10月13~15日に開催が迫るMotoGP日本GP。ツインリンクもてぎで開催される二輪ロードレース世界選手権の最高峰クラスには、現在六つのメーカーがファクトリー体制で参戦している。各メーカーが辿ってきた歴史や所属するライダーたちを紹介しよう。
ーーーーーーーーーー
■スズキ(チーム・スズキ・エクスター)
スズキが世界選手権シーンに登場したのは1974年。その2年後の1976年には、早くもバリー・シーンによって最高峰タイトルを獲得した。この年はランキングの6位までをスズキのマシンが占める圧勝。1977年にはタイトル防衛を果たした。
さらに1981年にはスズキ同士のタイトル争いが展開され、マルコ・ルッキネリがチャンピオン、ランディ・マモラがランキング2位を獲得している。1982年はホンダに移籍したルッキネリの後釜に収まったフランコ・ウンチーニによってタイトル防衛がなされた。その後1993年にケビン・シュワンツが、2000年にケニー・ロバーツ・ジュニアがスズキにタイトルをもたらしている。
その後、スズキは青木宣篤をはじめセテ・ジベルノー、ジョン・ホプキンス、ロリス・カピロッシ、アルバロ・バウティスタといった名ライダーを獲得するもタイトルから見放され、2011年シーズンを最後にMotoGP参戦を休止した。
スズキがMotoGP復帰に向けて動きを見せたのは2014年だ。GP界ではらつ腕マネージャーとして知られるダビデ・ブリビオを迎えてテストを開始すると、2015年にマーベリック・ビニャーレスとアレイシ・エスパルガロという布陣で正式復帰を果たした。
2015年はエスパルガロがポールポジションを獲得するなど順調な復帰初年度となった。翌2016年第12戦イギリスGPにはビニャーレスによって、2007年以来の優勝を手にしている。スズキにとって、ドライコンディションでの優勝は2001年以来、シルバーストーンでの優勝は1982年以来という快挙だった。
2017年シーズンはビニャーレスがヤマハへ、エスパルガロがアプリリアに移籍し、替わってアンドレア・イアンノーネとMotoGPルーキーのアレックス・リンスを迎えてライダーラインアップを一新。しかし、リンスは第3戦アメリカGPのフリー走行中に転倒、負傷。5戦の欠場を余儀なくされ、イアンノーネも転倒のレースが続くなど、不運が重なった。
一方ではMotoGPマシン開発ライダーを務める津田拓也がリンスの代役ライダーして世界選手権デビューを果たすなど、日本人にとってはうれしいシーズンになったともいえる。傷が癒えたリンスは第8戦オランダGPから復帰。日本GPにはイアンノーネとリンスというレギュラーライダーで臨む。