「私はもともと自分に自信がない」「小さい頃から自己肯定感が低い」―。涙ながらにそう語っていた豊田真由子議員。問題だらけと指摘された謝罪会見であったが、この言葉には妙な説得力があった。
育った家庭環境の影響か、着実なエリートコースを進みながらも自分に自信を持つことができず、常に「もっともっと頑張らなきゃ」とがむしゃらに奔走する日々。政治の世界に入り、支援者からの賛同・激励を感じた時、はじめて自分が認められたような感覚になった。それは「人から認められる」という、彼女がずっと渇望していたあまりに大きな快感だったのだろう。(文:みゆくらけん)
「フェイスブックに痛いことを投稿し、いいねが少なくてヘコむ」
そして、常にその快楽に満たされていないと満足できなくなり、自分のキャパを超えて頑張り過ぎた結果、シワ寄せは周囲の人たちへと及んだ。もしかすると、すべては豊田議員の過剰な承認欲求がさせたことかもしれないとさえ思う。
人間は誰しも認められたい生き物だ。他人からの評価によって存在意義を感じるという人も多い。その欲求の強さは人によって違うが、プラスに働いた場合は自己実現を叶えるためのパワーとなる。
しかし、過剰なまでの承認欲求の強さに自分自身が翻弄され、苦しむ人たちもいる。先日に立ったガールズちゃんねるのトピック「承認欲求が強くて苦しい人」にもコメントが殺到している。
「仕事も家庭も友人にも『○○がいてよかった、ありがとう』と言われたい。言われたいがゆえに無理をしてあまり感謝されないことに必要以上に傷ついてしまう」
という声を筆頭に、「インスタ(するの)は承認欲求の固まり」「フェイスブックに痛いことばかり上げて、いいねの数が少ないとヘコんでいた」など自分に疲れている人が多々。
中には、人から認められたい願望が強すぎるがゆえ、「常に(無理をして)ウケを狙った(毒舌)発言や行動をしていたら、見事に周りから人が居なくなった」という人も。今では社会復帰しているが、当時はそのことで精神的ダメージを受けて、自殺未遂を起こすほどに追い込まれていたという。
原因は幼少期の「母親との関係」にある?
ヤバイほどに人を翻弄する承認欲求と、いかにうまく付き合っていくか。これはもう、人間すべてのテーマである。
「インスタでのイイねを貰う為に無駄金使っている人は物悲しいね」
というコメントもあったが、そういうのは本当切ない。「好きで承認欲求が強いんじゃない。直せるものなら直したい」という声もあったが、確かに自分でコントロールできる類の欲求とは言い難いのがツライところだ。「自己顕示欲を抑えよう」といわれても、それができないから痛いことをやってしまうわけで。
しかし、そう言ってしまうと身も蓋もない。劣等感を持たず、素のままの自分を自己肯定することができたら一番良いのだろうが、これがなかなか難しい。ただ、コメントの中には
「勉強や仕事を本気で頑張って細やかな成功体験を積み重ねる事。そうしたら自分自身を信用できるようになる」
というものがあった。やはり克服には努力が必要ということなのだろう。他にも「年齢を重ねたり、子どもができると落ち着いてくる」「彼氏や夫に大事にされるとマシになる」という意見も。
また、過剰な承認欲求に翻弄される人というのは、幼い頃の家庭環境(特に母親との関係)に問題があると指摘する声も多い。このことについては「大人なんだからいつまでも親のせいにするな」「原因が親にあると考えるのは甘えだ」という意見と対立している。