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Netflix版『デスノート』はなぜ原作と大きく異なる物語に? アダム・ウィンガード監督×マシ・オカ対談

2017年09月08日 20:42  リアルサウンド

リアルサウンド

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 Netflixオリジナル映画『Death Note/デスノート』が8月25日より全世界同時オンラインストリーミングされている。本作は、2003年から2006年まで『週刊少年ジャンプ』にて連載されていた原作・大場つぐみ、作画・小畑健による人気コミック「デスノート」を、ハリウッドで新たに映画化したもの。顔を思い浮かべながら名前を書いた人間を殺すことができる力を持つ“デスノート”を偶然手にした男子高校生が、生きるに値しないと思う人々を次々に殺めていく模様を描く。


参考:アダム・ウィンガード『デスノート』、8月25日Netflix全世界同時配信へ 予告編&場面写真も


 リアルサウンド映画部では、メガホンを取ったアダム・ウィンガード監督とプロデューサーを務めたマシ・オカにインタビュー。ハリウッドで実写映画化することになった経緯や、原作とは大幅に異なる内容に変更した理由、劇中で使用されている80年代の音楽についてなど、じっくりと語ってもらった。


■監督「高校生特有の感情的な視点から物語を紡いでいきたかった」


ーー数ある日本の漫画の中から、なぜマシ・オカさんは『デスノート』をハリウッドで映画化しようと思ったのですか?


マシ・オカ:以前から原作の漫画「デスノート」のファンだったんですよ。『週刊少年ジャンプ』で連載されていた頃に、リアルタイムで読んでいました。実は、『Death Note/デスノート』をハリウッドで実写化するというプロジェクトは、僕ではなく、ダン(・リン)さんはじめほかのプロデューサーさんたちが進めていたんです。当時、僕はジェイソン(・ホッフス)プロデューサーと違う案件を預かっていて、それを実写化するために開発していました。その案件が満期になったところで、『Death Note/デスノート』もプロデュースしてくれないかというオファーを頂いたんです。映画を一つ作り上げるというのはすごく大変な作業なので、仲間は多い方がいいですし、ましてやダンさんとロイ(・リー)さんという素晴らしいプロデューサーが携わっていたので、ぜひ一緒にやりましょうとお引き受けしました。


ーーウィンガード監督は、原作や日本の実写映画は観賞していますか?


アダム・ウィンガード監督(以下、ウィンガード監督):私の弟がファンだったので、その影響もあり、2011年頃には原作を読んでいました。とはいえ、マシ・オカさんに比べたらまだまだ新参者ですが……(笑)。また、日本で実写化された映画も拝観しています。リュークなんですが、日本の映画の中ではしっかりとCGのキャラクターとして作り上げられていましたよね。今回は新鮮味を出したかったので、リュークに関してはより質感を意識して描き出しました。実際にカメラで撮りたいとも思っていたので、CGで後付けではなく実際に役者に演じてもらっています。声自体はウィレム・デフォーが当てていますが、現場ではリューク役を7フィート(約213cm)という非常に長身の役者が演じていました。顔の部分だけをCGで置き換えているんですよ。


ーーリュークのビジュアルだけでなく、ライトとリュークの出会いや観覧車でのシーンなど、色鮮やかで美しい映像が印象的でした。


ウィンガード監督:高校生特有の感情的な視点から物語を紡いでいきたかったので、映像は特に意識しました。初めて恋愛を経験した時って、昨日までの世界とはまるで違って見えませんか? すべてが実際の物よりも大きく鮮やかに見えると言いますか。また、10代の頃の別れというのは、この世の終わりのように感じてしまう。そういう感性の豊かさみたいなものを作品の中に入れたかったんですよね。だからこそ、映像のほかに音楽にも力を入れました。本作では80年代のバラードやポップミュージックをふんだんに使用しているのですが、そこに至るまでに、どうしたらより物語をドラマチックに盛り上げられるのかを考え、ありとあらゆる音楽を耳にしました。なので、結構時間がかかってしまって……。そんな中で、観覧車のシーンで流れるシカゴの楽曲「I Don’t Wanna Live Without Your Love」にたどり着いたんです。この曲を聴いた時に、“これだ!”とピンと来ると同時に、とても大胆なアプローチができるのではないかとワクワクしましたね。


ーーほかにも、コンセプト以外のほとんどを原作とは違うものにしていますよね。


ウィンガード監督:「デスノート」は、すでに様々な解釈でアニメ、ドラマ、映画と何通りにもリメイクされていますよね。なので私は、いわゆるリ・イマジネーション(再創造)という形で作りたかったんです。そもそも我々は、この物語を異国で展開させていくにあたり、同じものでは通用しないと考えていました。馴染みのある物語を全く新しい作品として観客に味わっていただきたい。そのためには、スタイル的にも内容的にも大幅に変更しなくてはならなかったんです。たとえば、音楽の使い方も意識的に今までとは違うものにしています。「デスノート」に馴染みがあるファンの方でも、全く知らない方でもどちらにも楽しんでいただけるように作りました。


マシ・オカ:あと、原作は12巻という長い歳月をかけて、キャラクターたちのストーリーを構築していくのですが、映画はどうしても短い時間でまとめなければなりません。また、頭脳戦が印象的じゃないですか。そうすると喋りが多いんですよ。でも、映画にした時にセリフだけでみせるのは非常にもったいない。大切なのは、映像でみせることなんです。アメリカの映画で一番大切なのはキャラクターの成長。原作のライトやエルは、どうしても感情的には動かないじゃないですか。その冷静さが面白いところでもあるのですが。映像化した場合、「デスノート」を認知していない方でもご覧になる可能性が高い。キャラクターがどうやって変化し、成長するのか、そこを丁寧にわかりやすく描写することが重要なんですよね。あと、主人公エルを天才ではない普通の高校生に置き換えることによって、アメリカの観客は感情移入しやすくなります。我々は観客に、「もし一般人の自分が、ライトみたいにデスノートの力を急に手に入れたらどうするか」ということを考えながら、劇中のライトと一緒に悩んで欲しかったんです。天才という設定だと、どうしても自分自身に立場を置き換えることは難しいのではないでしょうか。第三者的エンターテインメントとして観てしまいますよね。アメリカで映像化する場合は大抵、「共感」と「観客が主人公」という狙いが根底にあるんですよ。


■マシ・オカ「僕の立ち場は、原作者である大場つぐみ先生の声を伝えること」


ーー確かに、映画冒頭と終盤ではライトの成長が顕著に現れていました。


マシ・オカ:それはやはり、アメリカ映画らしい部分ですよね。逆に本作のラストシーンで描かれているライトの心境は、原作で言う一番初めの彼と同じような気がします。そういう意味ではアダム監督のオリジンストーリー、ライトの誕生の物語なんですよね。


ーーそんなライトですが、原作では自身にとって不都合な者を容赦無く殺していますよね。本作では罪のない人は殺さないように努めたり、ルール89“破棄”「(名前を書いた人がそのページを破棄すれば、対象者は死なない」)が作られていたりと、やや性格がマイルドに感じられました。


ウィンガード監督:原作のライトというキャラクターを、本作ではライトとミアの二人に分けています。もし、一人の人間がデスノートを手にして力を得たらという世界ではなく、カップルである男女二人が“キラ”という現象を生みだしたらどうなるかという物語を描きました。彼らの関係性は“デスノート”のメタファー(隠喩)になっています。デスノートと同じように、互いに依存しすぎると崩壊していくんですよ。彼女のミアは、原作の中のライトにとても近いキャラクターです。本作のライトは、原作よりも遥かに無邪気でナイーブなところがあるのですが、物語の中で徐々に自分というものを見出していきます。原作では超天才的な人物でしたが、本作のライトは最後の方でやっとデスノートの達人になるんですよ。


ーー原作とは大幅に変わっている点が目立つ一方で、原作や日本への愛を感じるシーンも多く観られました。その点はマシ・オカさんが監督にアドバイスしたのですか?


マシ・オカ:僕ひとりの意見ではなく、皆さんのアイディアです。今回、僕の立ち場は、ほかのプロデューサーさんやアダム監督へ、原作者である大場つぐみ(作画・小畑健)先生の声を伝えることでした。また僕個人の目的としては、先生方に納得していただける作品を作ることだったんです。ファンの方々のことを一番理解しているのは先生方だと思うので、そうすれば原作ファンにも受け入れていただけるかなと。先生方から内容やキャラクターの方向性を伺った上で、アダム監督には微調整していただきました。また、先生方にはキャラクターの分岐点となる部分の説明や脚本をその都度翻訳して渡しています。ただ、やはりアダム監督のビジョンもあるので、そこはご相談して、すべて承諾を頂きました。先生方から信頼をいただけたのは、ビジョンが明確にあって、作品に対してのリスペクトと愛情があったからこそなのかなと。


ーーマシ・オカさんが、原作者と監督をはじめとした製作陣を繋いでいたのですね。


マシ・オカ:そうですね。日本文化はもちろんのこと、バイリンガルでもあり、バイカルチャーでもあったので、何か違和感があった際には必ず先生方と話し合いました。僕自身、架け橋になりたかったので、仲介役を買って出たと言いますか。アダム監督やほかのプロデューサーさんたち、スタジオ側からは口のうるさい奴だと思われていた気がしますね。実際、たまに邪魔者扱いされてました(笑)。


ーー(笑)。日本の文化という点では、特にリュークの浮世絵が印象的でした。


ウィンガード監督:リュークというキャラクターは、遥か昔から存在しています。古代からずっと人間の生き様を見続けていることを表現するために、美術担当が浮世絵というアイディアを出したんです。また、リュークだけではなくデスノート自体も長い年月を経て、様々な人間の手を渡り歩いた末に、ライトの元に辿り着きました。そういう背景や時の経過もあわせて、観客に伝えています。実際に小道具のノートをめくってみると、様々な言語で、色んなことが書き込まれているんですよ。ものによっては存在しないような言語まで記述されています。そういった細部にまで、心血を注いでいるのでぜひ日本の皆さんにも注目して欲しいですね。


(取材・文・写真=戸塚安友奈)