1994年に入る頃は安室がメインとなり、7月20日に発売した4枚目シングル『PARADISE TRAIN』から安室奈美恵の単独ボーカルとなる。8月よりバラエティ番組『夜もヒッパレ一生けんめい』に準レギュラーで出演して注目を集め、翌年1月に“安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S”名義で出したシングル『TRY ME ~私を信じて~』はオリコン週間8位を記録して累計70万枚を超える大ヒットとなる。
同年4月からは後継番組となる音楽バラエティ『THE夜もヒッパレ』のレギュラーとなり、この頃に安室を除く「NANA、MINA、LINA、REINA」の4人でMAXを結成する。安室奈美恵は“アムラー”ブームを巻き起こし、MAXの人気も上昇すると一緒にテレビ出演することが減っていく。1996年9月1日に千葉マリンスタジアムで行った『SUMMER PRESENTS '96 AMURO NAMIE with SUPER MONKEY'S』ツアー最終公演をもってグループの活動を休止した。