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『デジモン』はなぜファンの心を掴み続ける? 評論家が『デジモンアドベンチャー tri. 第5章「共生」』を語り尽くす

2017年10月07日 10:03  リアルサウンド

リアルサウンド

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 アニメーション映画『デジモンアドベンチャー tri. 第5章「共生」』が、9月30日より3週間限定で公開されている。本作は、15周年を記念して製作された初代『デジモンアドベンチャー』シリーズの続編で、全6章で構成される内の5章目。異世界・デジタルワールドへ渡ったあの夏の冒険から6年後の世界を舞台に、高校生になった主人公・八神太一をはじめ、成長した“選ばれし子どもたち”の冒険を描く。


参考:『デジモンアドベンチャー tri. 第5章「共生」』初日舞台挨拶 第6章のサブタイトルが「ぼくらの未来」に


 1999年よりテレビアニメが開始された『デジモンアドベンチャー』の伏線を回収しつつ、新たな謎や問題が生じていく模様が支持され、多くのファンと共に成長してきた同シリーズ。一体どんなところがすごいのか、リアルサウンド映画部でも執筆中の物語評論家のさやわか氏、アニメに対する造詣が深いライターのまにょ氏の二名に、その魅力をアニメとゲームの歴史との関係性から紐解きつつ徹底的に論じてもらった。(編集部)


■さやわか「ゲーム『デジモン』は戦うタイプの『たまごっち』という認識」


ーーまずはお二人が『デジモンアドベンチャー』と出会った当時のことについて聞かせてください。まにょさんは『デジモン』世代ど真ん中ということですが。


まにょ:アニメが始まった当時が10歳くらいで、リアルタイムで1話から観ていました。自分のお小遣いで初めて買ったCDもOP主題歌の『Butter-Fly』でしたね。もちろんゲームもやっていました。


さやわか:僕は1997年に、漫画雑誌の裏表紙あたりに出ていた、ゲーム『デジタルモンスター』の広告を見たのが出会いですね。その前年には『ポケットモンスター 赤・緑』や初代『たまごっち』が発売されていて、自分の中では「戦うタイプの『たまごっち』みたいなもの」という認識でしたし、ゴツゴツしていて男の子が好きそうなデザインで、良いなと思った記憶があります。


ーーさやわかさんはゲーム機のほうを知るのが先だったわけですね。お二人は当時、『デジモン』をどう認識していましたか?


まにょ:当時の私は子どもだったので、まだインターネットの概念がよく分かっていなくて。『ポケットモンスター』など、モンスター系の作品は他にもあったんですけど、なぜか『デジモン』の中に登場する「デジタルワールド」は、実際にネットの中にあるのかもしれないと思い込んでいたんです。


ーー東京のお台場や光が丘など、現実にある場所が登場するので、よりリアルに感じていたのかもしれません。


さやわか:まさに『デジモン』はリアリティー重視の作品ですよね。そもそも、“デジタルモンスター”の成り立ち自体、現実世界と地続きの、ハッカー的な文化の中から出てきてるんですよね。最初はウイルスのようなものだったけど、次第に動物として進化していった、という設定ですから。あと、いま話に出た“実際にある場所”って、少し都心から外れた郊外なんですよ。人が集まる場所じゃなくて、人が住んでるところ。そのリアルさも面白い理由の一つだと思います。


まにょ:当時の子ども向けアニメで、ああやって実際の土地が出てくるようなものはほとんど無かったので、すごく新鮮だったのを覚えています。


さやわか:この時期くらいから、アニメも特撮も「大人と子どもの両方が楽しめるもの」が増えてきたんですよね。同時期に始まった『おジャ魔女どれみ』もそうです。子どもたちのコミュニティでの関係を通して成長が描かれる。ただ明るいだけの作品じゃなくて、登場人物が心の問題を抱えていて、それを解決していくという。『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』や『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』もそう。ただデジモンの場合は、対象の年齢層を単純に上げるのではなく、登場人物を子どものまま良質のジュブナイルものに仕立てあげることで、大人が感動できる作品になっていた。ただ、こういう良質のジュブナイル作品を「大人も観られる子供向け作品」みたいに言うのって、実は子どもをバカにしている感じがあって僕はあまり好きじゃないんです。でも『デジモン』は「ジュブナイルをちゃんと作れば、大人も楽しめるのは当たり前だよね」という作り方だから、幅広く受け入れられたし、後進の作品にも影響を与えたんだと思います。


ーーその潮流の基になっているのは?


さやわか:劇場版『デジモンアドベンチャー』の第一作目について細田守監督は『ミツバチのささやき』を挙げていましたね。二人の兄弟が自分たちの目線で問題と遭遇する話ですが、終始、子どもたちの視点だけで、親の顔が映らなかったりする。また主人公たちが“選ばれし子ども”になるきっかけだった事件も、のちのテレビシリーズでただの爆発じゃなく「爆弾テロ事件」として扱われるというリアリティのあるものだった。それらの要素がテレビアニメ版に受け継がれて、大人の社会にも影響を与える問題が発生しつつ、子どもたちの視点でその問題を解決するという基本路線が作られていったんだと思います。映画『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』(以下、『ぼくらのウォーゲーム!』)もインターネットを介して核ミサイルが撃たれるという物語でしたが、やはり子どもの世界だけでそれを解決する。そういう部分は『新世紀エヴァンゲリオン』からの流れもあったように思えます。敵を単純な“悪いヤツ”に見えるような描き方をせず、それぞれの背景があるような設定にしていたのもそうですよね。


ーー現実社会と子ども社会、光と闇のバランスが程よく描かれています。対立構造も「正義VS悪」じゃなくて「正義VS正義」だったり。


さやわか:今でこそ当たり前ですが、当時の大人は「子どもたちにわかるのかな?」と感じていたでしょうね。そのあたり、『デジモンアドベンチャー』は上手く描かれていると思いますよ。最終的には熱血っぽい印象に映っていたと思うので。


まにょ:子どもっぽいネタも散りばめられていましたもんね。大人になって観てすごくびっくりしたのが、やたらと“うんちネタ”が出てくること。さやわかさんの話しているようなアプローチもありつつ、子どもの心を掴んでいたのはそういう要素もあるのかなと。


さやわか:ギャグ的なアプローチは確かに多かったです。そもそもこの作品自体、「冒険もの」で「夏休み」、そして「異世界」と、子どもの好きな要素が詰め込まれています。ちなみに、まにょさんは当時この作品を見てどう思っていたんですか?


まにょ:めちゃくちゃ面白くて、私は「いつかデジタルワールドに行くんだ」と思っていました。だから、「選ばれし子どもたちにはどうやったらなれるんだろう」って考えていましたし、ヤマトにも恋心を持っていて。同性としてはミミちゃんも憧れでしたし……(笑)。


さやわか:なるほど。ヤマトはやっぱり人気なんですね。改めて、あのキャラクター同士の関係性は良いですよね。彼らは単純に仲が良い友だちというわけではなく、性格もバラバラで一筋縄ではいかない距離感がある。そういう子どもたちのコミュニティや環境を描くものは、アニメには無かったので新鮮でした。


ーーたしかに、観ていて「このキャラクターに感情移入できる」という対象が人それぞれ違っていてもおかしくないほど、個々のキャラクターが立っていました。


さやわか:僕は丈がすごく好きですね。彼、微妙なポジションだし、物語上でも扱いにくいキャラクターだと思うんですよ。だって、戦いに来なかったりするんですから(笑)。みんながラスボスと戦っているときに、彼だけが試験を受けてるなんて、リアリティがあっていいじゃないですか。そうそう、この作品、電話やメールで連絡をよく取り合うのに、戦いの場には全員集まれずに誰かが欠けていることがすごく多いんですよね。『デジモンアドベンチャー tri.』(以下、『tri.』)を観ていても、「また来れないんだ!? 全然集まれない!」と感じる場面があって面白かったです。 だって、『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』(以下、『ぼくらのウォーゲーム!』)も結局、“集まれない話”じゃないですか。友達だから、仲間だから一致団結して勢揃い、とならないのが良いですよね。


■まにょ「子どもの時と大人になってからの楽しみ方が違うのもまた魅力」


ーーこれもリアリティを感じる部分です。しかも、その時々の連絡手段で一番良いものを使っている。


さやわか:そうなんですよ!  テクノロジー至上主義で、「ネットがあれば、メールですぐに連絡できて、なんでもできる」みたいな話じゃないのがまた良いんです。もともとデジタルワールドが必ずしもいいものではないというか、「ネット社会の弊害」というテーマも含んでいるからかどうかはわかりませんが、ただのネット万能説で終わらない。


まにょ:私は光子郎くんが好きですね。昔観ていた時はヤマト推しだったんですけど、今年見直した時に、「カッコイイ!」と思って。子どものころは丈さんや光子郎くんみたいなインテリ勢はあまり好きじゃなかったんですけど。そういう風に、子どもの時と大人になってからの楽しみ方や受け取るものが違うのもまた魅力なのかもしれません。


さやわか:それはしっかりリアリスティックに描いてあるからでしょうね。それぞれのキャラクターがうまく作ってあって、どこか客観的な視点から書いてあるから、大人になって観た時に違う見方ができるように作られているというか。あと、『tri.』を見ていて良いなと思うシーンもいくつかあるんですけど、その中でも第1章で太一がアグモンと再会したときに「お前は小さくなったな」と言うところが良いんですよね。


ーーあれは良いシーンでした。


さやわか:『tri.』に出てくるデジモンって、観客から見て、ちょっと子どもっぽく映るように描かれているのかもしれません。『デジモンアドベンチャー』では、主人公キャラたちとパートナーは同じくらいの知能レベルに見えたんですけど、『tri.』ではデジモンの方が幼く見える。それもまた、主人公たちの時間経過を感じさせる要素だったりして。パンフレットの中でも元永慶太郎監督が「デジモンをアップにすると、子どもたちは足元しか入らない」と言っていました。つまり成長後の身長差を使って意図的に距離感を生み出しているんですよね。だからこそ、切ない話になっていくのは必然だったというか。


ーーまにょさんは『tri.』を見て、どういう感想を持ちましたか?


まにょ:私はあまり前情報なしに観たので、すごくビックリしました。以前から元永監督が手がけたアニメ『School Days』や『ヨルムンガンド』がすごく好きだったので、3章以降は「彼ならこういう展開になるよな」と納得しながら観るようになりました。


さやわか:当時、子どもだった頃に『デジモン』を観ていて、熱血アニメのイメージを持っている人たちは、『tri.』を観て「これじゃない……」って思うかもしれないですよね。でもそれってまさに「自分たちとデジモンの距離感」を味わわされるからで、成長しているから仕方ないことなんだと思います。子どもたちの声優が変わってもデジモンは変わらなかったりするのも、時を経たことによる変化を表しているのかなと。


まにょ:そうかもしれないですね。あと、デジモンって「Butter-Fly」などのテーマソングや劇伴がすごく格好いいんですけど、『tri.』では過去作の劇伴がアレンジされていて、そこもぐっときました。


ーー音楽もそうですし、絵のタッチや作画的なところでも成長が表現されているのも大きいですよね。


さやわか:そうなんですけど、なのに描かれているのは2005年くらいのお台場というのが不思議です。持っている携帯も二つ折りだし。でも、お台場があの頃に持っていた特有の空気が再現されているのがすごい。同時期の時代設定としては『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』が2003年に公開されているんですが、そこではテーマパークのように盛り上がっているお台場が描かれているんですよ。だけど『デジモン』では生活空間というか、平日の郊外の静かな場所として描かれているんですよね。そこがまたリアルです。


ーー『tri.』の新キャラである望月芽心とメイクーモンの登場についてはどう思いましたか?


さやわか:「『02』のキャラクターが出てきた時の違和感」を象徴する存在だと思います。8人の子どもたちが「俺たちだけが選ばれたんだ、俺たちだけがすごいんだ!」という話だったら、次の新キャラはもう出てこないはずなんですけど、『デジモン』は子どもたちが選ばれたのはほとんど「偶然」みたいなものとして描いているからこそ、新しい人物が登場する。そこが冷静というか、シリアスな物語だなと思います。


まにょ:私も最初は正直、受け入れがたい気持ちがあったんですけど、太一たちは芽心とメイクーモンを普通に受け入れるし、今までの仲間たちと全く同じ目線で大切に接しているのを見ていくうちに、自分が情けなく思えてきました(笑)。


さやわか:しかも太一たちは、今までの自分たちのやり方で仲間として受け入れようとするのに、芽心がそれに乗ってこないのもまた興味深い。「あぁ、人間関係ってそうだよね!」と思える部分でもありました。たぶんただの熱血バトル物語なら、あっさり友情が芽生えたりするんだろうけど、すぐにはそうならない。ちなみに、まにょさんはバトルの部分、「成長」や「進化」を表現している箇所って、子どもの頃から意識していましたか。


まにょ:あまり興味が無かったかもしれないです。どちらかというと、キャラの人間性や日常パートに惹かれていました。


さやわか:僕もどちらかというと、バトルにあんまり興味がない方でした。そもそも『デジタルモンスター』自体、発売当初は『ポケットモンスター』のような集めゲーと違って、『たまごっち』に近い育成ゲームだったし、だからこそ「パートナー」という考え方や、「それぞれのパートナーとキャラクターたちがどういう関係を結ぶのか」という視点が強調された物語になったんだと思うんです。


まにょ:確かに! 私が見直していてすごく不思議に思ったのは、選ばれし子どもたちとデジモンの関係性を「仲間」と呼んでいるところです。仲間というよりも、ペットと恋人の間くらいの印象を私は持っていたんですよ。ほかのゲームやアニメで、ああいう関係性ってありましたか?


さやわか:たとえば『ペルソナ』シリーズ(ゲーム、アニメ)だと、守護霊に近い考え方になるけど、それとも違いますもんね。ペットに近いけど、会話もできて関係性も築ける。その関係が次第に遠くなっちゃったりする。たしかに「ペットと恋人の間」というのは的を得ていますね。


■さやわか「最後は急激に熱血さを取り戻して、技名を叫びまくって欲しい」


ーーそんな関係性が、一度リセットされる展開(リブート)があるのも、『tri.』の見どころだと思います。


さやわか:あれはキツイですよね。もちろん、シリーズによっては死んだデジモンは生き返らないとか、負けた相手に吸収されちゃうみたいなことはありましたし、戦いに負けてデジタマに還ることもありましたけど、精神的な繋がりを絶たれるというのはショッキングでした。だって、デジモンと僕ら視聴者もまた関係を築いてきたわけですから、あの瞬間は自分たちもデジモンに忘れられたんだとひどくショックを受けました。


ーーしかも、大人になった選ばれし子どもたち側は、彼らとの日々を忘れられない。


さわやか:そうですよね。子どもたちが忘れてないのに、デジモン側だけがリセットされているのも切ないです。よくゲームは「リセットすればやりなおせる」なんて言いますが、実はそこまでにかけていた労力や時間、そのキャラクターに対する想い入れとかが一度なくなってしまうわけなので。


まにょ:その展開が第3章で急に来たのも驚きでした。


さやわか:『デジモン』は色々なシリーズがありますけど、太一たちの『無印』(『デジモンアドベンチャー』テレビアニメシリーズ第1作)からの物語を『02』のラストに向けて落としていくのであれば、この話は必要なエピソードだったと思いますけどね。ちゃんと挫折があるというか。熱血のままでは、多分ああいう大人にはなっていけないはずなんで。


ーー00年代にあのまま大人になる人はいない、みたいなことを突きつけられた感じもします(笑)。


まにょ:まだ第5章が始まったばかりですが、さやわかさんは第6章、どうなると思いますか?


さやわか:どうなるかはわからないですが、「デジモンたちの記憶が戻りました。はい、よかったね」みたいな展開にならない方が僕は嬉しいですね。たとえ戻るとしても、それにプラスして生まれ変わったパートナーとの関係を築いたことの価値を重視してくれた方がリアリティを追求する『デジモン』らしいし、お互いの出会いをある種「偶然」として描く作品にピッタリだと思うんです。個人的には第6章しかないのに、あと1章で全部伏線が回収できるのかが気になります。


ーー過去のシリーズの伏線を回収しつつ、新たな伏線もたくさん引いているので、それをどう回収するのかは気になります。


さやわか:伏線を張ったり回収したりしながら、かつ『デジモン』のお約束みたいなシーンもちゃんと盛り込まれていて嬉しいですよね。烏龍茶を飲むとか、隙があったらそういう小ネタを入れてくれるところが面白いので、第6章でもそういうネタは期待したいです。


まにょ:私はある程度の希望を持たせて終わって欲しいという思いがあります。ただこの流れで行くと、観客に答えを投げて終わるんじゃないかという説もあります……。


ーー00年代のアニメでよくあった、「あとはみなさん個々の想像にお任せします」パターンですね。どちらにせよ『02』のエンディングが『デジモン』の終わりであり、遠くにある未来のはずなので、最終的にはそこに着地するような想像で補完してください、となりそうな気がします。


さやわか:確かにそうですね。あと、西島先生と姫川さんの大人2人が何をやっていたか明かされないままでも面白そうです。でも、大人のことはまだわからない子どもたちだからこそ、とにかく苦難を乗り越えて、ハッピーエンドになるというのが『デジモン』らしいと思うので、やっぱり最後の20分か30分くらいは急激に熱血さを取り戻して、技名を叫びまくって欲しいかも(笑)。(取材・構成=中村拓海)