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どの世代にも愛される、ロードムービー史における新たな傑作 『50年後のボクたちは』の瑞々しさ

2017年09月21日 12:03  リアルサウンド

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 14歳の頃の自分はどんな自分だっただろうーー。そんなことを呼び起こしてくれるのが、ファティ・アキン監督作『50年後のボクたちは』である。過去には『太陽に恋して』(2000)でも、若い男女が盗んだ車を走らせるロードムービーを描いていたファティ・アキン監督が、今度は14歳の少年を主人公に瑞々しい青春ロードムービーを完成させた。


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 原作はドイツのベストセラー小説『14歳、ぼくらの疾走』。原作者のヴォルフガング・ヘルンドルフは脳腫瘍のため病床で本作を書き上げ、迫ってくる死に逆行するように生のエネルギーと未来への想いを詰め込んだ。そんな同小説が忠実に、そして巧みに映像化されている。


 アルコール中毒の母親と、若い女性と浮気中の父親の家庭で閉塞感を感じているマイク(トリスタン・ゲーベル)は、クラスでもはみ出し者。そんなある日、風変わりなロシア移民のチック(アナンド・バトビレグ・チョローンバータル)が転校してくる。彼に誘われてオンボロ車のラーダ・ニーヴァで旅に出ることになったマイクは、思いがけず最高の夏を経験することになる……。


 2人はチックの祖父が住んでいるという”ワラキア”を目指す。しかし、ドイツ語で“はるか遠い場所”を指す“ワラキア”を目的地にしたその旅は、あてもなく疾走する旅と等しい。そしてそのあてなき旅は、詩人のロバート・ルイス・スティーヴンソンの「希望に満ちて旅することは、目的地に辿り着くより良いことである」という至言と反響し合う。


 地図もスマホもなく、とにかく南へ車を走らせる中で、マイクにはいくつもの試練が訪れる。弱虫で臆病者なマイクにとっては、車を運転することも勇気がいることだったが、ハンドルを握らせたのはチックの“ある秘密の告白”である。ロシア移民であり、別の意味でもマイノリティであるチックは、トルコ系移民2世というアイデンティティを持ち、マイノリティの人々に温かい眼差しを向け続けるファティ・アキン監督らしいキャラクターといえる。そんなチックは、マイクの前に突如現れた救世主である。


「どこかの星で映画と同じことが起きてる」


 夜空を見ながら夢想する彼らは、SF映画で起きるような出来事が宇宙のどこかで本当に起こっていると心から信じている。信じさえすれば、それは本当に存在するのだという魔法の秘密を2人だけで共有する、とびきりの瞬間。原作では、マイクが旅に持参した冷凍ピザはUFOの円盤になぞらえられている。幾つか散りばめられたこれらの宇宙に関するモチーフは、マイクの閉じられた世界である家庭と学校の空間と対比されている。それは、宇宙が広く、今いる場所は世界の全てではないことを伝えてくれる。


 14歳の少年とイニシエーションを描いた映画作品のうち、本作と対極に位置する作品として想起するのは、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『孤独な天使たち』だ。同じく学校と家庭で疎外感に苦しむ14歳の主人公ロレンツォは本作のマイクであり、チックにあたるのは異母姉のオリヴィアである。少年たちはいっときの逃避行を終えたのち、大人への道を歩み始めるのだが、マイクとチックが外へ外へと向かうのに対し、ロレンツォとオリヴィアは家の狭い地下室に閉じこもる。そして、マイクはチックをはじめとするまったくの他者と出会うことを通して、ロレンツォは馴染みのある親族と再び向かい合うことを通して、それぞれ自分自身と世界について知り始める。そんな対照的な2作品には、ある共通点が認められる。


 原作では逃避行を終えたその後のチック、あるいはオリヴィアの行く先が描かれているが、どちらも映画では改変されている。救世主的存在である彼らのその後をあえて描かないことで、いつまでもかけがえない時間の中の輝かしい姿のまま、少年たちと私たちの記憶に彼らの姿は刻まれる。行方知らずの救世主は、だからこそ永遠のヒーローになり得る。


 そして、『孤独な天使たち』の劇中で流れるデヴィッド・ボウイの「スペース・オディティ」が謳うのは、まさしく宇宙空間の物語である。青春時代におそらくは誰もが一度は対峙したこのある宇宙は、映画の世界においても閉ざされた世界に倦む孤独な少年少女たちを結びつけるかのように存在する。


 本作が描くのは、子どもたちにとってはまだ見ぬ冒険へ踏み出す勇気を与えてくれる物語であり、大人たちにとっては14歳の頃の自分と邂逅するノスタルジーの旅へ誘ってくれる物語である。どの世代にも愛されるであろう本作は、ロードムービー史における傑作をまたひとつ更新した。


 少年たちは高台で50年後に再会する約束をし合う。ひとたび大人になれば、もう無邪気に50年後に約束を作ったりはできない。幼き世代にだけ許された特権を持つ彼らのことが、どこまでも眩しい。(mizuki)