9月5日に発売となる「乗るべしスーパーカー」の発刊を記念して、この本の主役である気鋭のフォトグラファー・悠佑氏が切り取った珠玉の写真たちと、オーナーとスーパーカーのライフストーリーをご紹介。第2回は『フェラーリF40』だ。
●Car Details Ferrari F40
Text:Akira YOKOTA
フェラーリの創業40周年記念モデルとしてF40が登場したのは、1987年のこと。エンツォ・フェラーリが開発を命じた最後のモデルとされ、マラネロで開催された発表会では当時89歳のエンツォ自身がプレゼンテーションをしている。ストックのままレースに参戦できる高性能車という、フェラーリの創業当時の思想を体現した作りは、レーシングカーに最低限の保安部品をつけたようなもの。日本での販売価格は4650万円にもかかわらず、エアコンこそ装備されるものの、内装や遮音材は最低限でしかない。リヤミッドに積む2936ccのV8ツインターボは478PSを発揮し、5速MTを介しての最高速は公称324km/hと、史上初めて時速200マイル以上を謳う市販車となった。
●Owner's Story フロントの飛び石傷が物語る、信頼関係のもと“踏んできた”証
A氏/Text:Shinnosuke OHTA
「陳腐な話ですが、クルマの形を見て初めてカッコイイと思ったのがF40。あとはコブラ、ディアブロ、マクラーレンF1。この辺りのクルマたちが心に響いた」
そう語るオーナーA氏の跳ね馬は、92年式のF40。生産履歴としては後半の時期ではあるものの、最終型ではない。もちろん、同氏はこれまでも数多くのフェラーリを乗り継いできたが、なかでもこのF40は、89、90、92、93年式とドライビングの経験があり、その個性やキャラクター、フェラーリ自身の考え方の変化まで体感してきた思い入れのあるモデルだ。
「92年モデルは重い。だからドシっとして乗りやすい部分がある。前期は軽くてターボの効き方も違うし、後期はその辺を微調整している。これはフェラーリだけでなく(マクラーレンとメルセデスが共同開発した)SLRもそうで、前期のクーペはマクラーレンのセッティング。飛ばすと轍にハンドルを取られて、車線一個分車体が飛んでいく。後期のロードスターはメルセデスのセッティングで完全にベンツ。そういう違いは公にはならないけど、確実に存在する。僕はそうした違いが気になると、とことん調べたいタイプ」
そんなA氏が免許を取って最初に乗った1台が、993型のポルシェ・カレラ。それまでクルマにまるで興味のなかった青年は「なんでこんなに思い通りに動くんだろう」という衝撃を覚えたと同時に、「こっちはクルマのこと何にも知らないから、とにかく『右前が変だ』とは感じ続けていた」という。
知人から入手し事故歴ナシだという触れ込みだった993は、売却後に右前の修復歴があったことが判明。その鋭敏なセンサーはその後F40でも遺憾なく発揮され、年式による味付けも車の重さも、塗装の厚さも、リヤのフレームも、細かく違いが存在するという眼前たる事実を知ることとなった。
「F40は全然怖くない。よく雑誌では『雨に日に乗るのは危ない』とか『ターボラグが大きい』なんて書かれてますが、(フェラーリ360)モデナの方が危ないくらい。後ろがちょろちょろ動いて安定しないし、市街地でもサーキットでもF40を危ないと思ったことは今まで一回もない。台風の中、ハイドロプレーンになった時ですらコントロールできない感じではなかったから、みんなが何を怖いって言ってるのか分からなかった」
よほどポルシェの930ターボSで感じた「前が浮く」感じの方が怖かったし、F50、エンツォ、そして最新のラ・フェラーリに至るスペチアーレの系譜の中でも、このF40が最も一体感があり、クルマがコンパクトに感じられるという。
「要因はなんだろう......ソリッド感とか車重。足回りで言えば、オリジナルではF50がベスト。ゼロロールでカートみたいなフィールで、一番気持ちいい。速さで言えばラ・フェラーリなんか桁違いに速く、乗りやすい。だけど、F40は手の内に置いている感というか、電子デバイスがないからなのか、クルマがひと回り小さく感じるんです。F50は、もう少しだけ大きく感じてしまう」
入手してから12年で走った走行距離は約8000km。そのうちの5000kmを最初の2年で走破。以降は自分好みに仕上げるべく手を入れてきた。例えば足回りに関しては“しなやか”で動く足回りが好みだったため、当時の主流であるクワンタムやアラゴスタなどを筆頭としたスパルタンな味付けが主流とは逆のモディファイをした。
「オーリンズのスペシャル部門“ウプランズ”で、そうした仕様をリクエストしました。それが7~8年前ぐらい。フェラーリもその後、全モデルがそういった方向の味付けになっていったので、自分の判断は間違った方にいってなかったな......と」
F40にまつわる歴史や背景は「全然知らないし、興味がなかった」とキッパリ話すA氏は、数年前に市場価格が跳ね上がり、相場がバブル的様相を呈した際にも、手放そうという思いは微塵も芽生えなかった。そして今でも「最後に1台何を残すか、と言われたら間違いなくF40。2台しか持てない、と言われたらF40と国産車です(笑)」と言い切るほど、愛着を持って接している。
「フロントなんかは飛び石だらけです。それに、キレイにすると乗らなくなっちゃうんですよ。それだけ走った証拠ですし、今は当時と100パーセント同じ運転はできないですから、運転した証なので......と、勝手に思ってます」
道具として使い込んで、どれだけ“踏んできたか”を物語るその姿は、F40に真の意味での凄みを与えている。