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【あなたは何しに?】日本のレース界ではおなじみの通訳。F1シンガポールGPでも大活躍

2017年09月28日 17:32  AUTOSPORT web

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日本のレース界で通訳や広報の仕事を務めている伊藤ソニア
F1シーズンを転戦していると、いろいろな人との出会いがある。そんな人たちに、「あなたは何しに、レースに来たのか?」を尋ねる連載企画。今回は日本のレース界ではお馴染み、通訳や広報の仕事を務めている伊藤ソニアさんだ。 

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 シンガポール市街地サーキットのパドックに、日本のレース関係者には馴染み深い白人女性の姿があった。伊藤ソニアさん。ポルトガル・リスボンで生まれ、13歳で両親とともに日本へ。名古屋とオーストラリアの大学を出て、1980年代後半からは日本各地のサーキットで通訳や、広報の仕事を務めている。

 日本語、ポルトガル語、英語、スペイン語、さらにフランス語と、5カ国語に堪能なのもさることながら、そのてきぱきとした仕事ぶり、そして時に殺気立った雰囲気の流れるメディアセンターでも、決して笑顔を絶やさない人柄に、日本人外国人を問わずファンが多い。筆者は日本GPの鈴鹿で年に一度会うだけだが、毎回大変お世話になっている。

 ソニアさんが今回シンガポールまで出張してきたのは、トロロッソとの来季からの提携を発表したホンダの山本雅史モータースポーツ部長らが出席するFIA会見での通訳を頼まれたからだった。

 マクラーレンとの『離婚』の経緯や、F1からの撤退の可能性はなかったのかなど、難しい質問がいくつも飛んだが、ソニアさんは日本語の微妙なニュアンスも的確に英語に移し替えていた。

 この仕事の一番の醍醐味は、「いろんな人との出会い」だと、ソニアさんは言う。
「本田宗一郎さんにお会いできた経験は今でも忘れられないし、私の一生の誇りです。亡くなる直前で、ほんの少し話しただけでしたけど、すごいオーラでした」

「そしてアイルトン・セナ。彼とは何度もいっしょに仕事をしました。自分にも他人にも厳しい人でしたね。インタビューで準備不足の質問や繰り返しの質問には、はっきりそれを指摘したり。でも人柄は、すごく優しかった」

「鈴鹿が最終戦だった頃は、みんなでいっしょに夜遅くまで騒いだこともいい思い出です。今はそんなこともすっかりなくなって、ちょっとビジネスライクになってしまったのは残念ですね」

 仕事柄、ドライバーやライダーの死にも何度も立ち合ってきた。加藤大二郎の事故死が中でも悲しかったというソニアさんだが、「すごく悲しい出来事でしたけど、でも彼らはベストを尽くし、好きなことをやり続けた中で亡くなった。私も輝いたまま、一生を終えられればと思ってますよ」

 金曜日の朝シンガポールに到着し、その晩の会見をきっちりこなしたソニアさんは、疲れも見せずに深夜フライトで日本へと戻って行った。2週間後の鈴鹿でも、颯爽とした仕事ぶりを見せてくれることだろう。