今年の日本GPで、2つのデモランが催された。ひとつは、今年40周年を迎えたウイリアムズ・チームを祝って、ウイリアムズの往年の名車3台が鈴鹿を走行した。
デモランに登場したのは、FW04、FW08、FW11の3台で、FW04とFW08はヨーロッパから空輸され、オーナー自らがステアリングを握り、FW11はホンダのコレクションホールから運び出され、ウイリアムズでチャンピオンに輝いたデイモン・ヒルによって走行された。
なぜ、日本GPがウイリアムズの40周年を祝ったのか。じつは日本のF1の歴史とウイリアムズは深い関係にあるからだ。例えば、ホンダの第二期F1活動で初優勝したのは、84年のウイリアムズ・ホンダだった。また2年後の86年にはホンダが初のコンストラクター選手権制したときに組んでいたチームも、ウイリアムズだった。
デモランを行ったFW11は、その86年のマシンである。そして、そのステアリングを握ったヒルにとっても、日本GPは思い出のグランプリだ。ジャック・ビルヌーブとチームメイト同士で激しくタイトル争いを制して96年にチャンピオンを決めた場所が最終戦の日本GPだった。この年8勝目を飾ってヒルが手にしたタイトルは、F1史上初となる親子チャンピオンでもあった。
もうひとつのデモランは、ホンダRA300だ。こちらは1967年のイタリアGPでホンダに劇的な2勝目をもたらしたマシン。今年のイタリアGPでもデモランが行われて大好評だったため、母国グランプリでも走らせることとなった。ステアリングを託されたのは、今年インディ500で日本人として初制覇を飾った佐藤琢磨。
以前、RA272をドライブしたという琢磨だが、RA300は初走行。「RA272とは違う、いままで味わったことがないフィーリングだった」という。
走り終えたヒルも琢磨も異口同音に語っていたのが、「こんなレジェンドマシンが、いまだに現役で走行できるなんて信じられない。メンテナンスしているスタッフの皆さんに感謝したい」という言葉だった。
そのスタッフとは、ホンダの第1期F1活動時代に来ていたユニホームと同じデザインのつなぎを着たホンダのスタッフたちだ。
イタリアGPでRA300を走らせた際にも、モンツァへ飛んた登敏明(HRD SAKURA/第2期F1スタッフ)、砂子直人(HRD SAKURA/第3期F1スタッフ)、大橋肇(ホンダ・テクノフォート)の3人に加え、日本GPでは黒沼文利(ホンダ/原点ライブラリープロックプロジェクトリーダー)、高瀬義勝、岩田伝邦が駆けつけ、デモランをサポートしていた。
第3期F1活動ではイギリスのHRDで現場責任者を務めた経験もある砂子は「この時代のF1マシンは、天候、気温、コースによって、機嫌が変わるんですよ。本当の生き物みたいにね。だから、われわれがその機嫌を見ながら、調整してやらないとダメなんですよ」と、走行するマシンをまるで我が子を見守るような眼差しで見つめていた。
来年の日本GPは、鈴鹿での30回目のメモリアルグランプリ。どんなイベントが催され、どんなマシンが走るのか、楽しみにしたい。