スーパーフォーミュラ第7戦鈴鹿、ランキング2位で最終決戦に臨んだピエール・ガスリー(TEAM MUGEN)だったが、荒天による決勝レース中止のためタイトル争いに終止符を打たれてしまった。しかし、来季はホンダ製パワーユニット(PU)でF1を走ることが濃厚とされる彼にとって1シーズンの日本留学は価値あるものとなり、同時にチーム無限にとっても新鮮で貴重な経験をもたらしたようだ。
決勝キャンセルが公式に通知されたのは、予選日の午後5時15分。その少し前、パドックのあちらこちらで「明日は中止だ」の声が関係者の間を駆け巡りはじめた頃、報道陣から取材対応を求められたガスリーは「状況が完全にハッキリしてからにしたい」との意をチームスタッフ経由で伝えてきた。
そして“決着後”、彼は「明日レースができないことは残念だ」「石浦(宏明/P.MU/CERUMO · INGING)選手と最後まで戦って決着をつけたかった」「気持ちがまだ整理できていない」といった言葉を何度も口にした。
「マシンの調子は良く、ポールポジションを争える手応えもあった」というだけに、8番手&6番手に終わって石浦との0.5点差を逆転できなかった予選結果を含めて、無念の思いは強かったようである。そして「雨ならレースではどんなことでも起き得る。互いの予選順位を考えても、レースが行なわれるならばタイトル争いはまだオープンな状況だった」と、逆転王座をあきらめてもいなかった。
もちろん、ライバルである石浦の戴冠を祝福しつつのことで、残念がってはいても決してネガティブ感が極まるような口調ではなかったガスリーだが、「中止が完全に決まるまでは集中を切らせていなかった。明日はどういうレースをしようか、ずっと考えていた」という言葉からも、彼のスーパーフォーミュラ王座獲得にかける決意が腰掛け参戦レベルのそれでなかったことは明白。メディアが想像する以上に、ガスリーは来季F1トロロッソ・ホンダのレギュラー就任が濃厚視される身でありながら、日本留学の集大成をタイトルという結果にして表すことに執念を燃やしていたのである。
「石浦選手には本当に『おめでとう』と言いたい。素晴らしい選手と(選手権をかけて)戦えたことは誇らしく思う。スーパーフォーミュラへの参戦は僕にとってビッグチャレンジだった。異なるカルチャーのなか、しかも経験豊富で能力の高い選手たちと走ることで、レーサーとしてはもちろん、ひとりの人間としても成長できたと実感している」
レッドブルJr.のひとりであるガスリーがスーパーフォーミュラにやってきた当初、彼が2018年にF1で走るとなった場合にそれがホンダ製PUで、という可能性はほとんどなかった。しかし運命とは時に不思議なアヤをつくるものである。彼の来季所属先として濃厚で、既に今季終盤のF1をともに戦ってもいるトロロッソが、来季のホンダ製PU搭載チームになっていようとは。半年前には想像できなかった展開だ。
ガスリーはトロロッソ・ホンダ誕生の話が本格化した頃、「もし僕が来季F1を走れるなら、それはやはりトロロッソだろう。そこでホンダとの関係が続くならば、それはいいことだと思う。僕たちは何かを起こせるかもしれないね」と語っていた。また、鈴鹿の最後の会見では今季のこのあとの予定は? との質問に、「トロロッソで残り3戦のF1を戦う」とガスリーは明言。スーパーフォーミュラからF1へ、ガスリーは文字通り、巣立っていく。
チーム無限というホンダエンジン搭載チームで日本留学を過ごしたことは、彼に当初の想定以上の経験値をもたらすことになった。「日本語も、ちょっとうまくなったと思うよ」と言ってガスリーは笑う。「F1は僕の夢」と言い続けて戦ってきた21歳の青年の前途に、ホンダとともに大きな未来が拓けることを祈りたい。
そして今季から2台体制に復帰し、そこでいきなり欧州でも指折りの才能を有する若手を迎え入れたことは、チーム無限にとっても新鮮かつ貴重な経験となったようである。手塚長孝監督は終戦後、ホンダやレッドブルへの謝意も含めつつ「ピエールがここ(最終戦)に来てくれたこと、そして準備をしてくれたすべてのチームスタッフに感謝したいです。彼と一緒にここまで(チャンピオンを争って)こられたことを誇りに思います」と語った。
手塚監督はガスリーという才気あるドライバーと一緒に仕事をしていろいろ驚いたというが、いちばん凄いのはどこですか? という問いに対し、「ここ」と言いながら胸を叩いた。「ハートですよ」。
ドライタイヤ2スペック制のレースで周囲とは“逆”のスタートタイヤ選択をしたあたりには「まわりに流されない、自分の意志がありますよね。そこがまず凄い」と手塚監督は感じたそうだ。そしてマシンのセッティングに関しても、エンジニアとともに懸命に煮詰めたあと、最後は「予選も決勝も『あとは自分でなんとかしてくるよ』という感じなんですよね。若いのに落ち着いているし、なにか頭の中に引き出しがあるのかな。たとえば250kmのレースを頭の中でしっかり想像できているみたいでもあるんですよね」と手塚監督。
もちろんセットアップ自体についても真剣だ。「自分のためのノートと、星くん(星学文エンジニア)とやりとりするためのノートを用意していたみたいですよ。ピエールはセッション中、バネを何ポンドにして、みたいなことは言わない。症状を伝えて、それに対するエンジニアの提案を『やってみよう!』という感じで試すんですね。当然それがうまく機能しないような場合もあるわけですが、その時はすぐに無線で『バックして(元に戻して)』とか『逆に行ってみよう』と言ってくる」。少ない走行時間を効率的に使えるのは、歴代のチャンピオンたちにも共通する素養である。
そして前述の「なんとかしてくるよ」という部分について、手塚監督はあらためてこう感嘆する。「本来、当たり前の話ですが、ドライバーは速く走るために雇われて、ここ(サーキット)に来ているわけですよね。道具も大事だけど、そこに頼りすぎることなく、本質的にそこ(速さ)をしっかり出せるのがピエールというドライバーなんです。チーターみたいなイメージかな(笑)」。ガスリーは手塚監督やチーム無限のスタッフのみならず、日本のレースファンにも“当たり前のこと”を再度実感させてくれた存在であった。
「チームにとっての財産に? そうですね。(山本)尚貴も(速いチームメイトと組めて)良かったと言っていましたし、我々が来年以降に活かしていけるかどうかが大事になりますね」
F1という「目指す目標がそこにある」若手精鋭ならではの凄さを見たようでもある、との旨も語る手塚監督。ただ、最終戦の予選Q1最後のアタック、1コーナーでのコースアウト終了に関しては「今日は21歳(の若さ)が出ましたね(苦笑)」。この経験もまた、ガスリーをさらに大きくすることだろう。
ガスリーのランキング2位、そしてチーム無限のチーム部門2位という、ともにあと一歩の今季リザルトは、それぞれの前途に可能性という共通項をもつ若いドライバーと若いチームにとって、ある意味でとても良い結末だったのかもしれない。