フェルナンド・アロンソが、自身が立ち上げたファッションブランド「KIMOA」とタッグを組んで、渋谷のスクランブル交差点でファンと巨大な人間ウェーブを行うイベントが、中止になったことは既報のとおりだ。
すでに一部のメディアが伝えているように、そのイベントの中止を、アロンソのマネージャーとともにメガホンを使用して行なったのは筆者である。幸いにも集まったファンたちは非常に冷静で、中止のアナウンスを聞いて怒るどころか、拍手でアロンソの苦渋の決断を支持してくれた。
だが、駆けつけてくれたファンの中には、遠路はるばるやってきた方もいたはず。たった数十秒間のアナウンスだけでは、納得できない人もいたに違いない。そこで、現場でアロンソ側と警察との間に立って、通訳および交渉していた筆者から、イベントが中止になった経過をもう少し詳しく説明したいと思う。
そもそも、私が間に入って通訳をすることになったのは、このイベントについての詳細を聞こうとマレーシアGPの日曜日の昼にアロンソのマネージャーを務めるひとりであるアルベルト・フェルナンデス・アルビラーレスとマクラーレンのホスピタリティで会話したことから始まった。
筆者「取材に行きたいから、もう少し詳しいことを教えて」
アルベルト「具体的なことはまだ決まっていない。それより、日本語ができるスタッフがいないから、当日通訳など手伝ってくれ」
筆者「オッケー。じゃ、レース頑張って」
3時間後にレースを控えていたから、そのとき筆者はあまり深く考えなかったが、レースを終えて、締切の原稿を日本行きの飛行機に乗る寸前まで書いた後、ふとアルベルトの言葉が蘇ったのである。
「日本語ができるスタッフがいないから、当日通訳など手伝ってくれ」
あれ、これってKIMOAの日本人スタッフは来ないということではないか。そうなると、もうひとつの疑問が湧き上がってきた。それは『アロンソ側は道路の撮影許可を警察に取っているのか』ということだ。
そこで当日、現地に向かう直前に、アルベルトにその点を確認すると「取っていない」と言う。これは大変だと、思っていた案の定、警察がやってきて事情を聞かれることになった。時は、集合時間まで、あと30分という段階だった。
イベントの集合時間まで、あと30分。しかし、渋谷のハチ公前にある派出所では、アロンソのマネージャーのひとりであるアルベルトとこのイベントを撮影する専属のカメラマンと数人の警察官たちの協議は続いていた。
警察官たちの主張は「道路の撮影許可が下りていない以上、イベントを許可することはできない」というものだった。当然といえば、当然である。じつは渋谷のスクランブル交差点は撮影許可を申請しても許可が下りない場所で、そもそもここでイベントを行おうとしていたこと自体が甘かった。
アロンソ側は、「では、アロンソが1人だけ来て、交差点を渡るのを撮りたい」と主張したが、警察側は「人数の問題ではなく、企業として一般道で商業的な活動をすることはできない」と却下した。
むしろ警察側は、「これ以上、ファンが集まると危険なので、ホームページやSNSを使用して、イベントの中止を即刻、行うように」と要請してきた。
だが、その場にKIMOAの日本人スタッフがいないため、その件に関しては「イベントを中止した後に、速やかに行う」ということで、手を打った。
ここで、アロンソ側は事の重大さに気がついたようで、「スクランブル交差点でのイベントはいっさいやらないが、せめて集まってくれたファンとハチ公の前でアロンソが記念撮影したい」と新たな案を提示した。
警察側は「1枚か2枚ぐらいだったら……」という条件で、その時はアロンソ側の条件を飲み、いったん解散。その後、アルベルトたちはアロンソがいる場所へ移動し、説明していたと思われる。
時計の針を見ると、集合時間の午後4時半まで、あと20分ほどとなっていた。
ハチ公前にある派出所での協議を終えて、ハチ公前へ行って、驚いた。10分前には、「ちょっと多いな」という程度だった待ち人たちの数が、明らかに「ここでこれから何かが始まる」という雰囲気を感じる群衆となっていた。そうなると、アロンソのファン以外の人たちまで集まりだして来て、さすがに警察官が動き出す。
ハチ公前を巡回していた警察官が異変に気付き、派出所へ応援を要請。先ほど協議していた警察官たちが私を見つけると、「これではもう写真撮影も許可できません」と言って来た。
ところが、すでにアロンソのマネージャーであるアルベルトはアロンソが待機している場所へ向かい、ここにはいない。しかも、アロンソに「記念撮影はなんとかできる」と説明しているはず。
つまり、このままでは警察官とアロンソ側が衝突する恐れがあったため、筆者はアルベルトの携帯に電話して「アロンソを連れて来ないで、あなたが一人で来るように」と告げた。
数分後にカメラマンとやってきたアルベルトは、群衆を見て、「わかった。みんなとの集合写真もやらない。でも、こういう事態になってしまったことを本人から謝罪させてほしい」と最後のお願いを行なったが、警察官はすでに200人以上に膨れ上がった群衆を指差して、「すでに危険な状況です。すぐに解散させなさい」と命令。
それでも、マネージャーが「ひと言だけでも」と食い下がると、警察官は「もし、われわれ命令を無視して本人を連れて来た場合は、連行も辞さない」と告げて来たため、私はこれ以上の交渉はだれのメリットにもならないと、マネージャーにアロンソの登場を断念させ、アロンソに代わって2人で謝罪に行くことを提案。警察官も拡声器を貸してくれ、なんとか大事にならずに済んだ。
残念な結末に終わったが、2つだけ救われたことがある。ひとつは、ファンが非常に冷静で、かつ温かい対応を行ってくれたことだ。よくドライバーたちが「鈴鹿のファンは世界一だ」と言うが、鈴鹿だけでなく、日本のファンは世界一だと感じた。
もうひとつは、想像以上にアロンソ・ファン、F1ファンが集まってくれたことだ。マレーシアGPでイベントについてアロンソ側と話していたとき、彼らは「だれも来なかったら、どうしよう?」と心配していた。それが「行けば、なんとかなる」という甘い気持ちにつながったのかもしれないが、ハチ公の前に集まった人たちをどこからか見ていたアロンソは、その数に驚いていたことだろう。
F1は日本でしっかりと根付いている。だからこそ、次回このようなイベントをやるときは、もう少し入念な計画を立ててほしい。アロンソなら、きっと素晴らしいイベントができるはずだから。