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「コミュ障は人生終了」なんてまやかし 人と会わずにできる仕事を選べば生きていける

2017年08月28日 06:11  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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あなたは「あの人コミュ障だよね~」という言葉を、どこかで聞いたことはないだろうか。僕はある。たまたまその場にいない、大人しくて自己表現が苦手な誰かを指し、陰で笑い合う人たちがよくこの台詞を口にしている。

コミュ障とは、何気ない会話が苦手だったり、知らない人と会うのが苦痛だったり、行ったことのない場所で新たな経験をするのがキツく感じる人を揶揄する際に使われる。たかがコミュ障とあなどるなかれ。当事者にとっては、日々のありとあらゆる触れ合いが、億劫で恐怖でたまらないのだから。(文:松本ミゾレ)

「言い訳でしかない」「顔が悪いからだろ」 コミュ障に対する評価、なんか不当に悪くない?

先日、匿名掲示板「2ちゃんねる」に「コミュ障、この一点で人生終了」なるスレッドが登場した。スレッドを立てた人物は本文に一言「死にたい」とだけ書いている。どうやら自身がコミュ障で、深刻に悩んでいるようだ。

僕は物心ついてからずっと引きこもり気味の生活を送っているためか、お前はコミュ障だと言われることもしばしばある。そう断定してきた人たちのほとんどは、コミュ障を「努力不足」と決めつけてなじる傾向があった。

このスレッドにも、コミュ障の人に向けた心無い言葉がゴロゴロ転がっていた。

「顔が悪いからだろ コミュ力のせいにするな 全てはお前がキモいことに起因する」
「コミュ障って言ってる奴って治す気ないよな」
「言い訳でしかない 人と接するときに本心である必要なんてない」

等々、「ああ、マジのコミュ障がこれ見たら絶対凹む奴だ」と感じる意見が多い。

でも、逆にここまで酷く言われるのなら、コミュ障の当事者はいっそ割り切っていいようにも思えてくる。割り切ると言っても、社会人サークルに出入りするとか、合コンに参加するとか、コミュ障を批判する人に迎合する方向ではない。他人と関わる必要性の低い生き方を模索するのだ。この際、自分の特徴を受け止め、生きやすい環境を選んで生きて何が悪い、と開き直ろうではないか。/p>

コミュ障を叩く人は、自分が味わっている苦労を他人にも体験させたいと思っているだけ

たとえば僕がやっているように、物書きをしてみるのはどうだろうか。この仕事は個人事業主なので、クライアント以外に人間関係なんか生じないし、上下関係の疎ましさも残業もない。面倒なレクリエーションもない。最近はメールや電話でやり取りをするクライアントも多いので、直接会うのも数年に一度あるかどうかだ。

他にも、努力してスキルを身につけ、職人やアーティストになるのもいいだろう。自分の世界にどっぷりはまり、それを追求する仕事を生業にすれば、コミュ障で困ることも少なくて済む。

コミュ障が何かの仕事を独力で成そうとすると、決して少なくない連中が、詳しい説明を聞かずにとりあえず「コミュ障は甘えだ」と嗤う。だけど、所詮そんな意見はノイズだ。コメントにもあったように

「彼らは自分たちが味わっている一般的な社会人としての苦労を、あなたにも体験させたいと思っているだけだ」

とでも考えておけばいい。

世の中には、コミュ障を見るだけでイライラするって人もいるが、そういう人たちの顔色を窺い、後ろ指を差されながら生きていくのはごめんだ。だってコミュ障であることには本来、何の負い目もないはずだ。

コミュ障程度のハンデで「人生終了」だなんて言われたら、たまったものではないと思うべきなのだ。コミュ障の苦労を、コミュ障以外の人に理解してもらうのは難しい。だから、分かってもらうための努力でもがくより、独り立ちできる力を養うことに注力するべきだと、僕は勧めたい。