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「善人」が会社を滅ぼし、「悪人」が会社を伸ばす――会社に必要な人材を見極める重要ポイント

2017年08月23日 05:11  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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心理学に「社会的望ましさ」という言葉があります。これは人には社会的に望ましい自分を演じる傾向があることを指摘するときに使われます。たとえば社会調査において、回答者は調査員に対し、収入や学歴、友人の数を高めに答えたがり、年齢や飲酒の量、偏見の度合いを低めに答えたがる傾向にあります。

職場においても、上司として部下として、あるいは人間として、好かれたい、ほめられたい、慕われたい、尊敬されたいなどと考えながら動く人が多いことでしょう。こう見ると「社会的望ましさ」自体は悪いことではないようにも思えます。(文:人材研究所代表・曽和利光)

組織に悪い結果をもたらす利己的な「善人」

問題は、社会的望ましさの追求が目的化し、果たすべき役割よりも優先されてしまうことです。社会的望ましさ志向の強い人の行動は、一見すると「利他的」な態度に見えます。しかしその実態は自分の利益しか考えていない「利己的」な場合も少なくありません。

社会的望ましさ志向の強い人は、他人から批判を受けたり嫌われたりする言動を取らないので「善人」のように見えます。しかしこの「善人」は、組織の変革が求められるような修羅場に直面したときにも、直接的な物言いを避け、周囲に調子を合わせて心にもないことを言い、事なかれ主義を貫く場合が多いのです。

善人であろうとする人は、相手に合わせます。自分の信念を曲げます。心地好いことしか言いません。本当に必要なものでなく、社会的に望ましいとされるものを求めます。八方美人で誰にでもいい顔をするので、出す結論は最大公約数的、悪く言えば中途半端。

承認欲求が強く、認められることが第一。「認められたい」という外発的動機では相手の受け狙いに終始し、創造性は発揮されません。新しいことは生まれにくく、付和雷同で長いものに巻かれ、「王様は裸だ」と決して言わない。

社会的望ましさに従って自分の態度を変えてしまう「善人」が悪い結果を生み出す例は枚挙に暇がありません。社会的望ましさの高いこと、すなわち、一見すると多くの人が賛同しそうなことが、結果として組織に対してはマイナスになってしまうのです。

「利他的な悪人」こそ変革の原動力だ

一方で、自分が正しいと思うことはストレートに主張する、思ってもないことは言わない、人に嫌われたり非難されたりすることを避けない人がいます。逆風を真正面から受け止めても動じない。信念を持って行動する。こういう人は一般に好かれず、ときにはそのとばっちりを受けたなどと逆恨みを買って「悪人」と呼ばれたりします。

「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」と詠んだ坂本龍馬は、最後には暗殺されてしまいました。それほどある種の人々には憎まれ、悪人と思われていたわけです。しかし、それを恐れていては、あれほどの事を起こせはしなかったことでしょう。

私は、多くの会社で人事責任者や人事コンサルタントとして、企業の変革を目にしてきました。そこには上に書いたような意味での「利他的な悪人たち」が大勢いました。そして彼らが変革の影の主役でした。原動力でした。

大好きだった先輩でもあるスター社員に、若手に席を譲るように説得し続けた人事担当者。頭に10円ハゲを作りながら、彼はスター社員の取り巻きから鬼のように嫌われていました。メディア企業に変貌を遂げようとする会社で、営業部門をアウトソーシングする決断をした事業責任者。「あの人は何もわかっちゃいない」「会社の魂を売った」「営業部門で育てられたくせに」と誹謗中傷を受けながら、改革を断行しました。

自分がかわいがっていた部下が、業務上で大失敗。しかも不可抗力ではなく調子に乗っての不注意からのもので、かばいきれない。「泣いて馬謖を斬る」を地で行く懲罰を行ったことを、事情をよく知らない周囲から「情の無い人だ」と陰口ばかり叩かれていました。

「言葉」に惑わされず「行動」で判断すべき

彼らは、全員「悪人」扱いされていました。しかし、真価をわかっている一部の人からは大変尊敬をされていました。私は彼らのような人こそが、会社や職場には絶対に必要な人材だと思います。彼らこそが会社を変え、会社を存続させ、会社を伸ばす主体者なのです。

我々は、このように必要な人材だが悪人とされてしまう人と、無用な人材だが善人とみなされる人を、きちんと本質を見抜いて、評価しなければいけません。実は簡単なコツでそれは実現できます。その人の言っていることではなく、やっていることを見るのです。

会社に必要な「悪人」は人の承認を得ようとしないので、言い訳をしません。逆に無用な「善人」は、自分を良く見せようと言辞を弄して語ります。言っていることに引きずられると善人を高く評価し、悪人を低く評価してしまいますが、それではいけません。

社会人は、社会に対してどんな貢献的行動を取っているかで評価すべきです。かの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーも「年をとるにつれて人が言うことには以前ほど注意を払わなくなった。人の行動をただじっと見ることにしている」と言っています。何をしているのかが大事です。

自分を飾らない、愛想の悪い悪人を、だからと言って否定してはいけません。彼らは偽善者ならぬ偽悪者なのです。人に認められるよりも、陰徳を積むことを望みます。いいことをしていると思ってもらうことに関心はありません。だから言葉より行動なのです。

世のため人のために、身を賭して尽力している悪人たちをきちんと見出してあげることは、結局会社や職場のためになります。悪人役を引き受けてくれている、真に利他的な悪人たちこそが会社の礎になります。あなたが嫌いな彼も、そういう人かもしれませんよ。