1973年から1980年までF1に参戦したシャドウ・レーシング・カーズの創設者ドン・ニコルズが21日、92歳で死去した。
アメリカ出身のニコルズは、1968年、シャドウの前身アドバンスト・ビークル・システムズをアメリカで創設、Can-Amで活動を開始、1973年にはイギリスに本拠を設けてF1参戦をスタートした。BRMでデザイナーを務めたトニー・サウスゲートが、フォードエンジンを搭載したシャドウ初のF1カー、DN1のデザインを手掛けた。翌1974年にはドライバーとして優勝経験のあるピーター・レブソンを起用したが、テスト中の事故で死亡。しかしチームメイトのジャン-ピエール・ジャリエがモナコで表彰台を獲得した。
1976年にはスポンサーのUOPが撤退し資金不足のなかでの参戦を強いられる。1977年には南アフリカGP決勝中の事故によりトム・プライスが死亡するという悲劇が起きるが、代わって加入したアラン・ジョーンズがこの年のオーストリアGPでチームに初優勝をもたらした。
しかしサウスゲートやジャッキー・オリバー、ジョーンズ、リカルド・パトレーゼといった重要なメンバーが離脱したことで、翌1978年から低迷。1980年、富豪テディ・イップに買収され、シャドウの名は消滅した。
シャドウは112回のF1エントリーのなかで、優勝1回、ポールポジション3回、ファステストラップ2回を記録した。