普段、性格の悪いコラムばかり書いている僕にも、一応親友と呼べる仲間がいる。そう考えれば、本当に友達がいない奴なんてのがこの世にいるのか? という気になってしまう。
こういうのって周りを見渡しても分かるものではない。自分の身の周りにいる人は大抵自分の友人なのだから、誰とも人付き合いのない、本当に孤独な人と接することは中々ない。
だけど、ネットをしっかりと観察すると、どうも友達がいなさそうな人物と思しき者による書き込みなんてのも、見つけられないこともない。(文:松本ミゾレ)
「友達がいないと地元に知らない道が多い」発言にハッとさせられる
2年ほど前、2ちゃんねるに「本当に友達がいない奴にしかわからないこと」というスレッドが出現した。このスレッドを立てた人物は本文に「地元付近でも知らない道が多い」と書き残していたんだけど、僕はこれを読んで目からうろこが出る思いだった。
子どもの頃から友達と走り回っていた人は、地元だと当たり前のように土地勘がある。ところが友達が一切いなければ、一緒に駆け回ることもない。遠出をすることも、さほど多くない。
だからちょっと目立たない路地に入っただけで「ここ、どこだ?」となってしまうとしても、決しておかしくないだろう。これこそまさに、本当に友達が1人もいない人特有のあるあるなんじゃないだろうか?
「便所飯はしないが、中庭飯をする」
ついでに、このスレッドに寄せられた1人も友達のいない人々の声も紹介しておきたい。結構切実なものも多いようだ。
「小学校の思い出が夢に出てくる」
「大学で行くときも帰るときも人より歩くのが1.5倍くらいはやい」
「お祭りに1人で行って、なんとなく同級生とかとすれ違わないかなぁと思ってフラフラするが誰にも合わず何もせず1人で帰る」
「オンラインゲームで野良で遊んだ人からメッセージが来た時異様にビビる」
「便所飯はしないが、中庭飯をする」
どうだろうか、この悲哀の応酬。切なさが爆発していて、他人事ながらなんか泣きそうになった。特に個人的に心を打たれたのが、祭りに1人で出向くという声。
思い起こすと僕も小学校高学年ぐらいの頃、地元の祭りに友達数人と出向いたとき、そこでたまたま1人、祭りの喧騒から離れて桜の木を見上げる同級生を見つけたことがあった。
僕は「コイツなにしてんだ」と思って話しかけたんだけど、彼は僕とは目もあわせず「あ、クワガタが、いるかと、思って」とかなんとか言っていた。「桜の木にはいないから、クヌギとかコナラを見てきたら?」と言って、僕は林を指差してバイバイしたため、彼はそのまま真っ暗な林の中に消えていったのだ。
もしかして、あのときあの同級生は「クワガタなんかいいから、俺たちと祭りを楽しもうや」と言ってほしくて、あそこにいたのかも知れない……。
ただ、友達がいない人については正直、別に可哀想とも思えない。だって友達が多くても、それはそれでめんどくさいことも多いし。
元々僕は引きこもり気味だから、1年や2年、平気で誰とも会わないこともあった。大勢でつるむのも確かに楽しい。だけど、家にこもってプラモを作ったり、ゲームをしたり、飼い猫と遊ぶ方が、僕は好きだ。
友達が1人もいないという人だって、楽しみの1つや2つは持っているはず。大勢でワイワイやるより、1人で完結できる趣味や遊びに没頭する方が、案外面白かったりする。
そんな趣味や遊びを知っているのであれば、これまでずっと友達がいなかったとしても、負い目を感じることはない。
1人の時間を楽しめる奴が、100人の友達がいる奴より劣っているなんてことは断じてない。