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月亭可朝、「嘆きのボイン」誕生秘話を語る 「エロいことは一言も言うてへん」

2017年10月16日 11:02  リアルサウンド

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 「嘆きのボイン」で知られる上方落語界の異端児、月亭可朝のベスト盤『ザ・月亭可朝ベスト+新曲』が11月15日に発売される。大ヒット曲「嘆きのボイン」はもちろん、代表曲の「出てきた男」や、早すぎたラップ曲「ミスター・チョンボ」のオリジナルバージョンから、豊田道倫がプロデュースしたセルフカバー2曲と新曲、さらに歌の前の小噺、Talkが収録され、聞きどころ満載の1枚となっている。


 まずは媒体の説明から始めたが……いきなり逆質問されてビビってしまう展開に。リアルサウンドに伝説の芸人がやってきた。(谷岡正浩)


・歌とはまったく関係のない講演に行ってもね、「ボイン歌ってくれ」って


月亭可朝:今、歌はどないなってんのん? 演歌ではなくなってんの?


ーーあ、もちろん演歌もあるんですが、リアルサウンドは、どちらかというとロックやヒップホップ、あるいはアイドルといったジャンルを取り上げることが多いですね。


月亭可朝:そういう人らが多いんやね。


ーーそうですね。


月亭可朝:ふうん。ええんかいな、そんな中でこないな老人が。


ーーいやいや、そりゃもう、よろしくお願いします。


月亭可朝:こんな80になろうかっちゅうオジンが、こんなところに出るなんてないもんな。


ーーそれだけ師匠のベスト盤が注目されているということでーー。


月亭可朝:わし、天皇陛下と5つ違いや。


ーーそう言われると、レジェンド感が増しますね(笑)。


月亭可朝:天皇陛下は昭和8年生まれ。せやから藤本義一さんなんかと一緒やな。


ーー師匠は、昭和13年生まれ、ということですよね。


月亭可朝:せや。おたく何年生まれや?


ーー僕は、昭和47年です。


月亭可朝:ほう……(長い間)……。


ーーあ、あの、どうかされました?


月亭可朝:いや、わしの息子を基準に勘定しとったんやけどな。息子も娘も芸能界とは何も関係あらへんところに行ってくれたから、良かったわ。こないなとこ入られたらかなわんで。


ーー(笑)。ところで師匠、ギターケースが傍に置いてありますが、いつも持ち歩いてらっしゃるんですか?


月亭可朝:いや、昨日な、テレビの仕事があったもんやから。そのテレビの人間がやね、こない言うわけや。「師匠、ギターを持ってきてくれますか?」。そんなもん持って行きますよ、と。「それと、カンカン帽も持ってきてくれますか?」。なんでそないなこと言われるかと言うとやね、しばらくテレビはご無沙汰してたから、わかりやすいイメージ言うんかな、まあ心配したんやろうね。普段着のまま野球帽でもかぶって来られたらどないしょ、と。


ーー普段ギターは弾かれるんですか?


月亭可朝:あんまり弾きません。せやけど歌とはまったく関係のない講演に行ってもね、「ボイン歌ってくれ」って言われますねや。せやからいつも持っていくんですわ。ほんで、必ずあるのは、カンカン帽くれませんか? いうやつや。ええよ、言うてあげまんねん。カンカン帽、家に50コくらいありますわ。四国の高松で作ってますねん、これ。ほんでダンボールにぎょうさん入れて送ってくるんですよ。サイズがバラバラに入ってるから、合うやつだけ引きとって送り返しますねん。ほんならその分だけ請求書来ますわ。


ーーカンカン帽は若い人たちの間でファッションアイテムになっていますよ。


月亭可朝:せやねん。なんかの雑誌に書いてあったわ。“可朝ビックリ!”いうて。


ーーCDを出すのは何年ぶりになるんですか?


月亭可朝:CD言うてそんなもん、わしらの頃はLP言うてましたから。それに何をいつ出したとか、あんまり首突っ込んだこともないから、何が売れましたとか、これはもうひとつ売れませんでしたとか、そんな感じで今まで来ましたから、ようわかりませんねん。


ーー今回はどういう経緯で?


月亭可朝:それはね、浅草の東洋館(浅草フランス座演芸場東洋館)に出演しとった時にね、ある人が会いたい言うてますよって紹介されて会うたのが豊田(道倫)さんやった。ふっと楽屋へ飛び込んで来てね、とらやの羊羹持って。まあきっちりした人でな。ペラペラ喋るだけの心のない人やなしに、口数は少ないけどちゃんとした人ですわ。


ーー最初に豊田さんと会われた時はどういう話をされたんですか?


月亭可朝:豊田さんに言われたんは、大阪にもこういう噺家さんいるんやなあ、いうて。まあそない言われても、俺はずっと大阪の芸人やからおって当たり前やと(笑)。その時に、もし歌作るんやったらどんな歌がええかなあって話した記憶がありますわ。男女のいきさつの歌を作るやなんや言うてて、わしは北朝鮮の歌を作りたい言うたら、ええ! 北朝鮮!? ってなったけども、そのうちに彼から「北朝鮮できたか?」って催促が来るようになった(笑)。わしも言うたはええけど作らなあかん思て。


ーーじゃあその出会いがきっかけで、久しぶりに歌を作ったわけですか?


月亭可朝:そうです(※「いってる北朝鮮ep」として7月7日に自主レーベル〈ハプニング〉からリリース)。せやけど普通は北朝鮮やと言うとな、尻込みするわな。今あんな状態やし。まわりの国との関係も良くないわな。そんな中でやったら、何をどういう因縁つけられるかわからんし、なかなか触りにくいですわ。しかしな、“北朝鮮”という、そんな触りにくいところが、可朝には合うんやないかと思ったんや。昔はボインやオッパイや言うたら、みんなそんなもん歌にしませんでしたもん。それを歌にすんのはやっぱり可朝みたいなワルでやんちゃな奴が作ってはじめて合った、いうのがあったわけですな。


ーーなるほど。あと、今回のベスト盤には「寝るに寝られん子守唄」が書き下ろしの新曲として入っていますね。


月亭可朝:ああ、あれな。相撲甚句いうのがありますわな。


ーーええ。


月亭可朝:哀愁があってね、好きなんですわ。(相撲甚句を一節やる)。そのメロディが子守唄に合うなあと思てね。それで作ったんですわ。


・ただギターを弾きながら歌にして、それで飯を食ってきた。


ーー「嘆きのボイン」も、改めて聴くと物悲しいムードがたまりませんね。子供の頃はたんにコミックソングだと思ってましたけど。
月亭可朝:そう、物悲しいやろ。
ーーそんなにエロいことも言ってなかったんですね(笑)。
月亭可朝:一言も言うてへん。〈ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやで〉ってそのとおりや。〈ボインはお父ちゃんのためにあるんやないんやで〉、そのとおりや。せやけどな、“お父ちゃんのためにあるんやない”って言ったら、みんなそのことを想像するんや。そこが大事なんや。
ーー曲調は浪曲で、アリラン(朝鮮民謡)の要素もありますよね。
月亭可朝:わし、アリラン好きやねん。なんとも言えん哀愁がありますわな。
ーー“嘆きの”という言葉は曲調からですか?
月亭可朝:それはちゃいますねん。子供の頃、生駒の麓のへんに住んでたんですよ。そこに駄菓子屋ゆうんか、おもちゃ屋いうんか、まあ子供が寄り付く店があって、その店をやってる人を「ニーヤン」って我々は呼んでた。そのニーヤンに妹がおった。キレイな妹やねん。めったに店で見いひんねんけど、正月なんかは、着物着て店の前に立ってんねん。その子がNHKの「のど自慢」出てな「嘆きのブルービギン」いう歌を歌いよってん。♪嘆きの~ いうて静かな歌やねん。そんで、全国で一番になりよった。何回も顔見たさに店行ってな。まあその娘からはわしは無視されとったけども(笑)。そういう思い出があってな、わしも自分で作った曲を「嘆きのボイン」にしましたんや。
ーーそういうストーリーがあったんですね。
月亭可朝:ストーリーみたいなもんちゃうけど。それでな、九州にキャバレーの仕事に行って、終わってから一旦ホテルに帰って飲みに行った。ほんで、ぽっと入ったキャバレーのショーに出てたんが、その「嘆きのブルービギン」で全国一番になった娘やってん。歌の道に入っとったんや。キャバレーの事務所に行って、いきさつを話して挨拶でもさしてもらわれへんかってお願いしたら、「わかりました」言うて、会わしてくれたんや。もちろん向こうは駄菓子屋に来てた悪ガキやとは知らん。わしの名刺渡して「可朝です」言うて、ほんならまあ、ボイン歌てるおっさんやなと思ったやろうね。
ーー子供の頃の話はされなかったんですか?
月亭可朝:したした。ずっとニーヤンの店に行ってて、あんたのこと綺麗やなと思って好きやったんですわって。
ーーへー! それでどうなったんですか?
月亭可朝:その日は夜遅うまで話したんかな。そしたら明日汽車でどこそこまで行くんやと言うから、わし、駅まで見送りに行ったんや、朝早う起きて調べてな。それ以来会うてないんやけどね。
ーー「嘆きのボイン」がどんどんいい歌に思えてくるなあ。あ、いや、いい歌なんですけど。これは本で読んだんですけど、「嘆きのボイン」はラジオの公開収録が翌日に急に決まって、前日にギャンブルをしながら作ったとか。
月亭可朝:そうですそうです。浪曲のプロダクションがあってな。そこにポーカーの友達が集まってようやってたわ。ボールペンと紙借りて、さて明日何しょうかなーと。聞いたら箕面のプールサイドでの収録や言うし、そや、ケツやオッパイの歌いうのもええかわからん。オッパイ言うのもなんやなと。よっしゃ、ボインでいこ! こうなったわけや。ほんでさらさらと書いて、一緒にポーカーやってるやつらに「これどうや?」って歌ってみたら、笑うてくれたんや。「いけるで、それ」言うて。次の日に梅田花月の出番が終わって、まずギター買いに行ったんですわ。
ーーあ、そうなんですか! 持ってらっしゃらなかったんですか。
月亭可朝:おまへんおまへん。梅田花月の近くに楽器屋があったんですよ。御堂筋のあたりにね。そこで3000円か4000円のギターを買いまして、弾くのにどないしたらええねん? って音楽ショーやってる奴に聞いたんですわ。そしたら、「これとこれだけ押さえとったらええ、放したらあかんで」って言われて。それでやりましたんや。わしがボイン歌ったら、プールサイドの連中がワーッと笑ったんや。笑いすぎてプールにどっぼーんハマってるもんもおったわ。ほんなら当時毎日放送のプロデューサーをやってた方がーーもう亡くなりましたけどなーー「これレコードにしたらええかもしらん」言うてね。そんなん、それまで自分のレコード作るなんて意識の片隅にもなかったわ。
ーーそれが当時で80万枚の大ヒットですもんね。
月亭可朝:当時弟子(現・月亭八方)がおって、懐に1万円あったから、五千円ずつ分けて、発売日にレコードを買いに行こう言うて。一軒でみな買うなよ言うて。ほんならな、1枚しか仕入れてないねん、レコード屋。まあ、こんな可朝のボインのレコードなんて誰が買うねんいうところやな。だから、ないねん。売り切れとんねん。でもラジオで流してるからみんな欲しいねん。こんな話聞きましたわ。俳優の陣内孝則さんが最初に買ったレコードが「嘆きのボイン」やったって。レコード屋のおやじに「これにしとき」って勧められたんがボインやったんやと。ほんでボイン持って家に帰ったらお母はんに、なんちゅうもん買うてきたんや言うて怒られたっていう話を聞きましたな。
ーーお聞きするお話がすべて伝説のようで、ぼーっとしてきました。そろそろお時間のようなので、最後に師匠から何かありましたら。
月亭可朝:あ、そうでっか。まあ、えらそうに言うてきたけど、わしは音楽を語れるような人間ではありません。ただギターを弾きながら歌にして、それが「ボイン」や「出てきた男」であって。それをずっとやってきて、それで飯を食ってきた。それだけです。