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星野源の“遊び”は新しいレベルに突入した 「Family Song」完成までのトライを追う

2017年08月22日 18:03  リアルサウンド

リアルサウンド

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 大好きなブラックミュージックを血肉化して、それをJ-POPのなかで説得力のある音として鳴らすこと。2010年のデビューアルバム『ばかのうた』に端を発する星野源さんの約7年のソロキャリアは、その実現に向けた格闘の歴史と考えていいでしょう。


 星野さん言うところの「“ブラックミュージックを自分の音楽と融合し、イエローな音楽に変換する”という実験」が始まったのは、2011年3月リリースのソロ初シングル『くだらないの中に』のカップリング曲「湯気」。以降、彼はさまざまなステージでさまざまな試行錯誤を重ね(その過程については映像作品『YELLOW VOYAGE』初回限定盤のライナーノーツ「Voyage to “YELLOW MUSIC”~『YELLOW DANCER』を紐解く~」に詳細に記しました)、2015年12月の4枚目のアルバム、『YELLOW DANCER』をもって数年に及んだ「実験」にひとつの決着をつけることになります。マイケル・ジャクソン、Earth, Wind & Fire、ディアンジェロといったアーティストへの憧憬を見事J-POPに落とし込んだ星野さんの達成感は、「ブラックミュージックへの憧れと共に、日本情緒あふれるポップスを目指した結果、“イエローミュージック”と呼べそうな楽曲たちが生まれました」との記述がある『YELLOW DANCER』のセルフライナーノーツからうかがえると思います。


 そして、特大ヒットになった2016年10月の『恋』を挟んでリリースされた今回のニューシングルの表題曲「Family Song」は、言わば休止していた「実験」の再開を告げる曲、もしくは「実験」が新しいレベルに突入したことを告げる曲といえます。この「Family Song」で星野さんが自らに課したハードルは、「1960年代末から1970年代初頭のソウルミュージックを、ビンテージエフェクトの効果に頼らず、現在の日本に、日本的に立ち昇らせる」こと。もう一歩突っ込んで言うならば、往時のアル・グリーンやマーヴィン・ゲイのサウンドを日本人の庶民のソウルミュージック/ブラックミュージックとして成立させること、です。


 星野さんがこの難題にどのように向き合い、いかにしてクリアしていったかは、当サイトに掲載されているロングインタビュー、もしくは彼の公式サイトに寄稿した「『Family Song』を紐解く」を参照していただくとして、ここでは今回の『Family Song』の制作にあたって星野さんが話していたある発言に着目してみたいと思います。すでにラジオや雑誌でたびたび言及している通り、彼は『Family Song』に関して「収録曲すべてを通してたくさん遊んだ作品」と説明していますが、僕はここに星野さんの作品、ひいては星野源というミュージシャンの本質に迫るヒントが隠されていると考えています。それは、先述した「イエローミュージック」を手にいれるまでの彼のトライ&エラーとも無関係な話ではありません。


 きっと憶えている方もいると思いますが、じつは星野さんは『恋』についてもリリース時に「真剣に遊びながらつくりました」とコメントしています。そのときのニュアンスから彼が言う「遊ぶ」を額面通りに受け取っていると齟齬をきたすことになるかもしれない、とは薄々思っていたのですが、今回再びこのワードが出てきたことによってそれを確信しました。はたして星野さんは「遊ぶ」という言葉にどんな意味を込めているのか、本人に直接聞いてみることにしました。


「守りに入るような感じにはしないようにしたい、という気持ちの表れが“遊ぶ”という言葉につながっているんだと思います。遊びながらつくって“こんなのができちゃいました”みたいなことも含めて、音楽で遊ぶことって自分にとっては結構必死なものなんです。今回の『Family Song』のラインはこれまでやったことがなくて、実現できるかどうかもわからないぐらいのドキドキする感じだったんですよ。そういうのもひっくるめて、自分のなかでは“音楽で遊ぶ”という感覚になっているんです」


 星野さんは毎年の恒例行事としてバナナマン日村勇紀さんの誕生日に書き下ろしのバースデーソングを贈っていますが、今年45歳を迎えた彼に捧げた「ラジオ」なる曲の制作に関して、星野さんは5月16日のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』でこんな話をしていました。「本当に“真面目に遊ぶ”というのは楽しいことですね。僕の職業は真面目に遊ぶことができればいちばんいいと思っています」と。


 熱心なファンの皆さんにはよく知られている話ですが、これまで星野さんは日村さんに贈ったバースデーソングを二度もシングルの表題曲に転用しています。一度目は、日村さんの42歳のときにつくったものを出世作の「SUN」(『YELLOW DANCER』収録)に。二度目は、43歳のときにつくったものを今回の「Family Song」に。


 こうした行為は、側から見る限りは文字通りの「遊び」、あるいは一種の「サービス」のように映るかもしれませんが、星野さん当人にとってはそういう感覚は極めて希薄であることが一連の言動からよくわかると思います。極端な話、彼のなかではシングルの勝負曲をつくるときも日村さんへのバースデーソングをつくるときも、取り組む際の姿勢としてはさほど大きなちがいはないということです。


半ば伝説化している、TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』に匿名で応募した(そして優勝をかっさらった)ジングルにしても同じことがいえるでしょう。星野さんがあのジングルを制作したのはおそらく2011年の秋ごろだと思いますが、彼のディスコグラフィにあてはめてみればよくわかるように、あれは「ステップ」(アルバム『エピソード』収録/2011年9月)と「もしも」(シングル『フィルム』収録/2012年2月)~「ダスト」(シングル『ギャグ』収録/2013年5月)をつなぐ楽曲であり、いまにして思えば「ディアンジェロ歌謡」の決定打「Snow Men」(『YELLOW DANCER』収録)の完成に向けての大切なプロセスだったのです。


 要するに、星野さんにとっての「遊ぶ」は言葉通りの意味とはちょっとちがっていて、どちらかというと「チャレンジ」や「トライ」に近いニュアンスがあるということです。そんな星野さんの直近の大きな「遊び」としては、ギャラクシー賞を受賞した生放送の音楽番組『おげんさんといっしょ』(NHK総合にて今年5月4日放送)がありました。


「こないだ藤井隆さんに『オールナイトニッポン』に出ていただいたんですけど、そのとき藤井さんが『おげんさん』を振り返って“めちゃくちゃ怖かった”って話していたんですよ。ああいうことをやるのって、いまのテレビのなかでは本当に危険なことで。『おげんさん』は実はすごく過激なことをやっていて、出演者のみんなはそれを肌ですごく感じているわけです。でも、決してそうは見せないのが自分にとっての“遊び”というか。そういうことをやった番組がギャラクシー賞をもらえたのはすごく達成感がありましたね。アイデアもめちゃくちゃ遊びながら考えたんですけど、それを実現するのにはスタッフの皆さんの努力と出演者のみんなの度胸が必要不可欠で。だから“遊ぶ=命がけ”みたいなところはありますね。日村さんの曲にしても本当に命がけでつくっているんですよ(笑)。“遊ぶ”という言葉のなかにはそういう意味合いも入ってますね」


 星野さんのミュージシャンシップみたいなものは、この“遊ぶ”という言葉に強く反映されているのではないでしょうか。そして、冒頭で触れた「“ブラックミュージックを自分の音楽と融合し、イエローな音楽に変換する”という実験」がシングルのカップリング曲という裏舞台で継続的に行なわれていたことからもわかるように、星野さんの未来はメインステージから一歩離れた“遊び”に示唆されていることが多々あります。


 そういった意味で個人的にいまいちばん気になっている星野さんの“遊び”は、「プリンスの初期みたいな曲をふざけてやりたい」という思いつきを実行に移した『Family Song』のカップリング曲「プリン」。それから、tofubeatsさんと一緒につくった『オールナイトニッポン』のラップジングル。この2作品での試みは近い将来なんらかのかたちで発展がありそうな、そんな予感がしています。


 こんなふうに締めくくると身も蓋もありませんが、結論としては星野源の一挙手一投足を見逃すな、ということになるのかもしれません。その理由は先ほどの日村さんのバースデーソングやシングルのカップリング曲の話を例に出すまでもなく、星野さんが点と点を線につなげて見せていくのがとてもうまいアーティストであること、つまり音楽も含めたすべての表現活動をひとつのドキュメントとして見せていくのに非常に意識的であることがまずひとつ。そしてもうひとつは、“遊ぶ=命がけ”という発言から浮かびあがってくるように、彼は基本的にすべての打席で場外ホームランを狙っているような男だから、です。スイングのひと振りひと振りを見届ける価値、十分にあると思います。(文=高橋芳朗)