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矢口史靖監督が語る、『サバイバルファミリー』の裏側と独自の製作スタイル「発見がなきゃつまらない」

2017年09月19日 17:03  リアルサウンド

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 矢口史靖監督作『サバイバルファミリー』のBlu-ray&DVDが9月20日に発売される。『ウォーター・ボーイズ』、『スウィング・ガールズ』、『WOOD JOB!(ウッジョブ) 神去なあなあ日常』など、知っているようで知らなかった世界を取り上げ、唯一無二の映画を生み出してきた矢口監督。最新作となる『サバイバルファミリー』では、「もしも地球から電気がなくなったら」をテーマに、都市機能が麻痺した東京から脱出した一家の奮闘を、コミカルに、そしてハードに描いている。


参考:現代日本の欠陥を問う『サバイバルファミリー』は、矢口史靖監督による“逆東京物語”だ


 リアルサウンド映画部ではBlu-ray&DVDの発売を記念し、矢口監督にインタビューを行った。公開から半年が経過し、今だからこそ話せる製作の裏側から、自身の映画作りのスタンス、そして特典映像の魅力までたっぷりと語ってもらった。


■「全部無くなっちゃえばいいのに」が本作の出発点


――まず、劇場公開を受けて、観客のリアクションその他、監督自身は、どんなことを感じましたか?


矢口:これまで自分が作ってきたストレートなコメディとはまったく違う、ちょっと背中に寒気が走るようなものを作ったつもりだったんですけど、意外とお客さんが笑って観てくれたというのはありました。予告編や公開前の宣伝の影響もあって、お客さんのほうも、観る前からある程度心の準備ができていて、「きっと、こういう感じで観たらいいんだろうな」っていうのがあったのかもしれないです。ただ、その一方で、笑うつもりで来たのに、観ている最中に「おや?」って思った人も結構いらっしゃったようで。そうやって、お客さんによって、その見方がすごくバラけるという現象が起きていて、それはちょっと面白かったですよね。


――公開前の段階では、いわゆる“パニック映画”や“ディザスタームービー”であるという説明のされ方が多かったように思いますが、それにしては、少し奇妙な映画になっていますよね?


矢口:そうですね。ディザスタームービーと言うには、そのディザスターが起きた瞬間は場面として映らないし、誰も見てないという(笑)。


――その原因も、よくわからないまま、話が進んでいく。


矢口:だから、ちょっと空を掴むような話と言いますか、どうしていいかわからない映画のなかに放り込まれて、どうしていいかわらからない主人公たちが右往左往する。実は、そういう映画を、意図して作ったんですよね。


――物語ありきではなく、まず状況ありきという意味で、これまでの矢口監督の映画とはアプローチが異なるように思いましたが、本作の出発点には、どんな発想があったのでしょう?


矢口:そもそもの出発点は、僕自身の機械オンチからスタートしています。まわりの人たちから、携帯とかパソコンのメールを使いなさいよって言われた頃に、この話を思いついたんです。それはもう、『ウォーターボーイズ』を撮った直後くらいまでさかのぼるんですけど。


――というと2001年とか、そのくらいの頃に、すでにアイディアとしてはあったと。


矢口:そうですね。で、携帯やパソコンを持ってないと困るって言うから、一応持ち始めはしたんですけど、なにせ機械オンチなもので、なかなか使いこなせない。それでもう、嫌になっちゃったんですよね。そんなに便利になって、何かいいことあるんだろうかと。で、それが気づいたら、「全部無くなっちゃえばいいのに」っていう発想になっていって。急速にデジタル社会になっていったけど、それによって何か大事なものが、どんどん欠落していくような気がしたんです。だったら、「いっそ無くなったほうが、人は幸せになるんじゃないか?」と。そういう強引な発想がスタートでした(笑)。


――過激な発想ですね(笑)。


矢口:で、それからちょっと時間が経って、一応作れることになったのですが、これはディザスタームービーのような体裁だけど、主人公たちもお客さんも、その災害が起きた瞬間を目撃してなくて、危機感を抱かないまま判断に迷うっていうのは、どうだろうと。そういうものって、まだできてないなと思って。それで、作りたくなったんです。普通のハリウッド映画、たとえば大停電の映画だったら、停電が起きて街の明かりがパパッて消えて、大パニックになるみたいなことが、いちばんの見せ場になる。そうじゃなくて、電気が消える瞬間は、誰も見てないと。で、そのうち戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。「これ、どうすべきなんだろう?」っていうのがわからない状況は、実は相当怖いことで。その状況を何とかしようと思う人もいれば、大丈夫って思う人もいる。で、大丈夫って言っているうちに、「あ、ちょっとアウトかも」っていう手遅れな状態に陥ったり。そうやって、判断のタイミングがズレることで、生きるか死ぬかの一線がいつの間にかそこまで来ているというのは、すごく怖いことだし、誰もやったことがなさそうだから、面白いんじゃないかと思いました。それで考えたのが、この『サバイバルファミリー』という話なんです。


――では、割と怖いものを撮ろうというのは、最初の段階からあったわけですね。


矢口:はい。だからこそ、主人公一家は、気がついてないんです。怖いことが起きているってことに。それで、最初は素っ頓狂なことをしたり、ピンボケなことを言ったりするっていう。それはそれで笑えるんですけど、この映画の根底には、「それ、ホントに笑ってていいの?」っていう不穏な感じがあるというか。そういうものにしたかったっていうのは、最初の段階からありましたね。


――ただ、その後、2011年に東日本大震災が起こります。それを受けて、映画の内容が少し変わったりしたのでしょうか?


矢口:震災を経て、ダイレクトに気分が変わったのは、「この映画、作っちゃダメなんじゃないか?」と思ったことですね。長いこと、やりたいやりたいと思っていたんですけど、現実のほうが、非常にシビアな感じになっていって。被災した人も多ければ、その傷跡も非常に深い。だから、地震とか津波とか原発とかを直接描こうとした場合、大きな覚悟がいるというか、「今の日本、ホントにこれでいいんですか?」という、ジャーナリスティックな意味合いが強く出るようになってしまったんです。ただ、僕がやりたかったのは、エンターテインメントなので、震災直後は、やってはいけない気分になりましたね。


――なるほど。


矢口:ただ、それから1年、2年経ってみると、震災の被災者と、それ以外の地域に住んでいる人たちとの意識の差が、開いてきたように思えて。震災直後は、災害に対して備えようって、みんな散々騒いだり準備したりしていたのに、意外と速いスピードで、みんな忘れていった。それはある程度しょうがないことなのかもしれないけど、だったらもしかすると、今こそ、この映画を作るべきタイミングなんじゃないかと思ったんです。ただし、地震や津波や、現実に近いものではなく、あくまでもフィクションで描くべきだと。もしかしたら、誰もが自分の身に降りかかるかもしれないと思える映画にしないと意味がない。ギリギリあるかないかわからないけど、「もしそうなっちゃったら、あなたならどうする?」というものにしたのは、今言った理由からなんですよね。


■CGでは表現できない“オールロケ”へのこだわり


――先ほども言ったように、個人的に、この映画は非常に奇妙な映画だなと思っていて。まず、前半部分は、ほとんど音楽が流れない無音の状態で、物語が進行します。


矢口:はい。映画っていうのは、普通劇伴の音楽をつけて、それは映画のストーリーの進行上、「ここは楽しそうなシーン」、「ここは悲しくなるシーン」みたいに、観客をわかりやすく誘導してあげるために使うんです。だけど、この映画は、主人公一家と一緒に観客も迷わせるのが目的としてあり、まわりから音楽やアナウンスが消えちゃったとき、どんな気分になるかを感じてもらいたかった。それを登場人物のセリフなどではなく、お客さんが観ているあいだに、「あ、音楽がなかったんだ」って、気づく人は気づくという。そういう違和感を体感してもらいたかった。だから、今回は極端に音楽を減らしました。その分、環境音がよく聴こえるようにして。そこはすごく気をつけましたね。


――それこそ、ディザスター映画にありがちな、派手な劇伴で盛り上げることをせず、とりわけ前半は淡々と、登場人物たちも、さほど会話をするわけでもない。


矢口:この主人公一家は、いわゆる仲良し家族じゃないですからね(笑)。だから、最初からしゃべり出すっていうことは、あんまりなくて。きっと、映画館の中のほうが、劇場の外より静かだったんじゃないですか(笑)。そういう非日常の静けさを、映画館で体験してもらいたいっていうのは、ちょっとありました。


――あと、ディザスタームービーでありながら、CGや合成に頼らないやり方で作っていますよね? その方針は、結構早い段階から決めていたのですか?


矢口:そうですね。CG技術がどんどん進んできているのは、僕も悪いことじゃないと思います。映像表現のやれる範囲が広がっていくことなので。ただ、特撮がもともと大好きな僕の目からすると、CGってすぐわかっちゃうんですよね。で、「この大事なシーンで、なぜCGを使う?」とか「ちょっと頑張れば実写で撮れるシーンを、なぜ合成で撮るんだ?」とか、映画を観ていてもCMを観ていても思ってしまうんです。「そこは頑張れよ」って、やっぱり思っちゃうんですよね。


――先ほどのメールの話と同じですよね。便利になって、何か大事なものが失われてしまったというか。


矢口:そうなんですよ。で、そういうことに気づく人は、やっぱりそこで冷めてしまうんですよね。ただ、最近はデジタルの合成やCGが氾濫してしまっているので、普通の観客も目が肥えてきて、はっきり意識しなくても、どっかで「あ、これは現実ではないよな」って、そのリアリティを感じなくなってきている気がするんです。


――ある種の“フィクション脳”というか、無意識のうちに、そういうものとして観てしまっていると。


矢口:それって、緊張感をどんどん削いでいくんですよ。「ホントにやっちゃってるけど大丈夫かな?」みたいなことを、映画を観ているあいだ、俳優さんたちが体験しているってちゃんと思えないと、それは危険にも見えないし、ドキドキハラハラもしない。なので、この映画は、そこをとても大事にしたんです。豚にしろ、川にしろ、高速道路にしろ、グリーンバックで合成することをせず、というか合成で撮れますよって言われそうなところを、前もって「オールロケで行きたいんです」って言って。まあ、スタッフは、みんな困っていましたけど(笑)。


――でしょうね(笑)。


矢口:でも、早めに言えば何とかなるというか、いろんなロケ地を探したりできるわけですよね。まあ、その分、スタジオで撮って合成すれば3日で撮れそうなところが5日かかったりするんだけど、ここは大事だから5日かけて、他のところを圧縮するとか、そうやってバランスを取れば撮れるんです。時間をかけてやるっていうことと、全部ロケでやるっていうことが、この映画にはすごく合っていたと思うんです。


――先ほどの音楽の話と同じように、全編ロケ撮影していることが、映画を観ているうちに、だんだんとわかってきます。


矢口:そう。だから、いちいち「ホントにやってますよ。すごいでしょ?」っていう見せ方ではなくて、観ているうちに、「あ、これ、全部ホントにやってるんだ」って、どこか早い段階で感じてもらえれば、あとはもう、そのつもりで見てもらえるわけですよね。家族が踏んだり蹴ったり、濡れたり落ちたりっていうのを、自分のことのように、冷たかったり痛かったり感じてもらえる。そうすれば、その後の出会いや別れ、感情の起伏も、素直に感じてもらえるんじゃないかと思っていて。


――この映画は、町のシーンが仙台で、高速道路のシーンは山口だったり、実は日本全国でロケをしているんですよね。欲しい画を撮るためのロケ地探しは、相当苦労されたんじゃないですか?


矢口:まあ、苦労したのは、スタッフですよね(笑)。痛い目に遭ったのは俳優さんだし。


――(笑)。監督は?


矢口:僕は、まず台本を書いて、プロデューサーやスタッフたちから、「撮影できる高速道路の料金所が、見つかりません!」って連絡がきたときに、「すいません、もうひと頑張りお願いします。そこは何としても実写で撮りたいので」ってお願いしたり……結局、料金所のシーンは、静岡の富士スピードウェイで撮ったのですが、装飾部分を減らしてカット数を減らしたら、この予算内でも撮れますよねって、実際に絵コンテを書いて、美術さんと交渉してとか、そうやって映画の技術を使って、撮れなさそうなものを、撮れるところまで持っていく。それが僕の役割なんです。で、そうやって結構緻密な作業をしていけば、限りある予算と日本国内でも何とか撮れるかなと。別に外国に行って、完成前の高速道路を使わなくても撮れるんです。


――なるほど。


矢口:もちろん、大抵の映画は多分、監督もスタッフも俳優さんも、相当努力していると思うんですよ。ただ、それが結果として、努力した分だけ画になるかっていうと、それが必ずしも直結するとは限らなくて。現場ではすごい面白そうだったのに、できあがった画はこんなちょびっとだったっていうこともあるし、そんなに頑張らなかった気がしたけど、編集と音楽ですごくうまくいく場合もあるんです。やっぱり、映画っていうのは生ものなんですよね。そうやって、セオリーが無い分、面白いというか。まあ、この映画は、編集もあんまりしないし、音楽もつけないから、現場でどれだけ頑張ったかが、そのまま画に出ていて……結果的に、現場でやったことは、そのまま見えた形になったかなって思います。


――今の話を聞いていて思いましたが、この映画は、ディザスタームービーと言うよりも、むしろロードムービーに近いものがありますよね。


矢口:そうですね。全員であっちこっち渡り歩きながら撮っているので。ホント、ロードムービーですね(笑)。東京のスタジオで撮って、あとから合成しても、同じストーリーは作れるのかもしれないけど、多分観たあとの気持ちが、全然違うものになったと思うんですよね。


――家族が旅立ってからは、敢えてドキュメンタリーのような撮り方をしていますよね? そこが、これまでの矢口作品と違うというか。


矢口:ただ、僕がこういう新しい撮り方をしたいから、そうしたということではなくて、この題材だから、この撮り方なんです。電気がついているあいだは三脚とドリーを使っていますけど、電気が消えてからは、ずーっと手持ちカメラで撮っています。結局、ほとんど手持ちで撮っているんですけど、それはまるでドキュメンタリーを見ているかのような、4人家族にもうひとりカメラが加わって、5人目としてそばで覗き見しているみたいな気分になってほしかったからなんです。


■「何か発明がないと、自分がつまらない」


――これまでのお話を聞いていて思いましたが、先ほどの全国ロケの話もそうですし、この映画には、まだまだやっていないこと、やろうと思えばできることって結構あるんだという、監督の思いが込められているように感じました。


矢口:結構どころか、まだ映画でやってない表現のほうが多いはずですよ。それは題材にしてもそう。もう腐るほどありますよ(笑)。それを、「あ、これ、映画になるんだ」って、誰も気がついてないだけなんです。だから、映画って、きっとこの程度なんだろうなっていうふうに気分が縮こまっているとしたら、そんなはずはないです。前に成功したものに倣って、それと似たものを作って稼ごうよとか、そういう発想をしていくと、だんだん気分が縮こまってきます。もちろん稼ぎたいんですよ。ヒットしてほしいし、たくさんの人に観てほしいんですけど、儲かるからやっとけみたいな感じには、なかなかなれないですよね。


――矢口監督のフィルモグラフィーを見ると、『ウォーターボーイズ』にしても、『スウィングガールズ』にしても、それまでありそうでなかったもの、そのあとに似たようなものはたくさん出てきていましたけど、そういう意味では、今回の『サバイバルファミリー』も含めて、「それまで誰もやってないこと」を作ろうという意識が、強くあるのでしょうか?


矢口:完全にそれは、自分の自己満足ですけど(笑)。何か発明がないと、自分がつまらないんですよ。「ここは誰もやってないよね?」っていう発見がなきゃつまらない。だから、全体的にはうまく行きそうなセオリーに則ってそうだけど、ちょっとこっちに外してみましょうとか、それやったらどうなっちゃうかな、みたいな発明がまったくなくて、あの成功したやつそっくりにしましょうってなっちゃうと、やる気が出てこないと言いますか、それだと単なる仕事になってしまう。や、もちろん仕事なんですけど、やっつけでしかなくなっちゃって、まったくやる気が湧いてこないので、そういうものは作れないですよね。そういう意味では、プロではないのかもしれないけど。


――それも含めて、矢口監督は、職業監督と言うよりも、いまだに“自主映画魂”みたいなものを持っているように感じました。


矢口:“自主映画魂”と言われちゃうと、ちょっとおこがましいですけどね。そんなに志は高くないんですよ(笑)。自分が観たいものを、ただ撮っているだけなので。


――とはいえ、そういう人たちの多くが、閉じたほうに行きがちなところ、矢口監督の映画は、常に開かれたエンターテインメント性を持っていて。そこが非常にユニークだなって思います。


矢口:それはきっと、僕がもともと、ハリウッド映画とか、開かれた映画をずっと見てきたせいでしょうね。閉じていてカッコいい映画に、あんまり触れてこなかったんですよ。閉じてたほうが映画通にモテるのにって言われても、もう育ちが違うので(笑)。ただ、そこにコクみたいなものは、一応入れておきたいんですよね。食べやすいだけじゃなくて、珍味な材料を使ってみる。そうやって、ちゃんとお客さんに届きつつ、隠し味をこっそり入れたいっていう欲は、常にあります。


――ところで、今回の『サバイバルファミリー』のBlu-rayスペシャル・エディションには、いくつか特典映像が収録されています。「矢口史靖監督のサバイバルのススメ」、本編のサイドストーリーである泉澤祐希主演の「サバイバルボーイ」、葵わかな主演の「サバイバルガール」など。


矢口:メイキングとかも、もちろん面白いんですけど、今回、僕がいちばんおススメしているのは、「映画の常識、それほんと?」です。これ、すごい面白いので、是非(笑)。


――これ、何ですか?


矢口:宣伝期間中に、CSの日本映画専門チャンネルというところが、宣伝の枠を用意してくれたので、まずはサイドストーリーを撮ったんですけど、さらにそれプラス、僕の発案で、「映画のなかによく出てくるあのシーン、実際はどうなの?」を検証する番組をやりたいって言ったら、それがあっという間に通ってしまって。2分程度のものを、合計8本作ったんですけど、それがヘンに面白いんですよ(笑)。なのでどうしても特典にしたくて、今回収録しちゃいました。


――「時限爆弾のコード、どっちを切る!?」とか「威嚇射撃はどこへ行く!?」など、映画の常識とされているものを、田中要次さんのナビゲートで実証していくミニ番組になっていて……これ、本編と関係ないですよね?


矢口:まったく関係ないです(笑)。「サバイバルファミリー」の宣伝用にとってもらった枠を、映画そっちのけで遊び倒してしまった。ただ、その番組が、衛星放送協会オリジナル番組アワードの「ミニ番組・PR部門」の賞を頂いて……何か、それなりに面白がってもらえたみたいなんですよ。なので、そちらも是非、合わせてご覧いただきたいですね(笑)。


(取材・文=麦倉正樹)