F1シンガポールGPの金曜、ホンダは2017年末でマクラーレンと袂を分かち、2018年からトロロッソにパワーユニットの供給を行うことを発表した。モータースポーツ部長である山本雅史氏が、今後のF1活動への意気込み、マクラーレンからトロロッソへ移ることで生じると思われる変化について語った。
ホンダは2015年にマクラーレンと独占契約する形でパワーユニットサプライヤーとしてF1に復帰、ともに頂点に立つことを目指したが、3年目の今年になっても成績は上向かず、第14戦終了時点でマクラーレン・ホンダはコンストラクターズランキングで10チーム中9位の位置に沈んでいる。
今年になって両者が契約を早期解消するとの推測が高まっていたが、シンガポールGPでそれが正式に発表された。同時にホンダは2018年から3年間の契約をトロロッソと結んだことも明らかになった。
「マクラーレン・ホンダのモットーは“ワン・チーム”であり、パフォーマンス向上のためにともに努力してきました。しかし、我々はプレシーズンテストの時点で望んだような結果が出せなかった。これによって、シーズン序盤から想定していたパワーが出せず、マクラーレンの期待にも届きませんでした」と山本モータースポーツ部長が語ったとホンダF1公式サイトが伝えている。
「もちろん、ホンダはマクラーレンとの関係継続を望んでいましたが、それに足るだけのパフォーマンスや信頼性の目標をクリアできませんでした。これがお互いの関係性に影響を及ぼし、その結果として残念ながら離別を選ぶことにつながりました。F1の世界では結果を出すことが重要なので、本当に悔しいですが、こういったこともやむを得ないと考えています」
トロロッソはレッドブル社がミナルディを買収して設立したチームで、2006年からF1活動を開始。レッドブル傘下の若手ドライバーを乗せ、育成する役割も担っており、これまでセバスチャン・ベッテル、ダニエル・リカルド、マックス・フェルスタッペンらを兄弟チームのレッドブル・レーシングに昇格させてきた。エンジンは2007年から2013年までフェラーリを積み、2014年と2015年にルノーに変更した後、2016年はフェラーリを搭載、今年はルノーに戻していた。
山本氏は、若いチームであるトロロッソと、パワーユニットサプライヤーとしては今年3年目のホンダは、ともに成長することに強い情熱を抱いており、こうした方向性の一致により、トロロッソ・ホンダの準備はスムーズに進むと考えている。
「まず、(チーム代表であるフランツ・)トストさんは日本について造詣が深く、文化を理解しているので、いいコミュニケーションが取れています。また、トロロッソは若いチームで成長の最中にあり、ホンダにとっては、似たようなメンタリティー、アプローチでともに戦えるということも大きいです。考え方の近いチーム同士、一緒に前進できると思います」
「トロロッソとホンダは来季に向けて早急に準備を始めていきます。また、(シンガポールGPを含む)2017年の残り7戦はマクラーレンとともに戦うわけなので、ここでいいパフォーマンスを見せるとともに、彼らともしっかりコミュニケーションをとっていかなければなりません」
トロロッソとのワークス体制では、マクラーレンとのこの3年間とは違ったアプローチをとることになると、山本氏は示唆した。
「マクラーレンと組んでみて分かりましたが、企業の規模が大きいと、とてもシステマチックになります。もちろん、それが大きな強みであることは間違いないのですが、同時に変化に適応していくことは難しくなります」
「その点、トロロッソはまだ成長途上にある企業です。同じゴールを目指して一緒に歩んでいける関係であることが重要です。いいコミュニケーションをとりながら仕事ができることを、本当に楽しみにしています」
「マクラーレンとトロロッソの二つのチームを比べてみると、マクラーレンは洗練されたフランス料理のような完成されたイメージであるのに対し、トロロッソはおいしい田舎料理のようなイメージです。家庭料理のシチューのように、いくつか手を加えることでさらにおいしくできますし、そうできればと考えています」
F1は2021年に新たなエンジンレギュレーションを導入するため、現在詳細な内容を詰めるための議論を行っている。山本氏は残り3年となる今のレギュレーション下でのパワーユニットをこれから大きく進歩させていくとの意気込みを語った。
「現行レギュレーションは2020年まで有効で、まだ3年あるわけですから、技術的な進化を見せていきたいと思っています。ホンダのポテンシャルをしっかりと示したいです。世界中へ我々の進化を見てもらい、ホンダがどうやって成功に至るのかを示すことが大切です」
「モータースポーツは、ホンダのすべてであり、我々のDNAの一部なんです」
「1948年の創業以来、F1はホンダにとっての夢であり、その言葉どおり、1964年にF1参戦を叶えました。レースは、力を示して技術的な挑戦をする場であり、途中で投げ出すという考えは、ホンダのフィロソフィにはありません。進化と成長を示すためにここにいるわけで、非常に重要な場です」