたらす怖さの理由を読み解いていきたい。


参考:人間は生きる価値がない存在なのかーー『猿の惑星:聖戦記』が暴く、人間の傲慢な意識


 『死霊館』シリーズでは、実話を基にしたエピソードが描かれるのが通例であるように、本作に登場する「呪いの人形」も実在する。アメリカのある家庭にこの人形が来てからというもの、人形が目を離した隙に違う部屋に移動していたり、血がついていたり、家のあちこちで気味の悪いメッセージが書かれた謎のメモが発見されるなどの怪異が続き、果てには死亡事件にも関係したと噂されている。『死霊館』の霊能力者のモデルとなったウォーレン夫妻は、人形の悪魔払いを依頼され、この人形の中に、幼くして亡くなったアナベルという名の少女の魂が入り込んでいることを発見したのだという。


 この「アナベル人形」、本物は布で作られたキャラクター人形だったのだが、怖ろしさを演出するために、映画ではクラシカルな質感の人形に差し替えられている。その姿があまりにも不気味なものになったため、出演者ですら極力触れないようにしていたという。本作はこの呪いの人形が生まれた、映画ならではの真相を新たに描くという趣向になっており、ほぼオリジナルの物語が展開していく。今回の映画の設定では、アナベル人形は田舎の人形製作者の手によって丁寧に作られたものだとされている。その製作者夫婦の屋敷に、孤児院が閉鎖されたことで路頭に迷うところだった、親のいない少女たちと修道女が間借りさせてもらうところから物語が本格的に始まっていく。


 屋敷は広くて部屋がたくさんあるが、薄暗く不気味な雰囲気に包まれている。なかでも、階段に設置された椅子型の昇降機や、どこかへつながっている小さなエレベーター型の昇降機が意味ありげに置かれていて、「これは後で恐怖演出に使われるのだろうな…」と思わせる。その予感通り、本作は「お化け屋敷映画」として、様々な部屋でいろいろなアイディアによる怪異によって恐怖する少女たちが描かれることになる。


 やはりジェームズ・ワンの製作によるホラー『ライト/オフ』で、長編初監督を務めた、スウェーデン出身のデヴィッド・F・サンドバーグが、本作の監督である。彼はもともと”ponysmasher”「ポニー(かわいい馬)をぶん殴る者」というユーザー名で、YouTubeに過激なFlashアニメーションをアップしていた人物だった。彼は2013年頃から、同じアカウントで短編恐怖動画のシリーズを製作、公開し始めた。その内容は、自分の妻(ロッタ・ロステン)を主演させて、屋根裏やベッドルーム、クローゼットの中など、自宅の中で体験するおそろしい怪現象を描いていくというものだ。つまり監督は、ある意味「お化け屋敷」演出の専門家である。本作でも見られた、シーツを被った「何か」が登場する作品もある。


 彼の動画のなかで最も注目を集めたのが、YouTube で無料公開されている、3分にも満たない短編 “Lights Out”「ライツ・アウト」だった。これは、部屋の中の照明を消すと現れる化け物が迫りくる恐怖を描いた作品で、サンドバーグはこの評判から、それを長編化した『ライト/オフ』の監督を務めることができたのだ。


 生活に根ざした恐怖という意味では、日常の風景のなかに幽霊を潜ませた清水崇監督の『呪怨』の、良い意味で「イヤな感覚」に近い。清水崇監督は、『リング』の中田秀夫監督同様にハリウッドでも活躍し、日本と同じようにその新鮮なホラー描写は認知された。またジェームズ・ワン監督も黒沢清監督の作品に影響を受けたと公言するように、世界的に「Jホラー」の手法が恐怖映画界を席巻した時期があったのだ。ワン監督がやったのは、このような東洋的な恐怖感覚を理解したうえで、それをそのまま模倣するのでなく、そこから必要なものだけを抽出し、従来の西洋的な文化に組み込んでいくという試みに見える。その「化合物」が、現在の先端的な娯楽ホラー映画のスタンダードとなっているのだ。


 サンドバーグ監督の前作『ライト/オフ』は、主にその抜群なアイディアによって話題になった。これが圧倒的に優れていたのは、暗闇に対する人間の根源的な恐怖感と、灯りが点いた安心感が交互に訪れるという演出だった。「行きはよいよい帰りはこわい」という歌詞のわらべ唄があるが、このように緊張と弛緩の状態を往復することによって、一種の拷問のような恐怖感が醸成されてゆく。このような仕組みこそジェームズ・ワン監督が行ってきた演出法の秘密であり、それをより純化させていったものが、この「オン/オフ」表現なのだ。つまり『ライト/オフ』は、東洋と西洋が重なり合う恐怖感覚のケミカルな発見であり、恐怖映画における一つのメカニズムを化学的に解明するような行為ではなかっただろうか。その意味でサンドバーグ監督の功績は大きいといえよう。


 いったん化学式が出来上がってしまえば、それを応用することも簡単だ。この「暗闇」と「繰り返し」の演出は、本作のなかでも様々なシチュエーションで、何度も目にすることになる。照明や懐中電灯、車のヘッドライトの明滅、昇降機の上り下り、おもちゃの銃の弾を闇に撃ち続ける行為…。それらは全て、一つのシステムの応用になっている。それでも飽きずに観客がいちいち怖がれるというのは、監督のアイディアの豊富さはもちろんだが、その「恐怖の化学式」が、人間の根源的な恐怖感に接触するものであるからだろう。


 清水崇監督は傑出した才能によって、ここにたびたび到達する表現を見せたが、この「研究」が進んでいけば、ある程度誰にでも同様の演出ができるようになるかもしれない。もともと、比較的低予算で勝負できるホラー映画は、若い監督たちの「実験」の場であった。いまアメリカのホラー映画は、再びエキサイティングな実験場となっているのだ。(小野寺系)