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「もう止めようと思った」VivaC team TSUCHIYA、新たな目標「GT500」へ船出

2017年10月01日 14:22  AUTOSPORT web

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VivaC team TSUCHIYAの土屋武士監督と松井孝允
2016年、ドラマチックなまでの展開でスーパーGT300クラスのチャンピオンを獲得したVivaC team TSUCHIYA。2017年は土屋武士に代わって山下健太を迎え、第3戦オートポリスで優勝を飾るなど、順風満帆なシーズンを送っていたかに見えたが、チームを率いる武士はある悩みを抱えていた。思い悩んだ武士は、仲間たちに「もう今年でスーパーGTは止めようと思う」と伝えるまでに至っていた──。

■突き詰めたVivaC 86 MCの速さの先に
「若者を育てる、最強プライベーターを復活させる」

 2014年、武士が率いるteam SAMURAIは、2015年からのスーパーGT復帰を目指し動き始めた。2008年に父である土屋春雄が率いたつちやエンジニアリングは解散に追い込まれたが、武士はその思いを継ぎ、名門ガレージ復活に向けて3カ年計画を立てた。1年目は、武士が見込んだ松井孝允をJAF-F4で育てること。そして2年目にスーパーGTに復帰し、そして3年目でチャンピオンを獲る……。支援するファンも含め、「そんなにうまくいくのだろうか?」と思った計画だったが、武士はそれを達成してみせた。これまでトップカテゴリーのチャンピオンを掴めていなかった、武士自らのGT参戦のラストイヤーに。

 その過程は多くのファンの感動を呼び、チームは祝福ムードに包まれていた。しかし2016年オフ、王座獲得から10日もしないうちに、それまで衝突しながらも武士を支えてくれた春雄が口腔底がんで入院することになった。

「初めて土屋春雄がいない工場で、あのマシンを自分がやらなければならなくなった。もちろんお祝いムードなんてすっ飛んで、とにかく親父を安心させたいのと、自分がいま何をやらなければいけないのかを考えて、とにかく今できる限りのことをしようと思った」と武士は振り返る。

 武士は2017年に向け、自らチーム代表、エンジニア、そしてメカニックとして、不眠不休の日々を過ごした。実際、オフテストでも武士はストイックに、自らのチャンピオンカーであるVivaC 86 MCの精度を極限にまで高めていた。やればやるほどタイムが上がる。武士はさらに熱中した。

「どこかでスイッチが入っちゃって、『親父がいなくてもできる』という目標をクリアするために、ポールを獲る、勝つということをずっとやっていた。時間の許す限りそれに集中しましたね。ホント、正月三が日しか休まなかったし、それで結果は出ましたから。『やっぱりやる気があればなんとかなるんだ』と思っていた」。武士はこう2017年の開幕前を振り返る。

 実際、開幕からVivaC 86 MCは速さを見せ続けた。結果は見たとおりだった。

「レースはやはり技術を磨くもので、それを追求して結果というかたちで出てくる。純粋にそれだけに取り組んで、技術を磨かなければ、この結果は出なかったと思うし、そのなかで自分も磨かれていった」

■追い求めた技術を買ってもらえない
 しかしそんな2016年から17年にかけて、武士はある悩みを抱える。

 武士はこのプロジェクトの『3カ年計画』のなかで、若手を育て、土屋春雄の技術とスピリットを伝承し、そして最強プライベーターを復活させるために、投資をしてきた。GT300マザーシャシーは、自らがプロドライバーとして稼いできた資金の「ほぼ全部を突っ込んで」買った。また、武士とVivaC team TSUCHIYAを支える“仲間たち”、そしてサムライサポーターズが支え、これまで3年間活動を行ってきた。

 チームは資金的に決して潤沢ではない。しかし武士は、「『レースはやっぱり人を育てる』という場があって、情熱ある人が集うことで、レースの魅力がもっと深くなるだろうと思っていたし、そういう場があることがレースの本質であって欲しいと思っていた。僕はレースが大好きだから」という思いで3年間続けてきた。

 きっと、その目的地に達成したとき、「やっぱりレース界にはこういうチームは必要だよね」という思いをさまざまな人が持ってくれて、復活したつちやエンジニアリングの技術を「買ってもらえる」だろうと考えていたのだ。

 しかし、2016年にチャンピオンを獲った後、「何も変わらなかった」と武士は言う。もちろん武士はチーム代表としての顔をもっている。ただ黙ってマシンをいじり続けていただけではない。しかし、VivaC team TSUCHIYAを強力にサポートしてくれるような企業は、現在のところ現れていない。

「正直、『こういうチームを存続させる協力をして欲しい』という話はいろいろなメーカーさんや企業さんにもした。個人個人では、みんな応援してくれる。でも、会社に戻るとなかなかそうはならない事情もある。これは当然どの社会でもある現実だとは思うけど、それは仕方ない」と武士は言う。

「でも実際に支援は必要だし、そうでないと続けるのは難しい。ここまでは個人の気持ちと支援でたどり着けたけど、『モータースポーツを文化にしなければいけないね』という使命をもっている、力を持っている企業だったり、大きな支援をできる企業が出てきてくれると思っていた」

「ここまでは個人の仲間の思いで来られたけど、この先ってなかなか無理だよな……と。正直、自分がやりたいことに、みんなを巻き込んだかたちでスタートしている。でもこの先は、みんなを巻き込んではいけないのではないかと思った。この先は、つちやエンジニアリングみたいなチームが必要だと思ってくれる、モータースポーツを文化だと思ってくれる企業が支援してくれて、ステージを作ってくれないと……、個人の思いだけではなかなか続けられない」

 武士の悩みは、オートポリスで勝利を飾った頃、ピークに達した。レースは勝てた。でもその技術は買ってもらえない。その頃の思いを、武士はこう振り返る。

「何も変わらない現実を突きつけられた。技術者としてできる限りのことをしたけど、その先のカベは突破できなかった。オートポリスで優勝した後は、突破できなかったショックの方が大きかった」

 このままでは、父と同じように、技術力をいかにアピールして、勝利を重ねたところで、その先は仲間たちを巻き込むだけになってしまう……。この頃の武士は、SNS上でも悩みの一部を吐露していたが、それを見た方も多いだろう。武士は自らのなかで「これ以上みんなに何かしらのかたちで返せる自信がない。もう止めよう」という結論に至り、6月初旬、サポートしてくれる仲間たちを集め、こう伝えた。

「もうこれ以上みんなに甘えられないので、来年はもう続けられない。次の目的地を見つけるまで、いったん止めようと思います」

■「つちやが止めたら、夢も希望もないだろう」
 武士の思わぬ提案に、チームを支えてきた仲間たちには動揺が走った。「よし。では来年のことを決めよう」と、チームのタイトルスポンサーであるVivaCをはじめ、ふたたび7月初旬に仲間たちに招集がかかり、VivaC team TSUCHIYAの将来について話し合いがもたれた。

「レースはもちろん楽しいし、やることはいっぱいあるけど、目的地がない。自分としては、進むべき場所が見つからなくなっていた。『勝つ』とか『チャンピオン』とか、“目標”はすぐ見つかるけど、レースを続けるための“目的”を見失ってしまった」という武士に対して、仲間たちはこんな意見を述べた。

「つちやエンジニアリングが止めたら、他のレースを目指して頑張っている人たちに対して、夢も希望もなくなるだろう。こんなに頑張っても『またつちやエンジニアリングが解散なんだ』となったら、この世界に夢も希望もないだろう」

「止めるの? そんなのはカッコ悪いよ」

 武士は自らを「基本は弱い人間」だという。しかし、気心知れた仲間たちは、そんな武士の尻を叩き続けた。「じゃあ、次の目的地を設定しないといけないよね」という提案が出た後、VivaC team TSUCHIYAの次の目的地が設定されることになった。

「チームでGT500に行こうよ」と。

「まさかみんながそんな風に言ってくれるとは思っていなかった」という武士だったが、仲間たちの思いに決意を固めた。

「今のGT500は自動車メーカー系のチームしかできない。ウチはプライベーターなので、GT500をすぐにやることはできない。だけど、とにかくチームとして目指そうと。自分たちがそのステージに上がれる準備をしよう」

■まずはGT500のための準備を進める
 武士の言うとおり、現代のスーパーGT500クラスはレクサス、ニッサン、ホンダの3メーカーが作りあげた3車種によって争われている。車両はDTMドイツツーリングカー選手権との統一規定『クラス1』に沿ったものだ。資金の有無はともかく、プライベーターが「やります!」と言ってできるものではない。だから武士が言うとおり、「とにかくチームとして目指す。自分たちがそのステージに上がれる準備をする」というのが現状だ。決して具体的にいつから……という話ではない。

「やっぱり技術で勝負したいので、もっと自分たちを磨いて、そこに相応しい準備をして、GT500に相応しいチームにならないといけないと思う。そういう意味ではまだまだ。当然、GT300でチャンピオンを獲るより大変な道になるので、これを応援してくれる企業さんももっと募らないと、絶対にたどり着けない」

 ちなみに、武士にGT500にたどり着くための方法について聞くと、まず既存の3メーカーや海外メーカーが車両を供給するために手を挙げるのは「ウエルカム」。一方で、「今のGT300のようなマザーシャシーを使って、ブレーキはスチール。エンジンは、いまTRDが2リッターターボを作っていますよね。それで単純に、これとこれは改造禁止と支給されて、ちょっとしたものを作ってつけるのはOKみたいな、今のMCみたいなレギュレーションを作って欲しい」と“プライベーター向けGT500”のような規則ができないかという提案も。折しも、メルセデス撤退で揺れるDTMもそういった提案を出し始めている。

 いまGT500に向けて武士が欲しいのは「一緒に勝とう」と言ってくれるパートナーであり、譲れない部分は、ゼッケン25と、松井孝允を乗せること。山下は「できれば孝允・健太のコンビで500をやりたいけど、もう健太は来年GT500に行くべき。GT500のチームみんながそういう目で見ているのも分かっている」という。ただ、松井に足りないのは経験だけで、松井も経験を積めば“個人昇格”も近いと武士は考えている。

■『Road to GT500』。新たな目的地への船出
“新たな目的地”に向け、武士の腹は決まった。さっそくスーパーGT第5戦富士では、『Road to GT500』と書かれたラバーのリストバンドを作り、チームスタッフがそれを着けた。いま、武士はふたたび前を向き、VivaC team TSUCHIYAは新たな目的地に向け、船出を始めた。

「今まではこれ以上支援をしてもらうわけにはいかないと思っていたけど、新しい目的地が決まったからには、もっと仲間を増やさないといけない。それはチームオーナーとしての仕事だし、またハードルが上がっている。またいいチャンスをもらったなと」

「『つちやエンジニアリングをGT500で見たい』と思ってくれる人がたくさん集ってくれたら、きっとそうなるんだろうなと。だから、仲間を増やして頑張ろうと思います。また2014年に戻っちゃうけど(笑)、情熱だけはあるし、仲間はいる。それでたどり着けるかやってみます」

 武士は「この間の鈴鹿のクラッシュも、オーナーとしては今までにない馬鹿でかいハードルだけど、自分で乗り越えたいと思った。そうやってモチベーションも上がってきたしね。やれるうちは全力でやりたい」と、S字でクラッシュしたVivaC 86 MCを修復させ、タイへ空輸で送った。新たなカウルを装着されピカピカになったVivaC 86 MCは、武士の新たな思いを反映しているかのようだった。

 GT500というハードルは、スーパーGTファンなら分かるとおり、相当に高いものだ。「できるわけがない」という人もいるだろう。だが2014年、チームがGT300チャンピオンを本当に3年後に獲ると思っていた人が、武士以外にいただろうか? 武士はそうやって、周囲を驚かせてきた男だ。いつになるかは分からないが、白いゼッケン25番を着けたマシンが走るときが、きっと見られるはずだ。