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2017年も4人全員が王者を争う名門チーム・ペンスキー。その強さと軌跡を辿る

2017年08月30日 11:52  AUTOSPORT web

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アメリカン・モータースポーツで輝かしい成績を収めるチーム・ペンスキーのオーナー、ロジャー・ペンスキー
2003年以来の開催となったゲートウェイ・モータースポーツパークでのインディカーレースはグランドスタンドが満員! インディ500以外では近頃なかったシーンを目にすることになった。

 予選でトップ4を独占したチーム・ペンスキーは、レースでも完全にイニシアチブを取り、予選2番手だったジョセフ・ニューガーデン(チーム・ペンスキー)が優勝。集まっていた大勢のファンに「名門ここにあり」と強く印象付けた。


 ニューガーデン自身にとっての今季4勝目は、チームにとってはアイオワからの5連勝ともなった。走らせる4人のドライバー全員が少なくとも1勝を挙げてきているチーム・ペンスキー。

 今シーズンのここまでの15戦ですでに9勝をマークしており、残り2戦となった今、ポイント・リーダーはニューガーデン。残る3人のドライバーたちも、エリオ・カストロネベスが3番手、シモン・パジェノーが4番手、ウィル・パワーが5番手につけている。ポイント・トップ5に4人全員が食い込んでいるのだ。

 ロジャー・ペンスキー率いるチーム・ペンスキーは、アメリカのレースファンなら誰もが知っているインディカー最強チーム。今年より1戦少ない16戦だった昨年も10勝をマークしている彼らは、1968年に参戦を開始した。

 昨年でチーム設立から50年が経過した。通算勝利数は190勝以上。シリーズ・チャンピオンになること14回。インディ500での優勝は16回。もちろん、どちらも歴代トップだ。

 現在の彼らの強さは、4台を走らせるマルチカー・チームをもっとも効率的に運営しているところにある。4台を走らせて豊富なデータを活用するアイディアはマイケル・アンドレッティ率いるアンドレッティ・オートスポートが始めたものだが、ドライバーのクォリティでも、ダンパープログラムを始めとするエンジニアリング部門もトップレベルのものを揃えているのがチーム・ペンスキーだ。彼らにとって最も手強いライバルはチップ・ガナッシ・レーシング・チームズだが、同じ4台体制を敷くものの、2台はハッキリ言うと”お客さん”だ。

 チーム・オーナーのロジャー・ペンスキー=通称”キャプテン”は1937年生まれの80歳。多くのビジネスでも成功して来ている彼は1999年から会長的立場に退き、社長として現場でチームを引っ張るのはチーム・レイホール(現レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)でマネジャーを務めていたティム・シンドリックに譲っている。しかし、キャプテンは今もカストロネベスのピットで陣頭指揮を取っている。

 ペンスキーは自身が人気のスポーツカー・シリーズ=Can-Am(カンナム)・シリーズなどで活躍するドライバーだったが、1965年でドライビングからキッパリ引退。シボレーのディーラーを始め、シボレーのワークスチームとしてコルべットを走らせ始めた。

 その後ペンスキー・レーシングはマーク・ダナヒューと共にCan-Amにローラ・シボレーで参戦してチャンピオンになり、ツーリングカーのトップ・シリーズだったTrans-Am(トランザム)シリーズにはシボレー・ワークスとしてカマロで参戦。


 1968年からインディカー・シリーズにも出場を始めた。初インディ500は翌1969年で、インディ500初優勝は1972年のダナヒュー。初チャンピオンは1977年にトム・スニーバが獲得した。

 ペンスキーのドライバーといえばダナヒュー。彼を中心にチームは作られ、F1グランプリにも1970年代にフルシーズンではなかったが挑戦した(ベスト・リザルトは1971年カナダGPでの3位)。ダナヒューは75年オーストリアGPのプラクティスでタイヤトラブルからクラッシュし他界。ペンスキーはF1から撤退した。

 インディカーでは1976年からの4シーズンに渡ってマリオ・アンドレッティもペンスキーでドライブ。78年から加わったリック・メアーズがダナヒューに続くエースへと成長していく。インディ500で彼はAJ・フォイトらと最多タイで並ぶ4勝をマークした。

 メアーズと同時代にボビー&アルのアンサー兄弟(年齢はメアーズより上)、ジョニー・ラザフォード、ダニー・サリバンらもペンスキーで活躍。90年には元F1チャンピオンのエマーソン・フィッティパルディが加入し、彼はインディ500で2勝を挙げた。

 1991年にはポール・トレイシーがペンスキー入り。94年からはアル・アンサーJr.もキャプテンのマシンで走り、インディ500で1勝(自身の2勝目)を挙げている。

 エリオ・カストロネベスがペンスキーで走るようになったのは2000年から。ウィル・パワーはカストロネベスが脱税疑惑をかけられて走れなかった2009年に代役としてチーム入りし、翌年にはレギュラーシートを獲得。2014年にはF1から帰って来たファン・パブロ・モントーヤを起用してインディ500を優勝。さらにパワーが2006年のサム・ホーニッシュJr.以来となるシリーズチャンピオンに輝いた。

 シモン・パジェノーは2015年にチーム入りし、翌2016年にはチャンピオンに輝く。ニューガーデンは今年からチーム・ペンスキーで走るようになった。

 ペンスキーは設立以来シボレーと強い繋がりがあり、現在もシボレーのトップ・チームとしてインディカーに参戦しているが、彼らのチームはインディカーだけを見てもフォード、メルセデスベンツ、ホンダ、トヨタ、オールズモビルなどと戦って来ており、NASCARのストックカーはアメリカン・モータースのマシンで始まり、マーキュリー、シボレー、ポンティアック、フォード、ダッジ、またフォードと変遷。

 どのカテゴリーでも好成績を挙げられる彼らはメーカーから引っ張りだこで、2006年からはポルシェのワークス・チームとしてスポーツカーのアメリカン・ル・マン・シリーズのLMP2クラスに参戦し、上位クラスのLMP1を相手に何度も総合優勝を記録。来年の2018年からはアキュラ(アメリカン・ホンダのブランド)のマシンでIMSAシリーズのトップカテゴリーであるDPiクラスで戦う。


 今でこそ幅広いカテゴリーに出場しているチーム・ペンスキーだが、そのハートはインディカーにある。オープンホイールでの活動がチーム・ペンスキーの核となっているのだ。そこでの好成績は彼らにとってマスト。


 今年もタイトルを防衛し15回目の王座を目指している。その目標達成を阻む可能性があるのはスコット・ディクソンだけ。ランキング2位につける彼は、1990年の設立ながらすでに103勝を挙げ、チャンピオンにも11回輝いているペンスキーのライバルチーム、チップ・ガナッシ・レーシング・チームズのドライバーだ。

 残り2戦、ペンスキーのドライバー4人とディクソンがどんなチャンピオン争いを繰り広げるのか? 目の離せないレースとなりそうだ。