シンガポールGPは、ニコ・ヒュルケンベルグにとって特別なレースだった。それは前戦イタリアGPで、F1にデビューしてから一度も表彰台に立てないという表彰台未登壇出走記録が、エイドリアン・スーティルと並んで歴代最多の128戦となり、シンガポールGPで4位以下に終われば、不名誉な記録で単独トップとなるからだ。シンガポールGP直前の記録は以下の通りだ。
エイドリアン・スーティル 128戦
ニコ・ヒュルケンベルグ 128戦
ピエルルイジ・マルティニ 118戦
フィリップ・アリオー 109戦
ペトロ・ディニス 98戦
片山右京 96戦
レース前の会見で、筆者はその件を本人に尋ねた。周囲にいた記者の多くは、そんな記録がかかっているとは知らなかったのか、質問の意味をよく理解していない様子だったが、ヒュルケンベルグはすぐにこう回答してきた。
「エイドリアンの記録を更新するに、僕は長い時間戦ってきた。今週末、ようやくその日がやってくる。スーティル時代に幕を下ろし、これからはヒュルケンベルグ時代がスタートする」
もちろん、これはヒュルケンベルグ流のジョークである。しかし、質問をジョークで切り返せるほど、ヒュルケンベルグの頭の中では、表彰台未登壇記録を意識していたことは間違いない。
ヒュルケンベルグはメディア嫌いなドライバーとして有名で、この質問によって確実に嫌われてしまったと思いつつ、日曜日のグリッド上でヒュルケンベルグと再会した。どういうわけか、ヒュルケンベルグはこちらを見て微笑んだ。雨が降り出したからだ。
じつは件の会見で、筆者はその後「これまでで最も表彰台に近かったレースは何か?」と尋ねた。ヒュルケンベルグの答えは「昨年のモナコと2012年のブラジル」だと、こちらも即答した。それくらい悔しいレースだったのだろう。じつはこの2つのレースはともに雨がらみのレースだった。
ヒュルケンベルグが昨年まで所属していたフォース・インディアでタイヤ&ビークルサイエンス部門シニアエンジニアとして活躍している松崎淳は、ヒュルケンベルグの長所として「予選の速さとウエットコンディション時の巧みなアクセルワーク」を挙げていた。
抜きどころがないシンガポールGPで、7番手からスタートするヒュルケンベルグにとって、スタート直前に落ちてきた雨は、恵みの雨だったというわけだ。
予想通りレースはスタートから荒れ、その混乱に乗じてヒュルケンベルグは3番手まで浮上。ヒュルケンベルグにとって、理想的な展開となった。しかし、ピットストップの際にポジションを落とすと、最後はエンジンのオイル漏れによってリタイアを余儀なくされた。
この瞬間、ヒュルケンベルグは表彰台未登壇出走記録で、単独最多となる『129』を樹立した。それでも、ヒュルケンベルグがシートを失うという声は聞こえてこない。それは裏返せば、表彰台に立てなくても、実力はしっかりと評価されているという証左。2週間後の日本GPはヒュルケンベルグにとって相性のいいサーキット。記録を気にせず、思い切り鈴鹿を疾走してほしい。