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高橋一生と柴咲コウ、“言葉を交わさない”熱演の秀逸さ 『おんな城主 直虎』の壮絶な別れ

2017年08月27日 06:02  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「白黒をつけむと君をひとり待つ 天つたう日ぞたのしからずや」とは、高橋一生演じる小野但馬守政次の辞世の句である。白黒とは、彼と柴咲コウ演じる主人公・直虎との関係性を語る上で欠かせない、碁の白と黒を示す。しかし、これほど白黒判別することが難しい関係性があるだろうか。幼なじみとして、殿として、そして愛する人として、直虎のことを思い続けた彼の人生もまた、周囲から見れば白黒つけがたい、それでいて信念を貫いた真っ直ぐな人生であったといえよう。


参考:高橋一生の演技は、なぜもっと観たくなるのか? 『おんな城主 直虎』柴咲コウとの名コンビを読む


 大河ドラマ『おんな城主 直虎』は、先週放送の33話「嫌われ政次の一生」で大きな転換期を迎えた。今川家の支配下にあった井伊家は、今まで幾度も今川によって危機に晒されてきた。危機に瀕するたび「明日は今川館が焼け落ちるかもしれぬ」と直虎は藁にも縋るような思いで願い、その願いはいつも叶わず、度重なる悲劇を自力で乗り越えるしかなかった。しかし、今回は皮肉にもその願いが叶った時、直虎にとって最大の悲劇が起こる。これまで直虎を支え続けてきた井伊家の家老・政次が捕らえられる。磔にされ、直虎自身の手によって殺されるという衝撃的な終幕は、何度見直しても涙が止まらず困ってしまっているのだが、この2人の関係性の終幕としてこれほどふさわしいものはなかっただろう。


 直虎と政次の関係の魅力は、「言葉を交わさないこと」にある。今川及び周囲を欺くため、彼らは表面的には対立関係にあり、人目を忍んで会うことしかできなかった。そのため、今川が井伊を直轄にするために動き出してから政次が城代に成り代わり、政次の死に至るまでの激動の3話で、2人が直接本音で会話できたのは1度しかない。互いが思っていることを想定し行動する。それが本当に一致しているかを確かめる術はない。最後の瞬間まで、彼らは向かい合ったら本音とは逆のことを言い、それでも完全にわかりあっていることが視聴者にこうも伝わってくる。その複雑な関係性を描ききったことは、森下佳子の脚本並びに高橋一生と柴咲コウの熱演によるものであり、秀逸としか言いようがない。


 特に注目すべきは直虎の揺らぎである。政次が直虎に刀を向けながら囁いた「俺を信じろ、信じろおとわ」という言葉以降、31話から33話に至るまで、政次を信じ続けようとする直虎には何度も試練が訪れる。「同じような企みを持っていることとは思うものの一度も確かめておりませぬ」、「但馬は~と思う」の繰り返しは、彼女の不安を示している。政次の考えと自分の考えが完全に一致しているかどうか、少しでも違えば全てを失いかねないという状況の中で、相手を思って揺らぎ続ける直虎が進む道は綱渡りのように不安定で、その揺らぐ感情はやがて確信となり、悲痛な覚悟へと繋がっていく。


 直虎が、政次に槍を突き立てながら言った「遠江一、日ノ本一の卑怯者と未来永劫語りついでやる」という言葉は、直虎と政次が和解した18話「あるいは裏切りという名の鶴」で井伊を守る方法を直虎に聞かれた政次が、「私なら戦わぬ道を探します。卑怯者、臆病者よとの謗りを受けようと、断固として戦います」と答えた言葉に呼応し、彼の生き方を誰より理解し、その人生を讃えるものであったと言えるだろう。その言葉を受けた時の政次の笑顔は、その直虎の意図を汲んでの笑顔だったに違いない。


 直虎は「送る」運命を持った人物だ。彼女は多くの愛する人々を見送り続けてきた。直虎が「政次が行くというなら私が送ってやらねば」と言った後に「我が送ってやらねば」ともう一度繰り返したのは、幼なじみとしての「私」と井伊家を守る城主としての「我」、両方の意味で、送らなければならないという思いだったのだろう。


 2人は、たとえ違う場所にいたとしても、互いの思考を推測しながら碁を打ち続けていた。それがよく1人で碁を打つ家康(阿部サダヲ)とは違うところだ。それぞれの場所で次の手を思索する2人の手が交互に映され、やがて2人は意を決し、それぞれの行動をとり始める。


 政次の死後、彼の辞世の句が読み上げられ、イメージとして2人の姿が登場する。直虎を嬉しそうに待ち、振り向く政次の目に直虎の姿は映るが、哀しみの表情を浮かべた直虎の目には政次の姿は映らず、2人で興じた碁盤だけがそこにある。


 南渓(小林薫)から「政次が死ねばあれは死んでしまう、翼が1つでは鳥は飛べぬ」と言われていた直虎は、片方の翼を自ら切り落とした後、その苦しみからどう這い上がり、井伊家をどうやって守っていくのだろうか。


 政次が井伊家の嫡男虎松(寺田心)の身代わりに子供を殺めたことを知った時、彼女は泣きながらその首を1人で埋葬した。それは、死んだ子供を悼むことと同時に、政次が負ってしまった罪とその心情を慮ってのものだったのだろう。「地獄へは俺が行く」と覚悟を決めた彼の重荷を少しでも担おうとした彼女は、彼の死の際に「地獄へ落ちろ」と投げかけながら、自分自身も唯一無二の人間を手にかけたことによる地獄の苦しみを味わうことになるのかもしれない。


 直親、政次をはじめ亡き井伊谷の人々の全ての思いを背負い、それでも彼女は多くの仲間と共に井伊家のために生きていくのだろう。その姿を、その生き様を見届けることができることが、とても楽しみである。(藤原奈緒)