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『愛してたって、秘密はある。』は作り手の意図を超えた? 秋元康が仕掛けた“企画”を読む

2017年09月17日 06:03  リアルサウンド

リアルサウンド

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 福士蒼汰が主演を務めるドラマ『愛してたって、秘密はある。』が最終回を迎える。


(参考:『愛してたって、秘密はある。』結婚の条件に隠された3つの謎 秘密受け入れた2人の行く末は


 日本テレビ系で日曜夜10時30分から放送されている本作は、母親を虐待する父親を殺してしまった中学3年生の少年が秘密を抱えたまま、大人に成長して苦悩する姿を描いたドラマだ。弁護士を目指す司法修士生の奥村黎(福士蒼汰)の元に、父親を殺したことを知っていると思われる人物からの脅迫メールが舞い込むようになる。庭に埋めた父親の死体は何者かによって掘り起こされ、偽装のために海に沈めた父親の車が発見されたことで失踪扱いになっていた父親の捜査が警察に再開され、黎はじわじわと追い詰められていく。様々な謎が交差しながら物語は進み、先週の第9話ラストでは、驚愕の新事実が判明した。


 黎を追い詰めていた犯人が予告で暗示された人間だとしたら、「マジかよ!」という超展開なのだが、そういう話題を作ってバズらせようというやり方も含めて、隅から隅まで見せたいことが明確なドラマである。


 脚本は福士蒼汰主演の月9ドラマ『好きな人がいること』(フジテレビ系)の桑村さや香(6、8話は松本美弥子)、チーフ演出には連続ドラマ『鈴木先生』(テレビ東京系)や映画『俺物語!!』といったティーン向けの作品で俳優をカッコよく撮ることに定評のある河合勇人が担当している。河合が参加していることもあってか美男美女を綺麗に撮るということに関してはぬかりがないドラマで、苦悩する福士蒼汰のカッコいい姿はもちろんのこと、ヒロインの川口春奈も美しく撮られている。だからこそ、彼らの影の部分である「隠している罪に苦悩する姿」がとても際立つのだ。


 そんな本作の面白さの核を作っているのが、企画・原案に名を連ねる秋元康であることは間違いないだろう。秋元康は番組ホームページで「ドラマのコンセプトは『恋人のことをどれくらい知ってますか?』ということです。きっと、誰もが何らかの秘密を抱えながら生きているでしょう? では恋人の抱えている秘密がどれくらいのものなら、あなたは耐えられますか?」というコメントを掲載している。ドラマのコンセプトが一目でわかるわかりやすい文章である。


 秋元康がテレビドラマに関わる場合、ほとんどが「企画」という形でクレジットされる。これは、秋元がラジオ番組の放送作家からキャリアをスタートしていることと大きく関係しているのだろう。「自分は放送作家である」という自負が強い秋元は、おそらく自分の仕事を「作品」ではなく「企画」と捉えているのではないかと思う。この、「作品」と「企画」の微妙な違いを理解せずに秋元康の仕事を考えると、どうにもピントがズレてしまう。例えば欅坂46の「サイレントマジョリティー」の歌詞は、秋元の思想をストレートに体現したものと思うと違和感がある。しかし、尾崎豊みたいな大人に反抗する歌を少女に言わせたらカッコいいんじゃないか? という「企画」だと考えると、すんなり呑み込むことができる。


 つまり「この人にこういうことをやらせたら面白いんじゃないか?」というシチュエーションを考えて、状況を設定するのが、「企画」なのだ。わかりやすいのはAKBグループが出演するドラマだろう。『マジすか学園』(テレビ東京系)から『豆腐プロレス』(テレビ朝日系)に至るAKBグループのアイドルが総出演するドラマなどは、AKBの魅力を引き出すための“企画”として考えられたものである。企画を考える放送作家は、ゲームボードは設計するが、そこに自身のメッセージはない。メッセージを発する主体は、あくまで演者であるAKBのアイドルたちである。


 では、『愛してたって、秘密はある。』はどうなのか? 福士蒼汰が演じる黎を筆頭に、本作に登場する秘密を抱えた人々は、週刊文春の不倫報道に怯える芸能人の内面を覗き見ているようだ。一見するとミステリードラマのように見えるが、描かれているのは秘密を抱えた人間の追い詰められる様子を実況中継しているかのような作りとなっていて、リアリティーショーを見ているかのような下世話な楽しさがある。


 その意味でも、本作もまた、「企画」としてよくできたドラマなのだが、終盤にさしかかると、作り手の意図を超えた面白さも見え始めている。今まで少女たちの物語を企画してきた秋元康だが、今作では福士蒼汰という男性俳優が主人公の物語を企画している。母親を守るために父親を殺してしまった少年の葛藤というエディプス・コンプレックスからスタートした本作には、父と子の葛藤がエピソードの節々に織り込まれており、弱い父親が振りかざす暴力が「呪い」のように子どもたちに連鎖していく姿は見ていてゾっとするものがある。これは秋元康ではなく、脚本家の桑村さや香の功績なのかもしれないが、黎が抱える内なる暴力性に怯える様子に、現代の男たちが抱える困難が見えるのが、本作の隠れた面白さだと言えよう。


(成馬零一)