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窪田正孝ら『僕やり』最終話でそれぞれの道へ 原作とは異なる“メッセージ”を読む

2017年09月20日 12:32  リアルサウンド

リアルサウンド

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 ライブ会場に乱入し、自分たちの罪を告白したトビオ(窪田正孝)たち4人だったが、輪島(古田新太)の指示を受けた一味に拉致されてしまう。目を覚ましたトビオは、マル(葉山奨之)と伊佐美(間宮祥太朗)とともに解放されることになるが、一人だけ殺されそうになっているパイセン(今野浩喜)を見捨てることができず、その場に止まる。そしてパイセンは、もみ合いの末に実の弟である玲夢(山田裕貴)を刺してしまうのだ。


参考:『僕たちがやりました』ヒロイン2人の行方は? 永野芽郁と川栄李奈の笑顔がもたらすもの


 今クールに放送された連ドラで、もっとも熱い支持を集めたフジテレビ系火9ドラマ『僕たちがやりました』が、19日に最終回を迎えた。最後の最後まで“攻め”の姿勢を保ち続けた本作は、主人公たちの10年後を描くという原作通りの結末にたどり着きながらも、モヤモヤした原作のエンディングとは異なる、はっきりとしたメッセージを込めてきたのだ。


 自首作戦も失敗に終わり、自分たちの犯した罪が再びもみ消されたトビオは、学校の屋上に爆弾を持って現れる。そこで、自分たちが矢波高校に仕掛けたのと同じ、小さな小さな爆弾が、たった一枚の窓ガラスを破る姿を見て、笑顔から涙へと変わる。「死んで償えるなら今すぐ死にたいよ。でもそれじゃ逃げてた時と何も変わらねえじゃん」涙を浮かべながら、罪を悔い続けるトビオの中には、飯室の発した「一生苦しめ」という言葉に従って、苦しみながらも与えられた一生を生き続ける覚悟が現れている。そこには紛れもなく、学校の屋上から飛び降りて、“新しい自分”になった時に芽生えた、市橋(新田真剣佑)への後悔が大きくのしかかっているのだろう。


 それにしても、連行される直前に、駆け寄った蓮子(永野芽郁)からのキスシーンと、そのあとの台詞「あなたが一生会いたくなくても、私は会いたい」は見事であった。学校からパトカーで立ち去って行く場面といえば、たとえば『3年B組金八先生』(TBS系)第2シリーズでの名シーンさながらに、パトカーの車内に乗ったトビオの表情を映し出すことが常套手段のところを、車が走り去って行くのを眺める蓮子の表情をさらりと描くだけに止めた。


 この瞬間に、もうトビオと蓮子が再会して結ばれるという、原作にはないドラマティックなエンディングへの希望は絶たれたのである。残される側の蓮子の曇った表情だけを映すということは、その直前の台詞が決して叶うことのないものだと予感させるほどの、とてつもない切なさを漂わせたのだ。


 案の定、原作同様に10年後のエピローグに入った物語は、4人の再会と蓮子との再会、そして市橋の亡霊との対峙という、原作のフィナーレにおける重要な部分だけを端的に描き出した。原作は同棲相手との間に生まれてくる子供を前にして、“そこそこ幸せ”を願いながらも、耐えられなくなったときに死ねばいいと考えるトビオの、引き攣った笑みで幕を下ろした。しかし、その境遇をがっつりと変えたことで、帰結点となるメッセージに相応しいエピローグとなったのではないだろうか。


 原作のラストは、連載終了後に様々な憶測が飛び交ったように、かなりモヤモヤした印象を受けるものだった。しかしドラマ版では、幸せな家庭を持った伊佐美と、クズキャラのまま成功者になったマルと比較して、孤独な暮らしの中、爆破事件で失ったあらゆるものを引きずり続けるトビオ。市橋の亡霊を前に、自分を殺めようとする。おそらく空白の10年間の中で、このような瞬間が何度も訪れたのであろう。


 パイセンの最後の名言、「たまに死にたくなるんわ、生きている証や」という言葉の通り、死にたくなるたびに、何が何でも生きて行くことを強く誓うトビオ。たしかに後味の悪く、救いようのない結末かもしれない。しかし、そこには間違いなく“苦しみながらも、生きなくてはいけない”という、命の重さを問うストレートなメッセージが込められているのではないだろうか。


■久保田和馬
映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。