僕はこちらのコラムではしばしば、ブラック企業だの、働き過ぎの日本人だのといった、若干重めのテーマを取り扱うことがある。一貫してブラック企業の存在については批判的だし、過労についても否定的な態度をとっている。
ご飯を食べるためにしている仕事が、いつの間にか人生の主目的になってしまっているのはヤバいという思いはある。仕事はあくまで生きていくためにするもの。仕事のせいで体を壊しちゃバカらしい。(文:松本ミゾレ)
「働き過ぎて死ぬなんて信じられない。過労死する前に家族や恋人と旅行に行くべき」
ちょっと古い話になるけど、「YOUは何しに日本へ?」(テレ東系)で、今年の2月、こんな場面があった。成田空港に降り立つ外国人旅行者にテレ東クルーがインタビューをした際、プエルトリコからの旅行夫婦が印象深い言葉を口にしていた。
「そういえば、日本には『働きすぎて死ぬ』という言葉がなかった? カローシ?」
遠い異国の夫婦も、過労死という言葉を知っていたとは、ちょっと驚いた。さらに夫婦は続ける。
「働き過ぎて死ぬなんて信じられない。みんな仕事を辞めて家族や恋人と旅行に行くっちゃえばいいのよ」
夫婦は、旅行をしつつ作家として生きているという。自分の住む国を飛び出し、夫婦で世界中を巡って作家活動をする、それだけで生活が成り立っているのだから、過労死する日本の労働者を理解できなくても無理はない。
つい最近になって、この印象的な言葉がツイッターでも話題になっていた。自由に好きなことをして生きているプエルトリコの作家夫婦の言葉は、日本の労働者には憧れの対象だったようで、結構バズっている。
年間200人、過労が原因で自殺する日本 肩の力を抜いてもいい
ここで厚生労働省が先日発表した「過労死等防止対策白書」から、過労死や勤務関連の自死現状について簡単に触れておきたい。
2016年度の過労死等に係る労災請求件数は、脳・心臓疾患に限っても825件あった。2015年度より30件増えている。このうち260件が労災認定され、死亡に至ったのが107件。過労による精神疾患で自殺したと認定されたのは84件だった。
僕たちの社会は、少なくとも労務環境にまつわる年間200人近い過労死の犠牲の上に成り立っている。前述のプエルトリコの作家夫婦みたいな生き方はさすがにできなくても、働くことに対してもう少し、肩の力を抜いて取り組んでも良いのではないか。
過労死や自殺といった結末を迎えてしまう日本人は大勢いるが、果たしてこの社会はそれだけの犠牲に見合った素晴らしいものなんだろうか。
「なんであなたたちは過労死するまで働くの?」
海外の人々からこういう問いかけをされたとき、僕たちはどういう顔をして、どう答えればいいのだろう。