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ドレスコーズ志磨遼平、映画『ギミー・デンジャー』を語る 「ストゥージズは僕の人生を変えてくれた」

2017年08月31日 16:03  リアルサウンド

リアルサウンド

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 映画界の鬼才ジム・ジャームッシュ監督が、イギー・ポップ率いる伝説のバンド、ザ・ストゥージズ(以下、ストゥージズ)の歴史を迫ったドキュメンタリー映画『ギミー・デンジャー』が9月2日に公開される。8月26日に公開されたもうひとつの監督作『パターソン』とは打って変わって、ジャームッシュ監督にとって約20年ぶりのドキュメンタリーとなる本作では、イギー・ポップを軸に、ストゥージズのメンバーと本当に近しい関係者のみによって、華々しくも混乱に満ちた彼らの歴史が語られていく。


 今回、リアルサウンド映画部では本作の公開を記念して、20代の頃、ストゥージズの楽曲によって「人生が変わる」と直感したというドレスコーズの志磨遼平にインタビューを行った。ストゥージズとの出会いやジム・ジャームッシュ監督作品への思い入れから、本作についての感想まで、たっぷりと語ってもらった。


参考:ギターウルフ セイジ、『ギミー・デンジャー』トークイベントに登壇 「とにかくイギーは桁が違う」


■「『Shake Appeal』がなければ、今の僕もない」


ーー志磨さんは本作に「21歳のある日、床が揺れるほどの爆音で “Shake Appeal” が突然スピーカーから流れ始めた。すぐに『これで人生が変わる』と直感した。まさしくそのとおりになった。イギーがストゥージズを語り、それをジャームッシュが撮る。これでまた誰かの人生が変わる」とコメントを寄せています。21歳当時は前のバンド、毛皮のマリーズを結成した年ですよね?


志磨遼平(以下、志磨):そうです。ある日ストゥージズの「Shake Appeal」をたまたま聴いて、これだ、これをこのまんま僕がやればいいんだ、と気づきまして。その時のインスピレーションを具現化したのが毛皮のマリーズです。だからストゥージズは僕の人生をカウント4つで変えてくれたんですね。「Shake Appeal」がなければ、今の僕もないので。


ーー初めて聴いたストゥージズの楽曲が「Shake Appeal」だったんですか?


志磨:いや、ストゥージズ自体は10代の終わり頃とかに、『ロー・パワー』を買って聴いていたはずです。ただ、その当時はそこまで愛聴盤というわけでもなくて。当時からデヴィッド・ボウイは大好きだったので、ストゥージズに関しても最初は “デヴィッド・ボウイ周辺の人たち” という認識だったんです。だから、ファースト(『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』)でもセカンド(『ファンハウス』)でもなく、デヴィッド・ボウイがミキシングを担当した『ロー・パワー』だけ基礎教養として持っていた程度、ということだと思います。むしろイギーのソロ、『イディオット』とか『ラスト・フォー・ライフ』をよく聴いてました。


ーー10代の頃の志磨さんにとってストゥージズはそこまで大きな存在だったわけではなかったんですね。では「Shake Appeal」のどこにそれほどまでの衝撃を受けたんでしょうか?


志磨:その当時、21歳の頃はとにかく暇だったんですね。それで下北をぷらぷら散歩していて、たまたま古着屋さんに入ったんです。それがどこの古着屋だったかは思い出せないんですが、僕が店に入ったそのタイミングで、イギーの「1,2,3,4……」ってカウントから「Shake Appeal」が始まったんです。今思うと、そのカウントが入っていたということはイギー・ポップがミックスし直したバージョンですね。その「1,2,3,4……バンバンバンバン!」っていうのが、本当にビックリするぐらいの爆音だったんですよ。もう服を見れないぐらいの、ライブハウスぐらいの音量で流れ出したんです。


ーーそれが衝撃だったと。


志磨:頭が真っ白になっちゃって。自分の存在が消し飛んだような、生まれ変わったような……本当に “神の啓示を受けた” という感じです。それまでもたくさん曲を書いていて、有名になるにはどうすればいいのか? とかいろいろ悩んでた時期だったんですけど、これをやればよかったんだ! これで有名になれる、と思ったんですよ(笑)。それで店員さんに「これ誰の曲ですか!?」ってすげー大声で聞いたら(笑)、「これですよー!」って『ロー・パワー』のジャケットを見せてくれて。「あれ? 持ってるな……」と思って、家帰ってまた聴いてみたんですけど、もうその衝撃は起こらなくて。とにかくその衝撃、魔法は1回きりだったんですが。その時にひらめいたコンセプトに基づいて毛皮のマリーズを作り、その通りにやって、今に至るという感じなんですよね(笑)。


ーーその後、毛皮のマリーズは“東京のストゥージズ”と呼ばれる存在にもなりましたね。


志磨:これは各所の怒りを買う発言かもしれませんけど……ストゥージズ、あるいは今回の『ギミー・デンジャー』にも出てくるMC5とかから音楽的な遺伝子を継いだバンドっていうのは、日本のオーバーグラウンドな音楽シーンにはいなかったと僕は思っていて。今振り返っても現にそうだったと思うんですよ。イギー・ポップのようなスタイルのシンガーという意味では、遠藤ミチロウさんや甲本ヒロトさんのようにいろいろな方が影響を受けたり、インスパイアされたりしてきたとは思いますけど、音楽的にストゥージズから影響を受けているバンドはいなかった。別に受けてもしょうがないだけかもしれないけど(笑)。それを大きなフィールドでやろうとしたのは、毛皮のマリーズが最初だったと思います。あと、その古着屋で「Shake Appeal」を聴いた時に気づいたことがあって。


ーー何に気づいたんですか?


志磨:「髪の毛が長いパンクバンド」が日本にいないということに気づいたんです(笑)。例えばストゥージズと違ってラモーンズなんかは音楽的なスタイルこそ模倣されやすいバンドですが、意外とストゥージズやラモーンズみたいなルックスのバンドとなると、いなかったんですよね。パンクっていうと、みんなセックス・ピストルズやザ・クラッシュのような短い髪をツンツン立てるロンドン・パンクのスタイルだった。だから、髪の毛の長い、ベルボトムに上半身裸の男が、ガラス瓶の破片が散らばった床の上を血まみれになりながらゴロゴロ転がれば、1発で有名になるなと思って(笑)。それで毛皮のマリーズを始めたんですよね。音楽のスタイルはいわゆるデトロイトの、ひとつのリフを延々繰り返しながらうなったり叫んだり、あとはストーンズのレコードを「回転数まちがえてかけたのかな?」っていうくらいの速いテンポでやる、とか。MC5やニューヨーク・ドールズからも影響を受けましたが、なかでもやっぱりストゥージズは僕の中でひとつのアイコンでしたね。


■「初期の毛皮のマリーズそのものという感じでした」


ーー今回の作品はジム・ジャームッシュ監督が『イヤー・オブ・ザ・ホース』以来約20年ぶりに手がけたドキュメンタリーというのも大きなポイントのひとつです。ジム・ジャームッシュの作品はよく観ていましたか?


志磨:ジム・ジャームッシュの作品は大好きです。それもまた20歳ぐらいの時に『ミステリー・トレイン』を観たのが一番最初でしたね。エルヴィス・プレスリーの楽曲にまつわるストーリーで、ザ・クラッシュのジョー・ストラマーとかスクリーミン・ジェイ・ホーキンスが出てて、しかも日本人の永瀬正敏さんと工藤夕貴さんが主演というので、なんか面白そうだなと思って観たんです。永瀬さんがいつも靴を磨いてるのとか、ジャケットの内ポケットにジッポをスポッと入れるシーンとかすごくクールで。とても好きな作品です。『パーマネント・バケーション』『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ダウン・バイ・ロー』の初期3部作も大好きですし、『デッドマン』『イヤー・オブ・ザ・ホース』『コーヒー&シガレッツ』も観ましたし。僕はこの監督だから観る、とかこの俳優さんが出てるから観る、みたいなスタンスで映画を観ることがあまりないので、ジャームッシュは珍しく作品のほとんどを観ている監督のひとりですね。


ーー『デッドマン』と『コーヒー&シガレッツ』にはイギー・ポップも役者として出ていますよね。


志磨:ただのイギー・ポップでしかないんですよね(笑)。あまり器用な役者とは言えない。でも、今回の『ギミー・デンジャー』で最後に「どこにも属したくない。俺は俺だ」というようなことを言ってましたから、まさしくそのとおり、という感じ。だってボウイですらイギーを完全にコントロールすることはできなかったわけですからね。


ーー最後のイギー・ポップの言葉は力強かったですね。『ギミー・デンジャー』は映画としてどうでしたか?


志磨:ジャームッシュがストゥージズを撮る、ということでものすごく期待していましたが、まったく裏切られなかったですね。編集のテンポもよくて面白かった。あとはやっぱりどうしても、まるで自分のことのように観てしまった。かつて一度でもバンドを組んで、レコードを出したりツアーに出たり、といった思い出がある人なら、きっと感情移入というか、自分の記憶とごっちゃになってしまうところがあると思います。メンバーとの共同生活だったり、客のほとんど入らないツアーだったり。ベロベロの酔っ払い相手に歌ったり、そんな環境で演奏したことがある人だったら、みんな映画1本撮れるぐらいのドラマがきっとあるんですよね。ただ、それがストゥージズのドラマで、それをジャームッシュが撮ったとあれば、そんなの観たいにに決まってるわけで。観ながら僕も「あー……」という感じで、いろいろ思い出したり反省したりしました(笑)。


ーー共感できるポイントもたくさんありそうですね。


志磨:いろいろありますよ。元ドラマー、とかね。プライマル・スクリームのボビー(・ギレスピー)もそうですけど、僕もキャリアの最初、10代の頃はドラマーだったので。他にもレコード屋さんでアルバイトしてたりとか、実家の近所に鉄工所があったりとか(笑)、共通項はたくさんありました。あと映画の中でイギーの口から語られて「そうだったのか!」と思ったのは、MC5のおまけみたいな感じでデビューが決まったっていう。ストゥージズには結局日が当たらないんですよね。MC5の金魚のフンみたいな感じでデビューが決まって、レコードを出してもツアーに出ても華々しい生活が待っているわけでもなく、フラストレーションが溜まって、それがまたステージに還元されて、どんどん自虐的なパフォーマンスがエスカレートしていく。そのなかで疲弊していくメンバーもいれば、三行半を突きつけて実家に帰るメンバーもいて。本当に初期の毛皮のマリーズそのものという感じでした。


ーー当時の志磨さんにとって、ストゥージズのMC5にあたるようなバンドの存在というと?


志磨:そういう存在はその時その時でたくさんいましたよ。肩を並べてたはずが、どんどん先に脚光を浴びて、羨ましいな思っていたのはTHE BAWDIESだったりザ50回転ズだったり。毛皮のマリーズは最初のツアーをザ50回転ズと一緒に回ったんですけど、最初はお客さんがガラガラの状態で地方を回っていたのに、ツアー中に彼らがテレビで紹介された途端、ファイナルの東京公演のチケットが売り切れて。僕たちは「あれ?」っていう感じで。急にライブ会場がザ50回転ズのお客さんで埋まって、妬ましく思ったりもしていましたね。そうするとこっちもパフォーマンスに拍車がかかって、誰にも望まれてないのに出血したり骨を折ったり(笑)。ゴミ箱を頭からかぶってダイブしたり、最後には音が出る楽器がひとつもない。全部壊しちゃって。これぞ東京のストゥージズ(笑)。


ーーまさにですね(笑)。劇中で特に印象に残ったエピソードは何ですか?


志磨:トレーラーにも入ってましたが、ライブ中に瓶を投げてきた観客に対して、イギーが「俺の頭に瓶を投げた奴に感謝する。死に損なったから来週またトライしろ」って言うの、あれカッコいいですよね。あと、曲を書く者として興味深かったのは、25語以内で曲を仕上げるというエピソード。「ボブ・ディランなら『だらだらだら……』。俺はごく短く、1語も無駄がないように『No Fun. My Baby, No Fun』」っていう。あそこだけでもう観る価値があるなと思いましたね。ただバカなんだと思ってた(笑)。


ーー(笑)。そういったイギー・ポップ本人から語られるエピソードも観ていてまったく飽きないですよね。


志磨:イギー本人もきっと、相手がジャームッシュだから話すことができたというのもあったんでしょうね。映像自体も、当時の珍しいライブが観れたり、所々の回想シーンでアニメーションが入ったりするのもシニカルで滑稽な感じがジャームッシュならではで、とてもよかったですね。


■「イギーの“クール”は、ロックンロールを好きになった人だけに与えられる称号」


ーードレスコーズは8月24日にライブ映像作品『公民』をリリースしたばかりですが、例えば今後このようなバンドのドキュメンタリーが出るとなった場合、この人に撮ってほしいみたいな願望はありますか?


志磨:それは考えたこともなかったですね! どなたがいいんでしょうかね……。それこそ毛皮のマリーズの最後のライブドキュメンタリーは、フィッシュマンズの『THE LONG SEASON REVUE』を撮った川村ケンスケさんに撮っていただいたんですけど、やっぱり自分が関わったことのある監督に撮ってもらうのであれば『スーパー、スーパーサッド』のMVを撮ってもらった松居大悟くんとか、『溺れるナイフ』に出演させてもらった山戸結希さんとか。イギーとジャームッシュじゃないですけど、彼らと自分の間にはシンパシーみたいなものがあるので、撮ってもらえればきっとそれは素敵になると思いますね。


ーー今回の作品で初めてストゥージズのことを知る人もいるかもしれません。最後に志磨さんが考えるストゥージズ、イギー・ポップの魅力を教えてください。


志磨:僕の人生を変えたのはまぎれまなくストゥージズだったわけで、イギーがスピーチでも言っていたように、ロックンロールというものは魅力を語るのが難しいんですけど、「覚悟を持ってダメになれる」人間というか、そういう者だけが得られる輝きがあるんです。それが、映画の最後にイギーがスピーチする「クール」かどうか、だと思うんです。どうせならどん底まで落ちてやる、もうどうなってもいいやという感じ。言葉にするとすごく陳腐ですけど、「Nothing to lose(失うものは何もない)」なんです。本当に世の中のすべてのことがどうでもいい人間がやる、唯一のどうでもよくないことがロックンロールなんです。だからあんなにボロボロになってまでツアーも周るし、70歳になった今でもまったく衰えずあんな風にステージに立っている。それはイギーだけではなく、僕が好きなロックスターみんなに共通していることなんです。イギーが言う「クール」も、ロックンロールを好きになった人だけに与えられる称号なんだと思います。決して真っ当ではないですが、ロックンロールの何がカッコいいかって、なぜだかああいう風に生きることがカッコいいと思えてしまうことなんですよね。『ギミー・デンジャー』はそれを再認識できる映画だと思います。(取材・文=宮川翔/写真=伊藤惇)